【2】五色最古の目黒不動を歩く(1)目黒駅から目黒不動へ - まぼろしの五色不動 by 松永英明 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
2005
18
Mar
Posted by 松永英明 on 13:54 / Category : まぼろしの五色不動
 何はともあれ、五色不動を訪ねてみよう。私は仕事の合間を縫って、五色不動まで実際に歩いてみることにした。最初の目的地は、もちろん、五色不動の中でも最も由緒の古い目黒不動である。

 ところで、インターネットでの情報公開はここ数年で急速にしっかりしたものになったわけだが、以前は図書館で「目黒区史」でも探しに行かなければ見つからなかった「目黒」という地名の由来も、今はちゃんと目黒区ウェブサイトの「目黒の地名 目黒」というページに書かれている。
 ここには五つの説が書かれている。
  1. ●馬畔(めぐろ)説
  2. ●地形説
  3. ●馬の毛色説
  4. ●目黒不動説

鎌倉幕府の公的記録をつづった『吾妻鏡』では、建久元年(1190年)11月の条に、武蔵武士目黒彌五郎が頼朝上洛の際の後陣随兵として二十七番目に記されており、歴史上では鎌倉時代までさかのぼれる「目黒」。残念ながらその由来は定かではなく、いにしえへのロマンをかきたてる。

 少なくとも鎌倉時代には目黒という地名があり、その由来ははっきりしていない。
 目黒不動があるから目黒になった、というのは、どうやら根拠が薄い、というよりも、目黒にあるから目黒不動というのが妥当なように思われる。このことは後で江戸時代の資料を読むときに判明する。
 昭和三十六年発行の『目黒区史』で採用されている最有力説は「馬畔(めぐろ)説」、つまり「馬と畔道(あぜみち)を意味する馬畔という音」に由来するというものである。この目黒区のページにも書かれているとおり、関東には馬、牧場に由来する地名が多い。都内だけでも駒場、駒沢、上馬、下馬、駒込、馬込といった関連地名がある。「メグロ=馬畔」説はかなり説得力があると思う。

 ただ、地形説も興味深い。「め」はくぼ地や谷、すなわち目黒川流域の谷、「くろ」は嶺、すなわちその周囲の丘陵地帯という説だ。
 JR山手線目黒駅を降りて、車の往来の激しい目黒通りを南西方向に歩いていくとしよう。それはなだらかな下り坂となっている。これが権之助坂である。その左右には繁華街と言うには少々古めかしい感じの店が軒を連ねている。
 正直に言わせてもらうと、目黒という街はあまり垢抜けた印象がない。垢抜けない筆者に言われたくもないだろうが、隣の恵比寿がおしゃれの街・渋谷と代官山の勢力圏にあってかなりハイソな印象があるのと比べると、どうしても目黒(厳密に言えば駅前からの下目黒地区)は生活臭にあふれすぎている。一方で、反対側にあるオヤジビジネスマンの歓楽街・五反田のようなオトナの街というのでもない。
 人通りは多く、活気はある。目黒雅叙園という超高級総合宴会場もある。だが、その影響は目黒という街全体には及んでいないような気がするのだ。良くも悪くも、昭和の町並みが残っているかのような印象を受ける。

 権之助坂を降りきったところで、目黒川にかかる新橋を渡る。そこからさらに商店街をくぐり抜けると、前方に広い幹線道路が横切っているのが見えてくる。これが山手通りだ。そして、自動車の往来の途切れることのないこの大きな通りを挟んで、前方に大きな神社が見えてくる。これが大鳥神社である。
 大鳥神社といえば、私は大阪府堺市の鳳駅前にある和泉国「大鳥大社」を思い出す。ここは日本武尊(ヤマトタケルのみこと)を祀った有名な神社だ。実は、この目黒の大鳥神社は和泉の大鳥大社から勧請(つまり神社ののれん分け)されたものだという。
 最初、私はこの大鳥神社は完全にスルーしてしまっていた。文字どおり、神社を横目に通り過ぎてしまっていた。ところが、よくよく調べてみると、ヤマトタケルを祀る神社がこの目黒にあるということは、実は目黒不動と切っても切れない関係があったのである。何度目かの目黒不動来訪の途中で、ようやくこの大鳥神社にも立ち寄ったのだが、何ごとも無視するわけにはいかないようだ。

 だが、とりあえず今は目黒不動への歩みを進めるとしよう。
 大鳥神社からは、今までどおりまっすぐ進むルートと、大鳥神社の角で左に曲がり、山手通り沿いに進んでいくルートがある。まっすぐ進むと有名な「目黒寄生虫館」があるので、寄生虫をわざわざ見に来るカップルたちに混じってキモチワルイ思いをした後で五色不動に向かって道を折れてもいいし、あまり風情のない山手通り沿いに進んで標識どおりに曲がっていってもいい。
 今さら言うのも何だが、実は目黒駅からのルートは目黒不動への参詣ルートとしては裏口になってしまう。もし正面から目黒不動のある滝泉寺に向かいたいのであれば、東急目蒲線の不動前駅から行くのが正道だ。とりあえずそちらの道は帰りにたどることにしよう。

 住宅街を抜けて歩みを進めると、やがて赤い門が見えてくる。目黒不動尊のあるお寺の正式名称は滝泉寺。
 目黒区教育委員会による解説文が脇に掲げられている。
目黒不動 下目黒3-20-26

 天台宗で泰叡山滝泉寺といい、大同3年(808)に慈覚大師が回創したといわれています。徳川3代将軍家光が堂塔伽藍を造営し、それ以来幕府の保護があつく、江戸近郊におけるもっとも有名な参拝行楽の場所となって、明治まで繁栄をきわめました。
 境内は台地の突端にあり、水が湧き老樹が茂り、独鈷の滝や庭の池が美しく、庶民の信仰といこいの場所でした。
 壮麗をきわめた古い建物は、戦災で大半が消失しましたが、本堂、仁王門、書院、鐘楼などの再建が着々と進められ、「前不動堂」(都指定文化財)、「勢至堂」(区指定文化財)は、江戸時代の仏堂建築としての面影を残しています。
 また、境内には「銅造役の行者倚像」「銅造大日如来坐像」(区指定文化財)があります。
 裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡として知られ、墓地には青木昆陽の墓(国の史跡)があります。

 仁王像の間をくぐり抜けると、やや広い境内が広がっている。そして、独鈷の滝の水かけ不動尊や、江戸時代の木像不動尊が祀られている前不動堂がある。だが、これはまだ入り口にすぎない。奥には急な石段があり、その上に目黒不動尊の祀られる本殿がある。そして、本殿の右手には、石造の不動明王とそのとりまきである八大童子の像がある。
 そのほか、境内には「甘藷先生」こと青木昆陽、二・二六事件とゆかりの深い北一輝、目黒に住んでいたという童謡作曲家・本居長世の碑がある。

 



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