﻿﻿﻿﻿<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#">
    <title>ぼくたちの空とポポの木 by まつざわなおき</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo" />
    <generator url="http://nucleuscms.org/">Nucleus CMS v3.31SP3</generator>
    <modified>2008-07-07T11:14:32Z</modified>
    <entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[縦書きで『ぼくたちの空とポポの木』を読む]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=4786" />
 <author>
  <name>MAO</name>
 </author>
 <modified>2008-07-07T11:14:32Z</modified>
 <issued>2008-07-07T20:14:32+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div style="text-align: right">※ページ送りは「NEXT」、ページを戻るときは「PREV」をクリックしてください</div><br />
<div style="text-align: center"><script type='text/javascript'>nid = 8009;summary_enable = 1;width = 480;height = 480;pager_link_color = '#fe6000';novel_bg_color = 'transparent';border_color = '#0075e7';novel_font_color = '#000';link_color = '#0081f4';ruby_color = '#a00042';font_size = 16;font_no = 0;</script><script type='text/javascript' src='http://gomyway.dip.jp/bungou/js/tholder.js'></script></div><br />
<div style="text-align: right">※この縦書き表示は「縦書き文庫」のサムネール機能を使用しています。</div>]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:4786</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[アオギリとポポの木（広島原爆忌によせて）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=3916" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2006-08-07T04:02:45Z</modified>
 <issued>2006-08-07T13:02:45+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[以前、取材したことのある広島のアオギリの木がニュースに出ていた。 <br />
<br />
６１年前、広島に原爆が投下された後、焼け残ったアオギリの木が、また今年も青々とした葉を茂らせているそうだ。 <br />
<br />
また、その分けた枝を苗木として、植樹する動きもあるらしい。 <br />
<br />
歴史の記憶が風化していくのは、避けられないのかもしれない。 <br />
だが、取り返しのつかない選択をしないためにも、毎年青々とした葉を茂らせて、これからの時代を生きる人たちを見守ってほしいと思う。 <br />
<br />
アオギリだけでなく、ポポの木も。 <br />
<br />
原爆をモチーフにした児童向けの拙著小説「ぼくたちの空とポポの木」は、ポポの木という実在の植物をキーワードに、子供たちが連帯を深め、平和について考えていくという小説だ。 <br />
<br />
理想書店「ぼくたちの空とポポの木」 <br />
http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031 <br />
<br />
北アメリカが原産のポポの木という植物は、果実の栄養価が高いため、戦後、食糧事情が悪い時代に、あちこちに植えられたという時期がある。 <br />
<br />
ネットで調べてみたら、耐寒性があるため、日本中のあちこちに植えられていることがわかった。 <br />
<br />
本州は、北は青森県のむつ市まで。北海道は、函館の一部などに植えられて、いずれも成長した木が残っていることが分かっている。 <br />
<br />
成熟すると、芳香の強いカスタードクリームのような濃厚な味がする実をつける特徴のある木である。 <br />
<br />
洋風の食事になれていなかった、戦後すぐの日本人にはなじまなかったようだが、最近になってまた再ブームが起きているらしい。 <br />
<br />
山梨や茨城では、アイスクリームに加工したり、ワインに加工したりして人気になっているようだ。 <br />
<br />
皮肉にも、アメリカからやってきたポポの木は、戦争が終わって６０年経った今、平和な果実を実らせている。 <br />
<br />
日本中に散らばったポポの木も、広島のアオギリの木と同じように、これからの時代に育っていく子供たちを見守ってほしいと思う。 <br />
<br />
<br />
原爆に関する作品を、昨年リリースさせていただいたが、多くの方からメッセージをいただいた。 <br />
<br />
私自身、昭和史を学びはじめたばかりで、戦争が始まった経緯や、国際法上の問題について、言及できる知識は持ち合わせていない。 <br />
<br />
ただ、あの戦争から６０年も時間が過ぎたのだから、善悪や加害・被害といった視点とは別の考え方から、歴史を見つめなおすことを考えていいのではないかと思う。 <br />
<br />
原爆の問題を語ると、必ずアメリカの人道上・国際法上の問題を非難する意見が聞こえてくる。 <br />
<br />
私自身、広島に自国の捕虜がとらえられていることを知りながら、原爆の投下を実行したこと。 <br />
<br />
また、「軍事物資を作っている市民は戦闘員であるから攻撃を加えてもよい」という飛躍した論理の展開のもとに、日本中の市街地に焼夷弾と２発の原爆を投下命令を決定した、当時のアメリカ大統領トルーマン氏は、法的責任が問われるべきだと考えている。 <br />
<br />
実際、アメリカが原爆を投下するまでに、日本中の市街地に投下し続けた焼夷弾は、一般市民と市街地を焼き払うことを目的に開発したのは明白である。 <br />
<br />
これらの爆弾は、開発の際、アリゾナの砂漠の中に、日本式の木造家屋を立て、どのくらいのスピードで日本の家や家財が焼き尽くせるか詳細な実験を行っていた記録がある。 <br />
<br />
１９４５年３月１０日深夜から明朝にかけて、東京都江東区を中心に同心円状に投下された焼夷弾は、たった一晩で１０万人の死者を出す被害を記録することとなった。（東京大空襲と呼ばれる） <br />
<br />
もちろんその犠牲になったほとんどが、国際法で攻撃が禁じられていた民間の施設であり、生まれたばかりの子供を含めた民間人である。 <br />
<br />
身体に火がつき、暑さから逃れるために川に飛び込む方、猛火から逃れるために、まだ水の冷たい隅田川に飛び込み溺死した方、心臓麻痺で死亡した方、泳げる人にしがみついてそのまま亡くなった方の遺体で、一晩明けた川べりは今から想像もできない地獄絵さながらの様相となったらしい。 <br />
<br />
海老名香葉子さん（落語家　故・林家三平氏の奥様で林家こぶ平氏のお母様）は、その空襲で幼少時に一家６人の家族を一度に失ってしまわれた経験をされていらっしゃる。 <br />
<br />
その経験を綴った「うしろの正面だあれ」を拝読すると、子供向けの作品で表現を抑えてあるが、幼い子供にとっていかに過酷な経験であったかがうかがい知れる。 <br />
<br />
<br />
その後、日本各地の人口密集地や工業都市、商業地に対して次々と空爆を繰り返し、民間人の犠牲者を出した事実がある。 <br />
<br />
☆日本の主要な本土空襲攻撃記録 <br />
<br />
http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/urban/smallu.htm <br />
<br />
また、戦争末期の原爆投下にあたっては、東京、大阪、愛知、といった約５０箇所に、原爆と同じ重さの火薬を積んだ通常爆弾（パンプキン爆弾と呼ばれる）を投下して、原爆投下の訓練を行っていたこともわかった。（９１年に情報公開が行われるまで秘密にされていた） <br />
<br />
http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/bombing/509/509MSN.htm <br />
<br />
大阪の東住吉には、模擬原爆が投下された記録を残すための碑が現在も残っている。 <br />
<br />
原爆の投下目標には、京都も視野に入れる動きがあったので、もし大阪に投下が決定していたら、おそらく今の大阪や神戸は存在していないだろう。 <br />
<br />
私が生まれた北九州も同様で、たまたま気象条件が悪かったのと、前日に空襲でたちこめた煙のために、当日になって長崎に攻撃目標が変更されたという経緯がある。 <br />
<br />
このことを考えると、原爆を含めた過去の戦争の問題は、私たちには関係のないとは言えないのではないかと思う。 <br />
<br />
YOU　TUBEに、原爆投下のドキュメントフィルムを見つけた。 <br />
<br />
著作権法上、問題がないのか判断がつきかねるが、（ナレーションが英訳されているので）再現フィルムを交えた被害の実態のすさまじさを伝える出来になっていると思うので、関心のある方はご覧いただきたい。 <br />
<br />
☆原爆投下のドキュメントフィルム <br />
凄惨な場面も映写されていますので、ご承知置きの上ご覧ください <br />
http://www.youtube.com/watch?v=oEokbsYvfFE&mode=related&search= <br />
<br />
話がかなり遠回りになってしまったので本論に。 <br />
<br />
日本が受けた戦争被害はご覧の通りだが、あの戦争を検証してみると、戦争に参加した全ての国が、戦争のルールである国際法や、捕虜の取り扱いについて規定されたハーグ陸戦条約を守ってはいない。 <br />
<br />
日本も同様で、極秘裏に原爆の開発を進めていたことは知られているし、中国やロシアの民間人を相手に細菌兵器や化学兵器の実験を行った７３１石井部隊の法的責任問題（作家・森村誠一氏の「悪魔の飽食」に詳細を求められたい）は否定できない。 <br />
<br />
また、戦時中、九州帝国大学医学部（現：九州大学医学部）で行われたアメリカ兵捕虜を生きたまま解剖した生体実験などの法的な問題（作家・遠藤周作氏の「海と毒薬」に詳細を求められたい）は否定できないだろう。 <br />
<br />
またその反面で、日本が戦時中植民地にしていた朝鮮半島や台湾のインフラを整備し、義務教育制度から大学教育までを充実し、教育を行っていたことは歴史から消されてしまっている。 <br />
<br />
欧米は、フィリピンやインド、東南アジアを植民地にしていたが、食料や鉱山資源を自国へ持ち帰るばかりで教育やインフラの投資はほとんどといっていいほど行っていない。 <br />
<br />
そのことが半ば常識とされていた時代に、教育を普及したことは一定の評価がなされてもよいと思われる。 <br />
<br />
日本の植民地統治時代に対して批判の強い韓国でも同様で、ハングル文字の普及や大学教育制度までを充実させたことは、ほとんどの人が知らない状態になってしまっている。 <br />
<br />
（韓国のハングル文字は１３世紀に発明されたが、彼の国では、あまり重んじられることがなかった。 <br />
読み書きが覚えやすいことに着目した日本の朝鮮総督府は、「朝鮮語読本」という教科書を作って、ハングル文字の読み書きを普及させた時代がある。 <br />
<br />
これらのことや、戦後起きたベトナム戦争で韓国軍が民間人に与えた被害については、韓国の歴史教科書には記載されていない） <br />
<br />
日本人捕虜を抑留し、過酷な扱いをしたソビエト（現ロシア）の行為について責任追及する意見があるが、戦後、ソビエトがポリオ（小児麻痺）ワクチンを無償で大量供与してくれたために、日本の子供がポリオの大規模感染から逃れられたことは、歴史の中から抹消されてしまっている。 <br />
<br />
また、日本に焼夷弾や原爆を投下することに反対意見を述べたアメリカ軍の上層部の人間や、科学者、そして戦場に投入された兵士がいたことも同様である。 <br />
<br />
つまるところ、被害を加えた国も、被害を受けた国の中にも 、人として最善の方法を模索していた人がいたというわけである。 <br />
<br />
困難な中で行われた「善」は忘れられ、止められなかった「悪」を論じるのは、あまり建設的ではないように思う。 <br />
<br />
ましてや、法的な決着がついた中、過去の戦争責任を問う論議を行うのは不毛ではないだろうか。 <br />
<br />
一番大事なことは、これからをどうするかだと思う。 <br />
<br />
残念なことに、一見、平和に見えるこの国も、サーカスの綱渡りのような繊細なバランスの上で成り立つ国際情勢の中で平和を保っているという事実がある。 <br />
<br />
経済自体が、グローバルに連動するようになった現在、「よその街のことだから」、「よその国のことだから」といった無関心な態度ではいられなくなってしまっている。 <br />
<br />
今年は、暑い夏なのに、夏が旬の野菜が高いのは、なぜなのか <br />
庶民の味方、納豆や豆腐が少しずつ値上がりしているのはなぜなのか。 <br />
<br />
詳細は紙幅がないので割愛するが、このように、よその国で起きたことが、私たちの生活に直結する時代になっているのは確かだ。 <br />
<br />
極端な話、聞いたこともないような国の小さな町で起きた出来事が、次の日には、私たちの生活に即、影響を起こす時代になっているのである。 <br />
<br />
よくも悪くも、私たちは、自分たちの住む国だけではなく、世界中と密着に連帯しているのだ。 <br />
<br />
そのことと、過去の歴史事実を照らし合わせながら、これからの未来をどのように作っていくべきか、様々な人が考えていたただけたら、きっと最良の方法を導き出せると、私は考えている。 <br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:3916</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[朝日新聞さんの本日の夕刊に掲載]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=3904" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2006-07-31T06:00:36Z</modified>
 <issued>2006-07-31T15:00:36+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[朝日新聞さんの本日の夕刊（福岡地方）に<br />
<br />
原爆をモチーフにした<br />
拙著「ぼくたちの空とポポの木」の記事を掲載していただきました<br />
<br />
本作をご高覧いただき、本作で伝えたかった趣旨に<br />
共感していただき、記事掲載に働きかけていただきました<br />
朝日新聞西部報道センターの皆様には重ねて御礼申し上げます。<br />
<br />
関東にいる関係で、僕もまだ掲載記事を拝読させていただいて<br />
いないのですが、福岡にお住まいのみなさま、<br />
ご覧いただければ幸いです<br />
<br />
もうすぐ、６１回目の原爆記念日、終戦記念日がやってきます。<br />
<br />
今も戦争は途絶えることなく世界のどこかで続いていますが<br />
この作品の中で、かつて少年たちが必死に願った<br />
戦争がなくなる日が<br />
いつか絶対にやってくることを、僕は信じています。<br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:3904</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[アメリカの原子力機関から]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=3843" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2006-06-21T14:40:49Z</modified>
 <issued>2006-06-21T23:40:49+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ここのところ、僕の個人サイトに世界各国からのアクセスがやたら増えてる。<br />
まあ、サイトを５年もやってれば別に珍しいことじゃないんだけど、原子力関係の機関がやたら多いのがちょっと気になるな<br />
<br />
http://www.bnl.gov/world/<br />
ＢＮＬ（Brookhaven National Laboratory）とかね<br />
<br />
ＢＮＬといえば、ノーベル賞学者を６人もたたきだした<br />
アメリカ指折りのインテリ科学者があつまるエネルギー省の研究機関だ。<br />
他にも、マレーシアやイギリスなんかの政府機関、<br />
国内の教育機関や政府機関からのアクセスがやたら目立つようになった。<br />
<br />
国内からのアクセスは分かるんだけど、不思議でしょうがないのは、アメリカやイギリスなんかのバリバリ英語圏の研究機関が、ヤフージャパンやグーグルを使って、<br />
日本語のキーワード「松沢直樹」で検索をかけてきていることだ。<br />
<br />
こんな泡沫もの書きの個人サイトを、海外の偉い方が覗きにくるとはご苦労なこった。<br />
それとも、あちらの日本人エンジニアやサイエンティストが見に来てるんだろうか？<br />
<br />
ひょっとしたら、原爆をテーマにした児童向け小説「僕たちの空とポポの木」をマチと物語りから出させてもらったからかな。<br />
<a href="http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031">http://www.dotbook.jp/dotbook/details.php?id=machi_00031</a><br />
<br />
ぼくたちの空とポポの木」は、ネットで知り合った福岡在住のイラストレーター渡邉美奈子さんに、挿画を手がけてもらった。<br />
それから改稿して、初稿の脱稿からほぼ一年がかりで、電子書籍として刊行することができた。（時間がかかったのは、僕が個人的な理由から心身共々かなりテンパッてたから・すみませんです）<br />
<br />
ＭＡＯさんには、今はもう無くなってしまった西鉄北方線の路面電車の資料を探していただいたり、ＷＡＴＡさんには改稿のために何度もデザインをやり直していただいたくことになった。（お二人ともご迷惑をおかけしました）我ながら、ここまで周囲の方を振り回した作品も珍しい。<br />
逆に言うと、それだけ文章にしても、次から次へと伝えたいことが沸いてきて、児童書という挑戦したことのないジャンルにどうやって押し込めるか、悩んだということもあったのだけれど。<br />
<br />
何はともあれ、作りこんだ甲斐があって、国会図書館のＨＰや色々なメディアにも取り上げてもらって、多くの人に渡り始めている。<br />
<br />
有難い限りだが、その一つに、今までありがちだった<br />
「原爆の被害や戦争の悲惨さ」だけにスポットを当てるのではなくて、なぜ戦争をしなければならなかったのかということがあるのではないか、と思う。<br />
<br />
そして、原爆を投下したアメリカという国は、当時何を考えていたのかということにもスポットを当てたことも。<br />
<br />
もちろん、原爆が投下された日本は３０万人の死傷者を出す凄惨な経験をしたわけだけど（当時の戦時国際法でも赦されない行為として、戦後アメリカの弁護士が東京裁判で、日本人被告の弁護に当たった事実もある）<br />
<br />
それだけの人の命を奪ってしまう兵器を開発した科学者、そして投下の実行に加わった兵士たちの苦悩についても、僕なりの客観的な考察を加えて、後記として加筆した。<br />
<br />
また、国家意識を超えて政府の圧力にも負けず、人としてのあり方をアメリカにメディアを通して訴えた<br />
アメリカ人ライター「ノーマン・カズンズ氏」<br />
そして、実の娘が原爆によって大やけどを負った憎しみを捨て、カズンズ氏の要請に快く応じ、アメリカのＴＶ番組「This is your life」に出演して、原爆の投下を実行した兵士と対談した広島の谷川牧師の事にも触れた。<br />
<br />
誰もお互いを憎んでいたわけでもない。<br />
誰も真に殺し合いをしたかったわけではない。<br />
それなのに、多くの人が命を落とした。<br />
その中には、まだ子供だった人もたくさんいた。<br />
<br />
生き残った人は、今も放射線障害に苦しんでいる。<br />
望まなかった戦争に加担せざえるを得なくなったことで今も自分を責め続けている人がいる。<br />
<br />
世界の頭脳とも呼べる、アメリカのえりすぐりの科学者たちが原爆をモチーフにした僕の小説を読んでくれて<br />
いるとしたら、彼らは、これから何を行うべきか<br />
考えてくれるだろうか？<br />
<br />
そして唯一の被曝国として放射能と核兵器の脅威を<br />
自らの体に刻んだニッポンという国は、その痛みを誰かにふりまこうとしてはいないか自問してくれるだろうか？<br />
<br />
決して採算が取れているとは思えないのに<br />
子々孫々の代まで放射線障害を残すリスクがあるのに<br />
エネルギー問題の解決という名のもとに原発や核燃料施設を日本中に点在させ、どんどん数を増やしているのはなぜだ？<br />
<br />
<a href="http://cnic.jp/rokkasho/what/">http://cnic.jp/rokkasho/what/</a><br />
<a href="http://stop-rokkasho.org/">http://stop-rokkasho.org/</a><br />
<br />
六ヶ所村の核燃料サイクル施設といい、<br />
なぜ日本の原発や核燃料サイクル施設は、<br />
自衛隊の基地や在日米軍の基地に隣接しているんだ？<br />
<br />
危険すぎて使えないプルトニウムを一体何に使うんだ？<br />
プルサーマル計画が頓挫したというのに、なぜ青森・六ヶ所村の核燃料サイクル施設を稼動させたんだ？<br />
原発一年分の放射能を一日で撒き散らしながら稼動する核燃料サイクル施設が本当に必要なのか？<br />
そうまでして、危険すぎて使えないプルトニウムをなぜ増産するんだ。<br />
しかも今度は佐賀にも同じ施設を作るという。なぜ日本の端と橋にこんな施設を作るんだ？<br />
在日米軍の極東拠点基地が、青森の三沢と神奈川の座間に移転した時期とタイミングぴったりなのは気のせいかな<br />
<br />
神奈川の座間基地は、昔、朝鮮戦争が起きた時の国連軍の拠点基地で、もし朝鮮半島で有事が起きたら、<br />
日本は進んで座間基地を国連軍の前線基地として<br />
差し出さなければいけないという当時の条約がまだ生きていることを、この国は国民に知らせているのだろうか？<br />
<br />
おまけに横須賀に原子力空母を配備することを決めたという。なんだか、タイミングが良すぎるような気もするな<br />
<br />
もし偶然だとしたら、なぜ国民に知らせないままに、<br />
世界最高峰の解像度を誇る偵察衛星を４基も打ち上げてるんだ？<br />
<br />
あの解像度なら、地上の軍事施設どころか、<br />
オープンテラスでランチを楽しむ人のメニューまで盗み撮りできるだろう。まさかいまさら、お天気観測のためなんて言わないよね。<br />
<br />
もしそう言い張るのなら、在日米軍より探査能力を誇る<br />
ミサイルレーダーを配備したのはなぜだ？<br />
<br />
おまけに世界の海軍が持ち合わせていないイージス艦を二艘も配備したのはなぜだろう？<br />
事実上、日本の海上自衛隊は、世界第二位の邀撃能力を誇るアジア最強の軍隊になった。<br />
<br />
そろそろ本当のことを話そうよ。<br />
日本はもう、事実上、核を配備していて、<br />
ミサイルを使って攻撃できる能力も持っているし、<br />
航空、海上、陸上の三軍とも、他国を攻撃できる能力を持ったってことでしょ？<br />
<br />
日本中に展開している核燃料サイクル施設は、<br />
核兵器製造のプルトニウム抽出のための布石でしょ。<br />
核兵器開発に必要な実験、たとえば起爆装置が作動するかとか、プルトニウムの爆縮が無駄なく起きるかとかいった実験は、スーパーコンピューターを使えば、実際の実験を行わなくてもきちんとシュミレートできる。<br />
<br />
既に配備されているナイキミサイルの弾頭と液体燃料を取り替えれば、北朝鮮はおろか、アメリカ本土、中国を十分射程距離に狙える高性能ミサイルになる。<br />
<br />
しかも偵察衛星として打ち上げた衛星の情報を使えば<br />
レーダー網に引っかからずに、攻撃目標を９９．９９パーセントの確率で狙える。<br />
<br />
小型核として、都市部をピンポイントで爆撃し、<br />
その後上陸作戦を展開することだって十分可能なはずだ。<br />
輸送艦と名前を借りた海上自衛隊の「おおすみ」が、<br />
攻撃戦闘ヘリを搭載できるヘリ空母だということは、<br />
いくら隠しても世界中の常識だよね。時速８０キロで走行しながら、赤外線自動照準を使って、砲身をロックオンした目標に定めたまま、1分間に砲弾を４発打てて、一両でアメリカ軍の戦車を十両撃破できる戦車を搭載できる上陸用舟艇まで用意してるよね。<br />
ここまですごい兵器が自国を守るためとはとても思えないけど。<br />
一体この国は、こんな兵器を何に使おうというんだろう<br />
アメリカの後追いをして、ベトナムの時みたいに<br />
泥沼の戦争に加担するつもりかな<br />
<br />
イラクと戦争したばっかりに、アメリカが膨大な債務を抱えて四苦八苦しているのは知ってるでしょ？<br />
ただでさえお金がないのに、国内に核とテロの危機をばらまいてまで、アメリカに追従する価値があるのかな？<br />
そもそもあの戦争って、大量破壊兵器をイラクが隠し持ってるって言い張ってたけど、どこからもそんなもの出てこなかったじゃない？<br />
サダムフセインをアメリカは逮捕したけど、<br />
彼は中東の中で唯一女性の国会議員を登用した大統領だよ。<br />
独裁政権といわれながらも、あの国は、アメリカの映画だって上映を認めていたし、インターネットや国際電話を監視したりはしていなかった。<br />
イスラムの戒律の範囲の中で言論の自由を認めていたし、義務教育から大学教育まできちんと整備していた。<br />
<br />
あの国から豊かさを奪ったのは、石油利権を守ろうとしたアメリカの一部の富裕層じゃないのか？<br />
アメリカの９０パーセントの資産を保有する<br />
１パーセントの人たちのために、貧しくて大学に通えないから、なくなく軍隊に入隊した若者がイラクに送られて命を落としたんじゃないのか？<br />
知事時代に薬物で逮捕された履歴がある大統領のために、一体アメリカの優秀な若者が何人命を落としたんだ？<br />
東京都と同じ数、１千万人もの人口があるバクダッドに<br />
巡航ミサイルや劣化ウラン弾を撃ち込むことが正義なのか？<br />
そのために、一体何人の子供が命を落としたんだ？<br />
<br />
一体なんのために、この国は、国民と何百年もかけて築いてきた美しい環境を犠牲にしてまで、あの国の戦争に加担しようとしているんだろう。<br />
それとも３０年前結ばざるを得なかった安保条約を解除するための外交カードなのかな？　<br />
対等な軍事力を持てば、アメリカと同じテーブルに着けるから？<br />
正論を唱えても、ごまめの歯軋りで終わるのかもしれない。<br />
ここまで固まっていては、水面下で大きくうねりを見せ始めた動きを止めることは難しいのかもしれない。<br />
<br />
それよりも、毎日の生活に必死な時代だもの。<br />
みんな、毎日の生活に必死で僕とてその例外ではないのだけれど、この世界は今、かつて歩んだ苦悩の道をたどろうとしているかもしれないことをほんの少しだけ<br />
考えてほしい、と思う。<br />
そして、僕たちが豊かな生活を送っている外側で<br />
アフリカやアジアや南米では３０万人もの子供たちが銃の照準を覗きながら、毎日を送っていることも、少しでいいから考えてほしい。<br />
一人の純粋な科学者が生み出した発見が再びこの世界を滅ぼすかもしれない危機にあるこの時代を変えられる鍵を握っているのは、やはり次の世代を作る優秀な若い人たちだと思うから。<br />
今の僕は、この国のただの市井の人間で日々の生活で自分を支えるのに精一杯な有様だ。<br />
この世界を変える力なんて到底ないけれど<br />
今回色々な方の力をお借りして放った「ぼくたちの空とポポの木」という作品は、渾身の力を振り絞って世界に蹴ったパスボールだと思っている。<br />
渾身の力をこめて蹴ったパスボールは、電子書籍になった。皮肉にもインターネットで情報が伝わりやすい電子書籍は、僕のパスを受けてくれた人たちの思いを載せて、また色々な人のところへ旅しはじめている。<br />
<br />
それから四ヶ月経った今、その情報は、著名な方や、国内外のメディアや政府機関に届き始めている。<br />
ありがたいことだと思う。<br />
物語を書いたからには、本にしたい、<br />
たくさんの人に読んでもらいたいと思うのは、<br />
作家の本能だと思う。<br />
だけど、それ以上に望んでいるのは、<br />
この世界を滅ぼすかもしれない脅威が<br />
実は自分たちの毎日の生活のすぐ側にあるということを知ってほしいことなんだよね。<br />
決して昔話ではなくて、<br />
３８歳の僕が、まだ青春時代を送っていたころまで、<br />
原爆が残した爪あとは、実際に戦争を経験したことのない僕の世代にまで、差別や憎しみといった悪意を放っていた。<br />
<br />
その生々しい有様を目の当たりにして、大事な人がたくさんたくさん傷つくのを見て来たから、やっぱりどうしても見過ごすことはできないんだ。<br />
渾身の力をこめて、僕が蹴ったパスボールは、この世界の誰の心に届いていくのだろうか。<br />
もうすぐ夏がやってくる。<br />
一人でも多くの人の心に届いて、この物語のような出来事が、二度と起こらないことを、みんなで願ってほしい、と思う。]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:3843</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[国立国会図書館のウェブサイトに掲載]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=3700" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2006-04-29T18:06:07Z</modified>
 <issued>2006-04-30T03:06:07+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[野知さんからお知らせいただいたおかげで、先日、電子書籍の総合ポータルサイト「hon.jp」に、「ぼくたちの空とポポの木」の発売についてのニュースを掲載していただきました。<br />
<br />
そのソースを流用してるだけのようですが、今度は、国立国会図書館のウェブサイト、「デジタルアーカイブ」にニュースとして掲載されてるみたいですね。<br />
<br />
<a href="http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/xhld2/index.php?id=3">http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/xhld2/index.php?id=3</a><br />
<br />
あのベストセラー「生協の白石さん」の電子書籍化のニュース（電子書籍化されるんだあ）と一緒の項目に掲載していただいてますね。有難い限りです。<br />
<br />
今回の作品は、ソフトな表現ではありますが、戦争の悲劇と矛盾について子供にも分かりやすい形で提示した作品ですので、より多くの方にご覧いただいて、いろんなことを感じていただけたらなあ、と思っています。<br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:3700</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ヒロシマメイデンの事実から知る戦争を考える（出版に先立って）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=3629" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2006-04-07T18:13:32Z</modified>
 <issued>2006-04-08T03:13:32+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[初稿を脱稿して、７ヶ月経った今、この作品は電子本になって、読者の方の元へ巣立っていくこととなった。<br />
<br />
今回は、この作品を通じて知り合った福岡在住のイラストレーター渡邉美奈子さんに挿画を描いてもらうなど、色々な企画を実現できたのもありがたい限りである。（編集のMAOさんやデザインを担当してくださったWATAさんには、さんざんっぱら手を焼かせてご迷惑をおかけしましたが、それだけ気合の入った作品になりました。）<br />
<br />
発売前にもかかわらず、本作の前評判は上々のようだ。ありがたいことだと思う。<br />
<br />
この作品は第二次大戦中に長崎に投下された原爆を題材にした子供向けの小説だが、戦時中ではなく、終戦から三十年経った昭和五十年を舞台にしていること。<br />
<br />
そして、現代の子供とさほど変わらない環境で育った当時の子供たちが、自分たちの知らない「戦争と原爆」がもたらした「ある問題」を解決するために（ネタばれになるので、詳しくは作品を読んでね）団結して、解決を図ろうとする点が、好意的に捉えられているのではないだろうか。<br />
<br />
家族の暖かさや、友人との連帯感といった、少しずつ失われつつある心の財産が描かれているのも、一つの魅力になっているのかもしれない。<br />
<br />
いずれにしても、ありがたいことだと思う。<br />
<br />
一方、原爆の被害について、もっと詳細な記述がほしいという意見も多いようだ。<br />
<br />
広島と長崎の原爆投下によって、３０万人の人が亡くなっているのは事実だし、その被害に遭い、後遺症に苦しんでおられる方がいまだにいらっしゃるのも事実である。<br />
（あまり知られていないが、現在でも、健康保険制度の中に、原爆の被害に遭われた方の特別給付制度が存在している）<br />
<br />
そのことを考えると、このテーマを扱う作家として、これらの事実を伝えていく義務があるように思う。<br />
<br />
私が子供の頃は、戦争など、とうの昔のこととして扱われていて、今の子供と、さほど変わりのない社会環境の中で育ったのだけれど、原爆の被害に遭われたり、空襲などで凄惨な戦争の惨劇を目の当たりにした記憶を持つ方がごく身近にいらっしゃった。<br />
<br />
その方たちから、色々な記憶を伝えていただいたのだけれど、僕はそれらのことを、作品の中に盛り込む気にはなれなかった。<br />
<br />
被害の中から新たに生まれた差別や憎しみを、目の当たりにしてきたからだ。<br />
<br />
<br />
ここでは触れないが、自分が生まれる三十年近く前に終わっていたはずの戦争は、戦争を知らない僕たちの世代にも、確実に争いや憎しみを吐き出し続けていたのだ。<br />
<br />
この事実は、やはり伝えていくべきものなのだろう。<br />
<br />
また、私個人としては、当時の国際法を無視し、民間人や自国の兵士が亡くなることを知りながら（広島には捕虜収容所があり、原爆を投下すると捕虜となっている自国の若者が亡くなることを米軍の首脳部は知っていた）、原爆の投下命令を下した当時の米国大統領や米軍の首脳部の責任が追及されるべきだと考えている。<br />
<br />
また、原爆投下後にその被害を調査したアメリカのABCC（原爆障害調査委員会）の被爆者に対しての対応も、批判すべきだと考えている。<br />
<br />
アメリカは、原爆を投下した後、その被害について調査委員会を作り広島に派遣したが、被爆者の積極的な治療は行わず、多くはその被害について記録を取るだけだった。<br />
診療が受けられるものと思って、調査委員会の診療機関を訪れた被爆者の方の診療申込書の氏名欄に、specimen（標本）と記載している点からその対応が伺い知れる。<br />
<br />
だが、実際に戦争を体験した方の子供である僕の世代に、憎しみや「加害と被害」という視点でしか戦争の教訓が伝わらなかったことを考えると、一切のわだかまりを捨てて、「なぜ誰も望まない戦争が起きて、あれだけの人と人が殺しあわなければいけなかったのか」ということについて、考えることも必要なのだと思う。<br />
<br />
実は、原爆の投下国であるアメリカにも、同じような考え方を持つ方がたくさんいた。<br />
<br />
原爆の被害にあった女性を、広島の流川教会の谷本清牧師（１９０９－１９８６）とともに、NYの文芸誌『サタデー・レビュー』に紹介したライター「ノーマン・カズンズ氏」（1915～1990年）もその一人である。（氏は同誌の編集長だったと記憶している）<br />
<br />
1949年に広島を訪問し、被爆者の生活に衝撃を受けたカズンズ氏は、「四年後のヒロシマ」というルポを掲載し、米国市民に被爆した子供の里親になる「精神養子運動」を呼びかけ、集まった寄付を日本人孤児のためにあてた。<br />
<br />
また、遠く離れた地にいる孤児の成長のために、就学の費用や成長を祝うプレゼントを贈り続けるアメリカ人の里親も募った。<br />
<br />
カズンズ氏はヒロシマ・メイデン（原爆の被害にあい、やけどを負った女性）のやけどの治療費用を募るため、谷本牧師をテレビ番組『This is Your Life』に出演させ、原爆を投下したエノラ・ゲイの飛行士だったロバート・ルイス氏と対面させた。<br />
<br />
ルイス氏は、番組の中で、谷本牧師とその娘である紘子さんに、「私は、原爆を投下した日の飛行日誌に、「おお神よ、私たちは何ということをしたのか」とだけ綴りました」と述懐した。<br />
<br />
それまで、ルイス氏をはじめ、エノラ・ゲイのクルーは沈黙を守っていたが国家や社会の圧力が枷になって、それまで発言することのできなかった個人としての心情をはじめて吐露している。<br />
そのシーンは、多くの米国市民に戦争の矛盾と自国の戦争の意義を問い直すものとなった。<br />
<br />
ノーマン氏の活動は、本論から外れるので割愛するが、かつて戦争の悲劇を教訓として歩み寄ったはずの世界が、また戦争という悲劇を通して壁を作ろうとしていることに気づいてほしいと思う。<br />
<br />
私たちが住むこの時代も、そしてこの国も例外ではない。<br />
<br />
他人を思いやる優しさを平気で踏みにじったり、ないがしろにすることを当たり前のこととして捉えるようになったこの国は、近い将来必ず、また悲劇を生むか否かの選択を迫られるだろう。<br />
<br />
「正」の現実も、「負」の現実も、実は私たちの心から生まれてくるものだ。<br />
<br />
この作品が、子供や、そして子供を育てている大人の方に、他者を思いやる心を強く刻んでくれることを心から願いたい、と思う。<br />
<br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:3629</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[コメントありがとうございます]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=2607" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2005-08-18T20:41:27Z</modified>
 <issued>2005-08-19T05:41:27+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[松下さま、コメントありがとうございます。<br />
<br />
今回の作品だけでなく、拙著「埋もれ行く恋」もご覧いただいたそうで大変恐縮です。<br />
他の作家さんに比べて遅筆なもので、ピッチをあげて書くのは、今後の課題ですね。プロットはたくさん書きためているのですが（ただ単になまけものだという説が^＾； 　うう、いかんですな。）<br />
<br />
長崎の原爆は、北九州出身の私にとっても、決して他人事ではありません。<br />
もともと、長崎に投下された原爆の投下目標は北九州の小倉でした。<br />
<br />
たまたま、昭和２０年８月９日の小倉の空は暗雲がたちこめて攻撃目標を目視できなかったため、当日になって急遽攻撃目標が長崎に変更されたそうです。<br />
<br />
僕の生まれる二十三年前、僕の両親が、この物語りの主人公の子ども達と同じくらい幼かった日。<br />
昭和二十年八月九日の小倉の空が、もし晴れ渡っていたら……<br />
<br />
僕は間違いなく、この世に生まれてくることができなかったでしょう。<br />
<br />
長崎に投下されたプルトニウム型原爆は、理論上、広島に投下されたウラン型原爆の約２倍の破壊力があると言われていました。<br />
もし予定通り小倉に投下されたとしたら、小倉は長崎と違って全くの平地ですので、長崎とは比較できないほどの破壊と犠牲者をもたらしたでしょう。<br />
<br />
（皮肉にも、広島型原爆よりも強力な原爆を投下されたにもかかわらず、長崎は、地形上多少起伏がある影響で、熱線や放射線が遮蔽されて広島よりも被害が少なくてすんだと言われています）<br />
<br />
ちなみに、その前日の八月八日は、八幡市や戸畑市（※）が米軍の焼夷弾による徹底的な空爆で焼き払われてしまうという惨劇が起きました。そのことを考えると、私がこの世に生まれてこれたのは、宝くじの一等に当選するくらいの低い確率といっても過言ではないと思います。<br />
<br />
（※当時は北九州市という市はなく、門司、戸畑、八幡、若松、小倉などは別個の市でした。これらは昭和３８年２月１０日に対等の立場で合併することを５市が合意し、世界初の５市合併、九州発の政令指定都市として注目を集めました。ちなみに、北九州市という名称は、市民の公募によって決められたもので、現在でも日本各地の都市合併の際に、名称の決定で問題が必ず起きる現状を見ると、当時としては極めて斬新で、民主的かつリベラルなものだったと言えます）<br />
<br />
そのような中、この世に生まれてくることができたことを、「幸運」とか「運命」という言葉で語るのは、あまりにも悲しいですよね。<br />
<br />
僕が子どものころは、８／９になると、北九州市のあちこちで、長崎の方へ向いて、原爆で亡くなられた方の冥福を祈るセレモニーが存在していました。<br />
<br />
おそらく、いつ命を落とすかわからない厳しい戦争をリアルタイムに経験された世代の方は、生き残ることができたという喜びの気持ちの反面、長崎の方たちが自分たちの身代わりになってしまったという、自分を責める複雑な心境があったのでしょう。<br />
<br />
鎮痛な面持ちで、８／９の午前１１：０２を迎える大人の方が多かったことを、今も記憶しています。<br />
<br />
広島においても長崎においても、原爆は、すさまじいまでの惨劇をもたらしました。<br />
<br />
さらに悲しいことに、私たちの社会は、戦後長い時代にわたって、被爆された方や、そのご子息を、あたたかく迎え、いたわるどころか、社会的な理解を示そうとせず、冷たく突き放してきました。<br />
<br />
ここではその詳細にふれませんが、私が学生だった十数年前までは、そのような空気が厳然として存在していました。いわれのない猛烈な社会の逆風が吹く中、なすすべもなく失望していく友人達を何人も見てきました。<br />
<br />
心から愛していた友人達に、手を差し伸べることすらできず、自分の無力を悔いたことも一度や二度ではありません。<br />
<br />
社会に対して何の力も持たない若い人がなす術もなく、未来を夢見ることすら失われてしまう時代がもう二度と来て欲しくないと思っています。<br />
<br />
この物語を執筆するにあたって、多くの方から僕の個人サイトのメールアドレスに「原爆の被害について詳細な記述がほしい」というご意見をいただきました。<br />
<br />
戦争の悲惨な記憶が風化しはじめている現在、戦争を経験された方の子どもだった私の世代が伝えなければいけない「事実」や「怒り」はたくさんあると思います。<br />
<br />
私自身、民間人や自国の捕虜があきらかに犠牲になることを知っていながら、原爆の投下命令を下した当時の米国のトルーマン大統領をはじめ、米軍の首脳部が、国際法にのっとった法的責任や人道的な責任が追及されていないのは、決して納得できません。<br />
（広島には、捕虜収容所があり、原爆の投下によって米国の兵士が犠牲になることを米国政府や米軍の首脳陣は知っていました）<br />
<br />
また第二次大戦後、ベトナム戦争や湾岸戦争やイラク戦争などといった自国の国益だけを重視して戦争を続けるアメリカ政府のあり方を、私は決して容認するつもりはありません。<br />
<br />
ですが、それは「国家」という集団の問題であり、そこで暮らす人たち個人個人に対して追求される問題ではないと考えています。<br />
<br />
原爆についても全く同じことが言えると思います。<br />
<br />
悲惨な事実を追い、ただ単に被害者や加害者としての面を綴るだけでは、人と人が殺し合う「戦争」という問題の本質を問うことは決してできないと考えています。<br />
<br />
広島に原爆を投下したＢ２９爆撃機「エノラ・ゲイ」のキャプテンだったポール・ティベッツ大佐をはじめ、クルーの方たち、そして原爆の開発に携わった多くの科学者の方たちは、現在でも「原爆が戦争を早く終結させることに大きく寄与した」としきりに主張しておられます。<br />
<br />
私たち日本人としては、決して承伏できない意見ですが、その傲慢とも思える意見の影に、多くの苦悩があったことはあまり知られていません。<br />
<br />
第二次大戦終結時は、戦争終結に大きく寄与した英雄として国家から祭り上げられたかと思うと、戦後一転して、彼らは一部のアメリカ国民から大量殺戮を行ったとして人道的な責任を問われるようになり現在に至っています。<br />
<br />
軍隊に属する以上、上官の命令は絶対ですし、個人が思想を述べ、それを実践することは決して許されません。<br />
彼らもまた「国家」という集団から自由を奪われた犠牲者だと言えると思います。<br />
<br />
このような意見を述べると、必ず「きれいごと」だという反論をいただくのですが、もし自分が彼らと同じ立場に立たされたらどうでしょうか？<br />
<br />
もし私が彼らと同じ立場に立たされ、国家の命令に従っただけで殺人者よばわりされるようになったとしたら、私は自分のしたことを正当化することで、自分のアイデンティティを保つことに必死になるでしょう。<br />
<br />
そうでもしなければ、良心の呵責に苛まれて死ぬよりも辛い苦しみを、命がある限り味わうことになるでしょうから。<br />
<br />
私はけっして彼らを責める気にはなれませんし、彼らをただ責める意見だけを述べる方にも共感できません。<br />
<br />
原爆を開発した方も同様です。<br />
原爆の開発に携わったオッぺンハイマー博士や理論を提供されたアインシュタイン博士は、「日本人は、戦時中ナチスの迫害からユダヤ人を世界で唯一守ってくれたのに、我々はその愛情に応えるどころか、自分の手を血で染め、多くの大恩のある日本の方たちを殺してしまった」と、戦後ノーベル賞を受賞した湯川博士や日本人科学者に対して、自らの心情を告白しておられます。<br />
<br />
ナチスドイツの迫害を逃れるため、ヨーロッパからアメリカへ亡命するために、日本の通過ビザを求めるユダヤ人に、独自の判断でビザを発給したリトアニアに赴任していた外交官「杉原千敏」氏の話は多くの方が知るところとなりました。<br />
実はその他にも、多くの日本人が同盟国であったナチスドイツの政策に反発し、人としての愛情を忘れることなく、多くのユダヤの方を救ったことは知られていません。<br />
ユダヤ人亡命者を、独自の判断で満州国にかくまい保護した樋口季一郎少将や、着のみ着のままで日本にたどりついたユダヤ人たちをあたたかく迎えた福井県敦賀市の市民の方たち。<br />
アメリカへ出発するために横浜へ向かうのを助けた群馬や長野の方たち、そして、アメリカへ旅立っていくユダヤの方たちを親身にお世話をした川崎や横浜の市民の方たちなど、ぎりぎりの生活が続いて苦しい中、人としての心を忘れなかった多くの日本人がいたことはあまり知られていません。<br />
ですが、当時を知るユダヤ人亡命者の方たちは、今でもそのことが決して忘れられないとおっしゃっておられます）<br />
<br />
戦争は、人の醜い面が一気に吹き出すものですし、多くの人の命や財産が奪われてしまう忌み嫌われるべきものです。<br />
しかしながら、教訓として歴史を振り返り、過去の戦争を凝視すると、国家という枠組みを越え、人が人として生きることの普遍的かつ崇高な愛を学ぶことができるとも思うのです。<br />
<br />
ここに、私の手元にある、アメリカ人兵士の日記の一部を引用したいと思います。<br />
正式な所属が分からないので、身元が判明しませんが、文面から察するに昭和２０年３月１０日の東京大空襲の攻撃に参加した方が奥様に書き残したものでしょう。<br />
<br />
－－－－<br />
ナンシーへ<br />
<br />
明日、東京へ出撃することが決まった。<br />
一緒に機に乗るクルーには何も言わないが、僕はパラシュートのハーネスをつけないつもりだ。<br />
トーキョーに近づいたら、おそらく日本軍は徹底的な対空砲火を浴びせてくるだろう。<br />
<br />
機が撃墜されたら、パラシュートで脱出しても、地上に着くまでに、まずまちがいなく命を落としてしまうだろうし、もし運良く地上に無事降りることができても怒りに満ちたトーキョーの市民は、まちがないく僕を殺すだろう。<br />
<br />
死ぬのがこわくないといったら嘘になる。<br />
<br />
でもそれより恐いのは、君に会えなくなるかもしれないことと、ジョージと同い年の子どもがトーキョーに何人いるのかということだ。<br />
<br />
自分の機が投下する焼夷弾で、ジョージと同い年の子どもが一体何人死ぬんだろう。<br />
僕は死んだ後、地獄へ落とされて焼き殺された子どもたちと同じ苦しみを味わうことになるんだろうな。考えただけで、気が狂いそうになるよ。<br />
<br />
僕は、物心ついたころから、両親に教えられるままに、神の存在を信じてきた。<br />
それなのに、いくら祈っても神は今の僕に救いを与えてくれない。<br />
それどころかあれだけ身近に感じていた神の存在すら感じられないんだ。<br />
神は僕に背を向けて去ろうとしているんだ。わからないよ。<br />
神は実在するんだろうか。何のために神は、僕にこんなことをさせようとしているんだろう。<br />
<br />
あと数時間しかない。<br />
ナンシー、僕は、本当になにもかも分からなくなったよ<br />
－－－－<br />
<br />
この方がどのような未来をたどったのか、残念ながら知ることはできません。<br />
ですが、彼が生きてその後の人生を天寿まで全うしたとしても、おそらく良心の呵責に苦しみ続けたのではないかと思います。<br />
<br />
戦争という国家間の争いによって、人の命を絶つ人も<br />
命を絶たれた人と同様の苦しみを背負うことになったのではないでしょうか。ここにもまた戦争という悲劇が存在するのは間違いありません。<br />
<br />
この物語のヒロイン「ひろえ先生」は、幼い時に、原爆の被害に遭い、最終的には教え子たちの愛情や願いが届かず、若くして命を落としてしまうという、悲劇的な運命をたどってしまいます。<br />
<br />
多くの人が、長い人生を謳歌できる今の時代から考えると、彼女の死は非業の死であり、理不尽なものでしょう。<br />
<br />
ですが、彼女は、理不尽な自分の運命を呪うことは決してしませんでしたし、誰にも憎しみを伝えることはしませんでした。<br />
<br />
おそらく彼女が子どもだったころは、いわれのない戦争によって、生活していくのにも事欠くほど物が与えられなかったでしょうし、また今の子どものように、大人からあふれるほどの愛情を注いでもらえることもなかったでしょう。<br />
<br />
その彼女が、なぜ憎しみを伝えず、最愛の教え子達に惜しみない愛情を注ぎ続け、「お互いの過ちを許すこと」を伝えることができたのでしょうか。<br />
<br />
なぜ、あれだけの年端もいかない子どもたちが彼女を一心に慕い、必死になって彼女を救おうとしたのでしょうか。<br />
<br />
そのことを読者の方一人一人が、心のどこかで考えていただけたら、この物語は本当の命を得ることができるのではないかと考えています。<br />
<br />
<br />
そうそう、余談になりますが、ポポの木というのは創作上の設定ではなく実在する植物です。<br />
<br />
ひょっとすると、松下さんや、この物語を読んで下さったみなさんの住む街の片隅で、子ども達をそっと見守りながら、ポポの木は、今年の夏も甘い実を実らせているかもしれませんね。<br />
<br />
はかせや、ななちゃん、そして北九州から全国に転校していったクラスのみんなが植えたポポの木の種も、芽吹いて大きな木になって、たくさんの実をつけている時期になっているはずですから。<br />
<br />
靖洋君や、三年二組の子ども達が蒔いた種から芽吹いたポポの木が、どこかの国や町で、これから未来を作っていく子ども達に愛されていると、すごくうれしいですね]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:2607</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ぼくたちの空（２１・最終話）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=2582" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2005-08-10T19:28:40Z</modified>
 <issued>2005-08-11T04:28:40+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[次の日、ぼくたちは朝一番で原っぱに集まった。<br />
ぼくたちが集まる前に、校長先生と、それと背広のおじさん、それから工事のおじさんたちが原っぱに来ていた。<br />
<br />
「まってたよ。じゃあ、ポポの木を掘り起こすからね。できるだけ、ポポの木の根を傷つけないように、大きく掘り起こして、それからトラックに乗せてもらって公園に運ぶからね」<br />
<br />
「公園って、どこの公園に運ぶんですか？」<br />
はかせが、おそるおそるたずねた。<br />
<br />
「それは後のお楽しみ。君たちは僕といっしょにバスに乗って、ついてきてもらうよ」<br />
<br />
おじさんが指さす方を見ると、大きなバスが一台、原っぱの外に止まっていた。<br />
<br />
「じゃあ、植え替えをはじめるからね。危ないから、少しはなれて見ていて」<br />
<br />
背広のおじさんが合図をすると、工事のおじさんがあっというまにブルドーザーでポポの木を掘り起こした。<br />
それからクレーンでポポの木をつるすと、トラックに乗せた。<br />
<br />
「じゃあ、みんなバスに乗って。ポポの木を植える公園に行こう」<br />
<br />
みんないっせいにバスに乗り込んだ。背広のおじさんと校長先生も後から乗り込んできた。<br />
<br />
「じゃあ、出発してください」<br />
背広のおじさんがそう言うと、運転手さんはバスを走らせた。<br />
<br />
「おじさん、どこにポポの木を植えるん？」<br />
「すぐに分かるよ」<br />
<br />
ななちゃんがたずねても、おじさんは教えてくれなかった。<br />
バスは原っぱを出て、魚町に出た。路面電車のそばを通りながら、バスはどんどん先に進んでいく。<br />
<br />
そのうち、バスの正面に小倉城が見えてきた。バスはだんだん小倉城に近づいていく。<br />
<br />
「小倉城やあ。いいなあ、遊びに行きたいなあ」<br />
<br />
後ろの席のだれかが言った。<br />
<br />
「よくわかったね。これからあそこに行くんだよ。ポポの木は、小倉城の中の公園に植えてもらうことになった。もう工事のおじさんたちが、ポポの木の植え替えをはじめているころだよ」<br />
<br />
「ほんとう？」<br />
クラスのみんなから声があがった。<br />
<br />
「本当だよ。あそこなら、転校していくみんながまた小倉に遊びに来たときも、間違いなくポポの木をさがせるでしょ？　だから、昨日いろんな人にたのんで、小倉城の中の公園に植えさせてもらうにしたんだ」<br />
<br />
「やったあ」<br />
またクラスのみんなから声があがった。<br />
<br />
小倉城につくと、みんな急いでおりて走った。<br />
<br />
「ほんまや。ちゃんと植えられとるで」<br />
<br />
ななちゃんが大きな声をあげた。<br />
<br />
ポポの木は、小倉城を見上げるお掘のそばに植えられていた。まわりに何も木がないから、一目でポポの木だっていうことがわかる。<br />
<br />
「小倉の町もどんどん変わっているけど、ここなら絶対に変わることはないからね。ポポの木も安心できると思うよ」<br />
<br />
「おじさん、ありがとう」<br />
みんな口々に、おじさんにお礼を言った。<br />
<br />
「どういたしまして。それから、これを転校するみんなに持っていってほしいんだ」<br />
<br />
「なあに？　それ？」<br />
ななちゃんが、おじさんにたずねた。<br />
<br />
「ポポの木の種だよ。さっき、原っぱからポポの木を掘り起こす時に、いくつか実が落ちたんだ。実はだめになってしまったけど、もったいないから、あらって種を取っておいたんだ」<br />
<br />
「どうして種だけとっておいたの？」<br />
<br />
「転校する子は、新しく引っ越した所で、このポポの木の種を植えてほしいんだ。<br />
<br />
ポポの木の種が芽を出して大きくなって、実がなったら、まただれかがその実を食べるでしょ？<br />
そしたら、友だちがもっと増えていくよね。すごいことだと思わないかい？」<br />
<br />
「そうだね。ぼくもらっていくね。必ずどこかにこの種を植えるよ」<br />
「わたしも」<br />
はかせも、ななちゃんも、ぺえすけも、やんきちも、博史も、そして転校していく他の友だちも、みんな種を一つずつもらった。<br />
<br />
「おじさん、ほんまにおおきに。あのな……」<br />
「なに？」<br />
ななちゃんは、もじもじしながらおじさんに話しかけた。<br />
<br />
「昨日はひどいこと言うてごめんな。かんにんや。それから、原っぱがなくなるのは残念やけど、りっぱな病院を建ててな。<br />
もう、ひろえ先生みたいに、病気で苦しむ人を見たないねん」<br />
<br />
「わかってくれてありがとう。おじさんすごくうれしいよ。お医者さんや、病院を建てる人たちと話し合って、こまった人をたくさん助けられるような病院にするからね」<br />
<br />
「やくそくやで。ゆびきりげんまんや」<br />
「ぼくも、わたしも」<br />
ななちゃんが小指を出すと、クラスのみんなが、いっせいに小指を出した。<br />
<br />
「ありがとう、みんな。それから転校する子は、ポポの木の種をどこかに植えるのを忘れないでね。みんな、転校した先の学校でも、たくさん友だちを作ってね」<br />
<br />
おじさんも校長先生も、なみだを流していた。<br />
転校していくみんなは、どこにポポの種を植えるのかな。<br />
<br />
でも、九州大学病院で会った亜紀ちゃんが言ってたみたいに、ポポの木の実のおかげで、ぼくの知らない友だちがどんどん増えていくのはすごくうれしい。<br />
<br />
そしたら、ひろえ先生が夢の中で言ってたみたいに、世界中の人がみんななかよくなって、せんそうで悲しむ人が一人もいなくなる日がくるのかな。<br />
<br />
ぼくも、余ったポポの木の種を一つだけもらった。<br />
<br />
ぼくはたぶん、この町にずっと住むことになると思う。<br />
父ちゃんの後をついで、酒屋さんになるつもりだから。<br />
<br />
でも、この町のどこかにポポの木の種を植えようと思う。<br />
そう、ぼくが会ったことのない友だちのために。<br />
<br />
そうすれば、ひろえ先生もきっとよろこんでくれると思う。<br />
<br />
ポポの木を見上げると、空がとても青く見えた。<br />
あの日、ひろえ先生がひまわりにお水をあげていた時と同じくらいの青い空だった。<br />
<br />
先生のわらった顔はもう見えない。だけど、空の中で、先生がだまってうなずいているような気がした。<br />
<br />
ひろえ先生、それでいいんだよね？<br />
<br />
ぼくは、ポポの木の種をこの町のどこかに必ず植えるからね。転校していくみんなも、いっしょにポポの木の種を植えてくれるよ。<br />
<br />
ぼくたちがせんばづるや寄せ書きを作ったみたいに、短い時間じゃ、先生のお願いをかなえることは無理かもしれない。<br />
<br />
でも、みんながポポの木の種を植えたら、友だちがどんどん増えていって、世界中の人がみんな友だちになれる日がくると思うんだ。そしたら必ず、先生みたいにせんそうで悲しむ人がいなくなると思う。<br />
<br />
よくわかんないけど、そう思えるんだ。<br />
だから、ぼくは必ず、この町のどこかにポポの木の種を植えようと思う。<br />
<br />
「靖洋君、おいてくで」<br />
「うん、今いくよ」<br />
<br />
ななちゃんが、かんだかい声でぼくを呼んだ。みんな次々とバスに乗り込んでいる。<br />
まずいな。なみだが出ちゃったのがばれないかな。<br />
<br />
ポケットの中に、ポポの木の種をそっとしまった。<br />
そして、シャツのそででなみだをふくと、ぼくはバスに向かって走った。<br />
<br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:2582</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ぼくたちの空（２０）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=2581" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2005-08-10T17:03:54Z</modified>
 <issued>2005-08-11T02:03:54+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[「やめんかい、おっさん。きたない手をはなせ」<br />
「いてっ、こいつかみつきやがった」<br />
<br />
作業員のおじさんに引きずりおろされそうになっても、ぼくたちはあきらめなかった。ひっかいたり、かみついたりして、作業員のおじさんの手からすりぬけると、ポポの木の上にのぼった。<br />
<br />
クラスの半分以上の子は、作業員のおじさんに取り押さえられてしまった。無事にポポの木の上にのぼれたのは、クラスの半分の子だった。女の子は、ななちゃんだけだった。<br />
<br />
「みんな、おりてきなさい。ポポの木のことは、なんとかしてもらえるように校長先生からおねがいしてみる。あぶないから、降りてきなさい」<br />
<br />
校長先生が下でさけんだ。<br />
<br />
「みんな、降りてくるんやないぞ。おりてきたとたん、こいつら、ポポの木を切りたおすつもりや」<br />
<br />
やんきちが下からさけぶ声が聞こえた。その後、作業員のおじさんが「だまれ」って大きな声で、やんきちをおこる声が聞こえた。<br />
やんきちの言う通りだ。ぜったいにおりるもんか。<br />
<br />
「何やの？　あの音」<br />
ななちゃんの声で、ぼくも気付いた。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。だんだん原っぱに近づいてくる。赤い色のランプがついた車だった。パトカーと消防車だった。それだけじゃない。大人たちがぞろぞろ原っぱに集まってきていた。<br />
<br />
「木の上にのぼってる小学生のみなさん。聞いてください。みんな君たちのことを心配しています。危ないですから、どうか降りてきてください」<br />
<br />
おまわりさんがパトカーから降りてきて、マイクでしゃべっていた。<br />
「どうしよう。大変なことになった」木の上で、ぼくたちは目を見合わせたけど、だれもおりようとは言わなかった。<br />
<br />
そのうち、背広を着た人が何人かの大人と原っぱに入ってきた。校長先生と話をしている。<br />
<br />
「木の上にのぼっている小学生のみなさん、聞いてください。原っぱをなくしたくないみんなの気持ちはよくわかるけど、ここは町のみんなのために病院を建てないといけないんだ。<br />
<br />
みんなも具合が悪くて、病院に行ったことがあるでしょう？　今、小倉の町は病院が足らなくて、夜中に具合が悪くなった時、遠くの病院に行かないといけない人がたくさんいます。<br />
<br />
赤ちゃんやお年寄りの人が、苦しい思いをしないですむように、ここに病院を建てることにしたんです。<br />
<br />
どうかわかってください。それにそんなことをして、横川先生はどう思うでしょうか？　みんなのために病院を建てようとしているのに、君たちがじゃまするのを横川先生はどう思って見ていらっしゃるでしょうか？」<br />
<br />
そうだ。ひろえ先生は、けんかが大きらいだった。ポポの木をまもるためといって、大人たちとけんかするのを、ひろえ先生は悲しんでいるんじゃないだろうか。<br />
<br />
やっぱり、木からおりよう。ポポの木をあきらめないといけないのは残念だけど、ひろえ先生が悲しむことはしたくない。<br />
みんなにそう言おうとした時だった。ななちゃんがとつぜん大声でさけんだ。<br />
<br />
「いやや、大人たちはみんな勝手や」<br />
<br />
下でマイクでしゃべっているおじさんよりも大きな声だった。ななちゃんの声を聞いて、原っぱにいる大人も子どもも、みんな静かになってしまった。<br />
<br />
「ほんまに大人は勝手や。ひろえ先生が死んでしもたんも、大人が勝手にせんそうをはじめて原爆を落としたからや。<br />
<br />
クラスのみんなが、ばらばらになるのだってそうや。うち、ほんとは大阪なんかに帰りたない。でも、お父ちゃんの仕事のせいで、転校せなあかんのや。大人のせいで、うちらは、ばらばらにされるんや。ほんまに大人は勝手や。<br />
<br />
病院を建てることだってそうやないか。もともと病気になる人が増えたんは、勝手にあちこち工場を建てて、きたないけむりをばらまいたからやんか。<br />
<br />
みんなみんな、大人が勝手なことしたせいやんか。大人が勝手なことをしたせいで、なんで子どもがいやな思いばっかせなあかんねん。<br />
<br />
クラスをばらばらにされて、原っぱを取り上げられて、おまけにポポの木を取り上げられて、どれだけうちらの大事なものを取り上げたら気がすむんや。このポポの木だけはぜったいにわたせん。この木はなあ……」<br />
<br />
「知ってるよ」<br />
<br />
下にいたおじさんが、マイクをおいて大声でさけんだ。<br />
<br />
「知ってるよ。ポポの木だろう？　友だちといっしょに食べると、なかなおりができて、いつまでも友だちでいられるんだろう。ぼくも小学生の時、横川先生とその木の実を食べたから」<br />
<br />
ななちゃんは、急にだまってしまった。<br />
<br />
「君たちは今日、みんなでポポの木の実を食べたんだってね。君たちはどう思うか分からないけど、ぼくは君たちのことを友だちだと思っているよ。ここには病院を建てなきゃいけないけど、ぼくはポポの木を切り倒したりするつもりはないし、ぜったいにそんなことはさせない。だから、どうか降りてきてくれないか」<br />
<br />
みんな、木の上で、顔を見合わせてしまった。<br />
みんなだまったままだった。<br />
<br />
ぼくは、ポポの木の実を一つ取ると、ゆっくりと木を降りた。<br />
「靖洋君」<br />
「だいじょうぶ。ななちゃん、ぼくにまかせておいて」<br />
<br />
ぼくは木をおりると、ゆっくり背広のおじさんに近づいた。おじさんの向こうには、おまわりさんや、消防士さんがこわい顔をして立っている。<br />
<br />
「よくおりてきてくれたね。ありがとう」<br />
「これ、ポポの木の実です。おりる時にとってきました。さっきのことが本当なら、これを大人のみんなでわけて食べてください」<br />
<br />
「わかった。校長先生、それから、警察や消防の方、それから工事の担当の方、ちょっと集まって下さい」<br />
<br />
そう言うと、背広のおじさんは、大人たちにポポの木の実を分けて食べさせてくれた。みんな、急にやさしい顔になった。<br />
<br />
「なんですな。まあ、子ども相手に大人げなかったですな」<br />
工事のおじさんが頭をかいた。<br />
<br />
「そうですね。子どもの安全確保とはいえ、警察や消防が出てくることで、かえって大変なことになってしまったように思います」<br />
<br />
おまわりさんも消防士さんも、はずかしそうに、頭をかいていた。背広のおじさんが何かを話すと、おまわりさんと消防士さんは、校長先生に何かを話すと、帰ってしまった。そのうち、工事のおじさんたちも、集まってきていた大人たちも、みんな帰ってしまった。<br />
<br />
「これでしんじてくれるかな？」<br />
「ポポの木はどうなると？」<br />
<br />
「ここは病院を建てなきゃいけないから、ポポの木をここに置いておくわけにはいかないんだ。<br />
それに、ここで手入れもされずにほったらかしにされるのはかわいそうだからね。どこかの公園に植えてもらおうと思うんだけど、どうかな？」<br />
<br />
「ほんとに？　切り倒したりせんと？」<br />
<br />
「約束するよ。ぼくもポポの木がなくなるのはいやだからね。今日は工事の人に帰ってもらう。<br />
明日みんなの見ている前で、ポポの木を掘り起こして、工事のおじさんたちにポポの木をどこかの公園に運んでもらおう。もちろん、君たちにもついてきてもらう。どうだい？」<br />
<br />
「ほんとに？」<br />
「ほんとだよ」<br />
<br />
「おおい、みんな降りておいで。ポポの木は切り倒さないって。どこかの公園に植えてもらうって」<br />
<br />
「ほんとに？」<br />
「ほんとだよ。だから工事のおじさんたち、帰っちゃっただろ？」<br />
<br />
少し暗くなってきていたので、木の上からだと、そのことに気付かなかったらしい。木の上から、原っぱ全体を見回して工事のおじさんたちがいなくなったことに気付くと、みんなおりてきた。<br />
<br />
「おじさん、ほんまにポポの木を切り倒したりせえへんの？」<br />
「そんなことしないよ。さっきポポの木の実を食べるのを見てなかったのかな？　おまわりさんも消防士さんも、工事のおじさんたちも、みんなの友だちになったんだよ」<br />
<br />
木の上にのぼっていたみんなと、工事のおじさんたちに木から引きずり降ろされてしまったクラスの友だちが走り寄ってきた。<br />
そうして、背広のおじさんを囲んで、みんなでありがとうって何度もお礼を言った。<br />
<br />
「うれしいけど、なんだかくすぐったいな」<br />
<br />
おじさんがそう言うと、みんな大声でわらった。空を見上げると、ふだんは工場のけむりで見えない星が、たくさん空にうかんでいた。　]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:2581</id>
</entry><entry>
 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ぼくたちの空（１９）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://machi.monokatari.jp/popo?itemid=2579" />
 <author>
  <name>matuzawa</name>
 </author>
 <modified>2005-08-10T09:51:15Z</modified>
 <issued>2005-08-10T18:51:15+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[路面電車のレールが音をたてはじめた。電車がもうすぐ止まるときの音だ。ぼくは、はかせの手を引いて、運転手さんのそばまで近づいた。<br />
<br />
「魚町です」<br />
運転手さんのアナウンスと同時に、ドアがひらく。<br />
「こども二人です」<br />
<br />
うんちんばこに、二人分のきっぷと整理券を入れると、ぼくは、はかせの手を引いて飛びおりた。<br />
<br />
「はかせ、もうちょっとやけんがんばってね。五分もせんうちに原っぱにつくけんね」<br />
<br />
ビルのうらがわをぬけて、知らない人の家の庭を通り抜ける。そして、せまい路地に出て２００メートルほど走ると、学校のうらに出てくる。学校のうらまで来れば、原っぱはすぐそこだ。<br />
<br />
「よかった。みんな待っててくれたよ」<br />
原っぱの前まで来たら、みんなのすがたが見えた。<br />
「ど、どうやらそうみたいだね」<br />
後ろをふりかえると、はかせは、かたでいきをしていた。<br />
運動が苦手なはかせには、魚町の電停から、ここまで走るのは、かなりきつかったらしい。<br />
<br />
「みんな、ただいま。間に合ったぞ。ひろえ先生にちゃんとポポの木の実を……」<br />
<br />
みんなの所に走ろうとした時だった。みんなに混じって、校長先生が立っているのが見えた。よく見ると、みんながないている。<br />
<br />
ひょっとして、ひろえ先生の所におみまいに行ったのがばれたんだろうか。それでみんなしかられてないているんじゃないか。きっとそうだ。どうしよう……<br />
<br />
はかせもそのことに気付いたらしい。ぼくと同じように、足が止まってしまった。<br />
<br />
「古川君、藤原君、こっちに来なさい」<br />
校長先生が、しずかな声で言った。<br />
<br />
ぼくとはかせは、顔を見合わせた後、小さくうなずいた。<br />
しかたがない。ひろえ先生にポポの木の実を届けられたんだ。おこられたってかまわない。<br />
<br />
ぼくとはかせは、二人でならんで校長先生の方に向かって歩いた。<br />
<br />
「校長先生、すいませんでした。ひろえ先生の所におみまいに行くって言い出したのはぼくです。<br />
それから、藤原君を連れて行きたいって言い出したのもぼくです。どうか、藤原君はおこらないでください」<br />
<br />
そう言うと、はかせは校長先生にむかって頭を下げた。<br />
<br />
「校長先生、すいませんでした。大人にだまって博多まで行ったのはいかんと思うけど、行くのを決めたのはぼくです。、はかせ一人が悪いんじゃありません。ぼくも悪いんです」<br />
<br />
げんこつがとんでくると思った。下を向いたまま、地面を見て、はを食いしばる。でもげんこつは飛んでこなかった。<br />
<br />
おそるおそる顔を上げてみると、校長先生の足下に、小さな水が、ぽたぽた落ちていた。かわいた土が茶色く変わっていく。思い切って顔を全部上げてみると、校長先生はないていた。<br />
<br />
「いいんだよ。二人ともよくそんな遠い所まで行けたね。クラスのみんなでせんばづるとよせがきを作ったのも、本当にえらかった」<br />
<br />
校長先生はそう言って、ぼくたちの頭をなでてくれた。<br />
さっぱりわけがわからない。<br />
<br />
何が何だか分からないまま、校長先生に頭をなでられていると、ななちゃんが走ってきて、ぼくにだきついた。みんなも走ってきて、はかせとぼくに抱きついた。みんなないていた。<br />
<br />
「みんな、どうしたの？」<br />
「あのな、さっき……さっき、ひろえ先生が亡くなったんやて。二人が病院にポポの木の実を届けてくれて、こっちに向かって帰ってくるとちゅうに、ひろえ先生が亡くなったんやて」<br />
<br />
ななちゃんは、なみだでぐしゃぐしゃだった。ななちゃんの言葉を聞いて、みんな今度は大声でなきはじめた。<br />
<br />
ぼくは、ぼうぜんとしていた。<br />
新幹線の中で見た夢。あれは夢じゃなかったの？　ひろえ先生が会いにきてくれてたの？<br />
<br />
でもどうして。ひろえ先生は、１２時ちょうどにポポの木の実を食べたもん。あんなにうれしそうだったもん。みんな、うそをつくなよ。校長先生までいっしょになって、ぼくたちをからかってるんだろ。<br />
<br />
校長先生は、頭をなでているのをやめて、ぼくとはかせを抱きしめてくれた。<br />
<br />
「二人とも、よく協力して横川先生の所に行ってくれた。残念だけど、二人が小倉にもどるとちゅう、横川先生は亡くなったそうだ。さっき、九州大学病院から先生の所に電話があった。<br />
<br />
君たちが、あんな遠くまで横川先生のおみまいに行ったなんて信じられなかった。でも、みんながここで、古川君と藤原君の帰りを待っているはずだって病院から連絡があったから来てみたんだ。<br />
ほんとにあんな遠いところまでよく行けたね。横川先生もよろこんでいると思うよ」<br />
<br />
どうして……<br />
<br />
なみだが止まらなくなった。その言葉だけが、頭の中をぐるぐる回り始めた。<br />
<br />
みんな、声をあげてないた。校長先生は、そんなぼくたちを強く抱きしめてくれた。悲しかった。くやしかった。あんなにみんなでがんばったのに。<br />
<br />
くやしくてくやしくてたまらなかった。どうしていいのか分からなくて、みんな声がかれるまでないた。<br />
<br />
どれくらい、みんなないていたんだろう。気が付いたら、みんなの足下の土が、みんなのなみだを吸って、茶色く変わっていた。<br />
<br />
その時だった。遠くから地ひびきのような音が聞こえてきた。<br />
<br />
「なんね？　あの音は」<br />
どんどんその音が近づいてくる。ものすごく音が大きくなったかと思うと、急に静かになった。<br />
<br />
「おい、みんなあれを見ろ」<br />
やんきちが、原っぱの入口を指さした。<br />
大きなブルドーザーだった。それだけじゃない。トラックや大きな機械を積んだ車がたくさん停まっていた。<br />
灰色の作業服を着た大人の人が乗った車もたくさん停まっている。<br />
<br />
ぼくたちがあぜんとしている間に、ブルドーザーやトラックが次々と原っぱに入ってきた。<br />
<br />
「失礼ですが、ここで何をしてらっしゃるんですか？」<br />
トラックの中から、灰色の作業服を着た人が降りてきた。<br />
「それはこちらが聞きたい話ですよ。あなたたちこそなんですか。いきなりあんな物で乗り付けて」<br />
校長先生がおこったように言った。<br />
<br />
「ああ、入口のお知らせをごらんになられなかったんですね。一ヶ月前から出してありますが、ここは市民病院になるんですよ。今日は工事の開始日なんです。申し訳ありませんが危険ですので、ただちに外に出ていただけますか？」<br />
<br />
「ちょっとまってえな。工事って、それやったらポポの木はどうなるん？」<br />
ななちゃんが作業服を着たおじさんに食ってかかった。<br />
<br />
「ポポの木？　ひょっとしてあの木のことかい？　ああ、この空き地に生えてる木や草は、全部切りたおしてしょぶんすることになっています。病院を建てるんで、えいせいじょう良くないですからね」<br />
<br />
「ちょっと待ってください。そんなこといつ決めたんですか。あの木は、子ども達が大事にしている木なんです」<br />
今度は校長先生が食ってかかった。<br />
<br />
「そうは言われましても、我々は工事を進めなければいけませんから。すいませんが、危険ですので、ただちにここから出てください」<br />
<br />
「いやや、うちはどかへん。こればっかりは校長先生がどけ言うても、だれがどけ言うても、ぜったいにどかれへん」<br />
「そうだそうだ。ぜったいにどくもんか」<br />
<br />
クラスのみんなから、口々に声があがった。そしてみんなポポの木のそばに走ると、手をつないで、ポポの木を守る姿勢をとった。<br />
<br />
「おい、体重の軽いやつ。みんなポポの木の上にのぼるんや。そしたら、工事なんてできんし、ポポの木を切りたおしたりできんばい。急げ。急いで木の上にのぼるんや」<br />
<br />
ポポの木に飛びついたり、かたぐるまをしてもらったりして、どんどん上にのぼっていく。それを見つけた作業員の人が、ポポの木に走りよって、友だちを引きずりおろしはじめた。<br />
<br />
「みんなやめなさい。降りてきなさい。あなたたちもやめてください。子どもにらんぼうしないでください」<br />
<br />
校長先生の言う事なんて、だれも聞いていなかった。作業服を来た大人と、クラスのみんなは、どろまみれになって、ポポの木の取り合いをはじめた。<br />
<br />
<br />
]]></content>
 <id>http://machi.monokatari.jp/popo:142:2579</id>
</entry>
</feed>