フクオカ出版もの語り 第一回 - フクオカ出版もの語り by 藤村興晴 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
2004
24
Jun
Posted by 藤村興晴 on 00:50 / Category : フクオカ出版もの語り
 博多は、今年は空梅雨気味なのだった。
 朝陽が射しこむ安アパートの居間のソファで目を覚ました。
二歳になる坊主が「パパ、オ、オ、起っきして!」と腹の上によじ登ってくる。
「てめーバカ野郎、ワシは二日酔いなん!」と叫ぼうとするものの、大声を出せば頭にひびくのが分かっていたから、
「パパはね?、もうちょっとね?、ネンネしとこうかなぁ」とにっこり微笑んだ瞬間、坊主が腹の上でジャンプしやがる。喉元までゲロがせり上がってきた。
 ベランダから、もう洗濯物を干し始めている嫁さんが冷たい一瞥をくれる。
 ビデオの時計を見るとすでに午前一〇時。頭の芯がズキズキとうずく。きのうは深酒が過ぎた。
 ほうほうの体で自宅の安アパートに帰り着きソファに倒れ込んだのは三時半過ぎだった。飲み始めたのが六時だったから、九時間以上は飲んだことになる。さんざんハシゴして辿り着いた最後の店は、アホのQ大教養部のすぐそば、ちょうどキャンパスが面する国道202号を西に三分ほど歩いたあたりの、こじんまりとした六本松の酒場だった。
 昨晩は東京から「地方小出版流通センター」の川上社長が来福するというので、フクオカの出版社の大将以下三〇人余りが勢揃いしての歓迎会だったのだ。
 といっても主賓であるはずの川上社長は二次会までで早々に宿へ引き上げたから、まだ飲めそうな人間五、六人でもう一軒行こうということになった。天神・西通りの雑居ビルの一階、通りに面した大衆割烹屋をのぞくと仲居のオバハンが「飲めますがワタシもう帰りたいんですけど」といいたげな顔でこちらを睨み付けるので、同じビルの通路奥、一見ジャズバー風の酒場に何となく入ってみた。するとこの店が傑作で、現代の遊郭とでも言おうか、前をはだけて着崩したサテン地の着物がやけに艶っぽい下級花魁風が粒ぞろい、客にこびへつらう訳でもなし、話にのってこない訳でもなし、おねーチャンの背中だけ眺めて一晩飲んでいたくなるような、異次元のスナックだった。果たせるかなわれわれ出版社チームの○ンポはしとどに濡れ(冗談です)、ボルテージは閾値を超えてしまったのだった。
 そして案の定、スナックを出たときすでに時計の針は一時を廻っていたのに、余勢をかったボクとウチの社長のフクモト、そして南さんと三原さんの四人でさらに「次、もう一杯だけ行こうや」ということになってタクシーに乗り込んだ。南さんなどは四次会までついてきたはいいものの、最後に「ボクはフクモトさんが好きです!」と宣言し、その後はトイレにこもりっきりだし、結局全員、完全に酔っぱらってしまった。
 四次会でなだれ込んだ酒場は「サライ」といって、客が七、八人も入ればいっぱいになるL字のカウンターがあるだけの店だ。切り盛りする「コガノ君」と「マサミちゃん」の夫婦漫才コンビとは、もう七年来の知り合いである。長い付き合いなのだったが、カウンターの中に座る二人を前に飲むのはもう二年以上ぶりだろうか。
 というのも、以前のボクの務める出版社が店子として入居していた、福岡城のお堀ばたの老朽化したビルの一階にあって、奇人たちのオアシスとして賑わっていたのが、悪徳家主のだまし討ちにあって三年前、補償金なしの泣き寝入り同然の状態でほうり出されて、旦那の「コガノ」と「マサミ」がそれぞれ夫婦善哉で臥薪嘗胆でコツコツ貯めて現在の場所についひと月前、店を出したのであった。ついでに私たちの事務所も家賃を釣り上げられて、とてもじゃないがと今の渡辺通にほぼ同時期に越して行ったのだが。おい大家、敷金返さんかい。
 話がそれたが、先の南さんというのは地元の出版社「九州人」の代表、三原さんもやはり地元「弦書房」の社長、そして「フクモト」というのが、「石風社」の強面社長のことである。んでもって先の川上社長というのは、私たちのような、東京周辺の小出版社や地方にある出版社だけを相手にして、その本を書店に卸してくれるという奇特な会社の社長であって、そういう本の卸会社を、業界では「取次(とりつぎ)」というのである。細腕でちゃきちゃきした川上さんが仕切る「地方小出版流通センター」には、特に地方の出版社は北は北海道から南は沖縄までそのほとんどが大なり小なり世話になっているのだった。
 この日も川上さんは、マメに席を移しながら、出版社の人間をつかまえては、
「最近はさあ、なんと韓国の『ホットチリペーパー』が一番の売れすじなんだよなぁ。おたくらも何か売れる本出さないの?」と相変わらず手厳しいのだった。
 こういう風に福岡の出版社が集って何か宴席が開かれる機会は年に一、二回はあって、夜な夜な集う出版社の古狸たちはお互い肩を叩きあって励ましあうわけでもなく、何だか意味深にニタリと笑って二言三言交わすのが習わしである。で、かけつけ一杯のビールを飲み干せば、「酒はやっぱりイモですたい」なんて今さら口走るわけでもなく、いつも幹事をしてくれる海鳥社・井上さんが「酒なら勝手に頼め」というから下っ端のボクが無条件反射でいつもイモ焼酎を注文するという流れになる。
 一次会は、きょう日ファッションスポットとして盛り上がってはいるが、昔は黒田藩の士族が屋敷を構えたという大名町の、貯金局の裏にある水炊きの「岩戸屋」であるはずだったのが、行ってみると、あるはずの場所にその水炊き屋がない。「岩戸屋」というくらいだからどこかに御隠れになったのかと社長の顔を見ながら右に左に駆け巡るのだが、どうにも見当たらず角のローソンに駆け込んだ。
「岩戸屋はどこにいったのでしょうか。」
店員に道案内を乞うと、
「そこですよ、そこ。」
 ボクの記憶ではもう十五年くらいはその店でぼんやりレジに立っているはずのおにいちゃんがいうのだから間違いない。通りを一本間違えていたのだった。果たして一本南側のその通りに「岩戸屋」はあった。するとまあ何ということだろう「岩戸屋」は御隠れになるどころかちゃっかり若者の町で移転リニューアルされていた。そしてこれもまた案の定、以前いたはずの仲居のオバハン十数名は大幅にリストラされている。いつも幹事をやってくれる井上さんがこれまたいつも通り入口側にお釣とペンを持って中腰ですわっている。
「お疲れさんでっす! 井上さんまた幹事ですか。」
「おお来た。皆さんお揃いバイ。」
 長机を五列ほど縦に繋げた席には、すでに十五人ほどのフクオカ出版人お歴々が鎮座しておられる。大向こうに弦書房の編集者・小野さんの隣が空いている。よしあそこに座ろうと歩み出すと途中で弦書房の三原社長と目があった。
「おう元気しとったかねフジムラくん!」
「うっす! お疲れさまです!」
 福大相撲部ではあるまいし、三十歳を前にして今さら「うっす」はないだろうとひとりツッコミながら小野さんのお隣に腰を下ろした。
 小野さん、三原さんはご両名とも以前は葦(あし)書房にいてやっぱり今と同じく社長と編集者だったのが、(後にふれるであろう)ちょっとした騒動で葦書房を辞し、今こうして弦書房の二枚看板として活躍しておられる。
 さて、ボクがまだ十九歳のころバイトで石風社にもぐりこんんだころから、葦書房はフクオカのみならず全国の地方出版社の「西の横綱」(東の横綱は青森の津軽書房だ)と称され、一種のあこがれの的でもあった。山本作兵衛翁の「筑豊炭坑絵巻」や「写真万葉録筑豊」シリーズを始めとした一連の筑豊ものや、水俣病関連の記録や石牟礼道子氏の一連の作品、さらには「ドグラマグラ」で知られる夢野久作の著作集、近年では渡辺京二氏の「逝きし世の面影」や村田喜代子氏の「名文を書かない文章講座」から山のガイドものまでジャンルも広く、数多くのベストセラーを世に送り出している。事実上の創業者で今や伝説の編集者・久本三多(さんた)社長が若くして他界して後は、三原さんがその後を引き継いでいたのだった。
 はてさてこの日の一次会には、他にも海鳥社、西日本新聞出版部、不知火書房、九大出版会、中国書店、花書院といった、いずれも在福出版社のメンバーが参加、ゲストで招いた書店員さんまでつかまえて「如何に出版が儲からないか」を確認しあっている様子である。
 出版不況が叫ばれて久しいが、いずれの出版社も、苦しい台所事情の中、それぞれの得意分野を開拓し、細々とした鉱脈を掘り続け、こうして生き残っている。いつだったか、ノンフィクション作家の佐野真一氏が「地方出版では大阪を除けばフクオカが一番元気」と評した、ザワザワとした熱気が、確かにまだ感ぜられる。
 因みにボクのいる石風社と海鳥社、不知火書房、そして弦書房はいずれもかつて葦書房で働き、出版の仕事をひととおり覚えて独立した出版社である。ボク自身の勝手な印象でいうと、独立した出版社、何の関係もない出版社も含め、フクオカの出版社は葦書房をひとつの核としてあるミクロコスモスのような世界が作られてきたように思う。
 思うのだが、フクオカの出版社のボスたちというのは、他の業界で例えると、ボクの好きなプロレスの世界に似ているように感じる。少し大雑把だが、プロレスの世界も力道山の「日本プロレス」がまずあって、そこからジャイアント馬場の「全日本プロレス」、アントニオ猪木の「新日本プロレス」が誕生し、そこからさらに分派、選手の移動をくり返しつつ、大小もろもろの団体がしのぎを削って興行している。仮に力道山が葦書房の故・久本三多社長だとすると、アントニオ猪木はわが石風社のフクモトだろうか。ボクは誰にあたるのか。
 いずれにしてもそれぞれの団体(出版社)のボスは独特な個性を持っていて、いわばそのボスや創業者の個性が客を呼び、出版物の傾向のようなものを作っていくのである。そしてそれぞれの出版社はお互いライバル関係にあるのだが、時には席を同じくして、読者(観客)の裾野をいかに広げていくかの情報を交換してみたり、時にはタッグで試合に参加したりもする(因みにタッグというのは「出版社合同フェア」のようなものです)。力道山こと久本さんを偲んで盃を交わすこともあるようだ。
 さらに現在、フクオカの出版社のうち九社は「はかた版元新聞」なる合同のフリーペーパーを一緒に出していて、これが仮設の「リング」のような場所になっているのだが、これは後にまたゆっくり。
 またまた話がそれてしまったが、「岩戸屋」での一次会は各出版社入り乱れ、後半は小出版社ならではの苦労話がつきなかった。
「石風社の今度の新刊、けっこう売れたろうもん?」
「それが初刷はすんなりさばけたんですが、増刷したとたんさっぱり売れません。ウチは営業が弱いとですよ--。そっちは例のガイド本、どげんですか?」
「書店に積んだはいいが返品が怖か?。今さらやけどありゃ刷り過ぎやもん。それより今度の新刊に期待しとっちゃが--」
 それぞれロック、水割り、お湯割りと、注ぎ足される焼酎をグイグイ飲み干し気炎を上げる出版人たちの唇はてらてらとイモ光りしていた。

 



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ノンフィクション作家の佐野真一氏といえば、それこそ今日、NHKのクローズアップ現代で「電子出版」の有用性について語っておったです「多様な本との出合いの場が提供される」「在庫のコストがかからない」など。森村誠一氏も携帯配信や電子出版が「まったく活字文化に触れてない人を活字に触れさせる」機会が増える「小説の革命ですね」と語っておられたです
on 06/24/04 at 03:41:AM
 藤村さん、初めまして。
プロレスネタにはつい食いついてしまう、右京です。
福岡の出版界の構造自体、まったく知らなかった僕ですが、第一回を読ませていただいただけで全体像を何となく掴むことが出来ました。
 そうですか、石風社さんは「ストロングスタイル」だったんですね。じゃあ、王道や邪道や格闘技スタイルなんていうのもあるんでしょうね。
 どんな権威にも噛みつく現代のドンキホーテという藤村さんは、さしずめ長州力か前田日明といったところでしょうか。
 実は僕も、この二人の世代でして・・・損だとわかっていても噛みつかずにはいられない、この二人の男気を今でも慕ってしまう、変なオジンです。(^_^;)

 そんな事はともかく、僕たちの知らない出版業界の裏事情、今後の展開を楽しみにしています。

 Fuji Wara Ukyou・・・・藤村さんなら、このペンネームわかっていただけるかと・・・・
on 06/25/04 at 08:49:AM
ども。お久しぶりです。
高校が一緒だった、こばやしひろきです。

検索したらでてきましたので書かせていただきました。

よかったらメールちょうだいな。
on 09/12/05 at 13:15:PM
小林
cobahiro@mail.goo.ne.jpでした。間違えました。
on 09/12/05 at 13:16:PM
藤村さん、はじめまして。
「サライ」で検索してここに辿り着きました。
引っ越したサライの場所、教えて下さい。
私も昔、常連でしたが引っ越し先知りません。
よろしくお願いします。

on 08/02/08 at 20:52:PM