1500字小説 by 楠 知之 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
2007
09
12
Posted by tomo on 16:40 / Category : 1500字小説


 あたしが仕事から戻ると、台所の方から妹の声が聞こえた。どうやら藍子を叱っているらしい。普段は仲のいい母子だが、藍子が何か特別なことでもしでかしたんだろうと思った。
 彼女は今、小一で、けっこう大柄である。クラスの中では二番目か三番目くらいに背が高いそうだ。
 人懐っこくて明るい性格だけど、時折見せる神経質な面にどきっとさせられることもある。そのナイーブさが両親の離婚からきているのかどうか、あたしにはわからない。妹はそのことを気にしていて、別れたことに悔いはないけど、藍子に時々責められるのよ、と複雑な顔をする。
「こないだなんか唾を吐きかけられたんよ」
「うそじゃろう」
「嘘ちゃうよ。時々そやって荒れるん」
「まあ無理もないか。別れてまだ一年も経ってへんし」
「あーあ」と妹は大きな溜め息をつく。
「おかあちゃんも、おとうちゃんも、口ではなんも言わんけど、内心じゃきっと思うとるろうね」
「なんて?」
「やっと一人片づいて、やれやれと思っとったら、また帰ってきおったって。お姉ちゃんは、いかず後家で、うちは出戻りやし、親孝行なシスターズや」
「いかでもシスターズ」
 あたしは節を付けて、高らかにそう宣言した。
 台所に入ると食卓を挟んで妹と藍子がにらみ合っていた。テーブルの上には口の開いたポテトチップスの袋があり、中身がはみ出している。
「どしたん」
 あたしは、できるだけ呑気そうな声で言うと、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。プシュッという音に続いて、グビグビ、プハーという音が室内にこだまする。
「隠れて食べてたんよ。ぜったいに食べたらいけん言うとるのに」
 普段でも高めの妹の声が、さらに高くなって時々裏返しになる。
「なんでいけんの」
 藍子の唇はまるでヒヨコのクチバシのように尖っている。
「塩分きついし、油で揚げたるし、育ち盛りにはようないの」
「こないだ、おかあちゃん食べとるの見た」
「おかあちゃんは、ええんよ。大人やし」
「だって、まだ育ち盛りやんか。その腹とか」
 それは言えてると、あたしは思わず妹の腹部を見た。タイトなジーンズで締め上げているが、裸のつきあいをする藍子やあたしは、その実体を知っている。
「なに言うてんの。とにかくもう二度と食べたらいけんけえね」
 妹は本気で腹を立てたようで、藍子もそれを感じ取って、しゅんとなった。
「あんまり怒らんときいな」
 あたしは缶ビールを持って食卓についた。
「おねえちゃん、明日も早いん?」
 妹が訊いてくる。
「ちょいゆっくりできるかな。ちゅうても四時半起きやけど」
 あたしは酪農ヘルパーという珍しい仕事をしていて、農家の人が休みを取りたいときなどに、代わりに牛の乳を搾ったりする。面白いけど、朝も早いし、そう楽な仕事ではない。
「晩ごはんの前に、お風呂行こうよ」
 あたしは妹と藍子を交互に見ながら言った。藍子は下を向いたままじっとしている。
 家にも風呂はあるのだが、近くの温泉にあたしたち家族はよく連れ立って入りに行く。ゆったりしてるし、露天があるのもいい。
「うちは、ええよ。気が進まんし」と妹が答える。
 もしかして、腹のこと気にしとるん? と口に出しかけたが、止めておいた。あたしのも五十歩百歩やしな。
 藍子が顔を上げてテーブル上のポテトチップスの袋を見た。やっぱ食べたいのかと思ったとき、藍子は袋に手を伸ばして親指と人差し指で一片をつまみ、あたしたちの方へ差し出した。
「ほら見て、イナバウアー」
 言われてみると、U字形にカーブしたポテトチップは荒川静香の氷上滑走技法に見えなくもない。あたしだけでなく、硬い表情だった妹も思わず吹き出した。藍子独特の発想に感心しながら、子供なりに気を使っているんだと思った。

 



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