阪神大震災の記憶のために Ⅱ
震災が1995年の1月だったから、来年で10年になる。10年という一つの区切りが過ぎてしまえば、マスコミや自治体の様々な取り扱いも小さくなるだろうと言われている。確かに区切るということも大切なことだと思うし、行政や新聞がどうであろうが、一人ひとりの個人にとっては関係ないとも思っている。私の10年を区切れば、私は震災についていくつかの文章を発表してきた。今は休刊した演劇情報誌「JAMCi」*1で劇評に事寄せて、関西の文化の一翼を担おうとして同じく休刊した「Brain Salad」*2には震災を取り上げた演劇について、震災後の神戸の市井のラディカルな発言を掲載した「Re・set」や大学図書館問題研究会の会報では雑感を、勤め先の大学の公開講座(詩人の季村敏夫さん*3との二本立て)で「震災と演劇」について話し、その季村さんに誘われて『生者と死者のほとり-阪神大震災の記憶のために』(人文書院)に寄稿した「風景が壊れている、…そして私も」(以下、「風景」と略す)は、高等学校の国語教科書「ちくま現代文 改訂版」(筑摩書房)に収録され、話題になった。
文章が教科書に載るということは珍しいことで、まして震災のことというので、いくつかの新聞の取材を受けたりもしたのだが、このことで浮かれたり誇ったりしては絶対にいけないなと思ったし、ある人にそう言われもした。だからあえて、教科書掲載のことなど何もなかったように過ごすことを、自らに課すように淡々と暮らしてきたつもりだ。そのことで物足りない思いをしたこともなかったわけではないし、他のある人からは、もっと発信すべきだ、君には使命があるというふうな言われ方をしたりもした。
今ふりかえって、震災について書くとはいったいどういうことだったのか。そして数年のブランク(?)を経てまた書こうというのはどういうことなのだろう。 「風景」を書いたのは、季村さんの誘いがあったからとはいえ、書きたい、書かなければならないという衝迫があったと思う。今、2004年の秋に旧知の古澤さん*4から震災について書けと言われ、ためらう自分がある。それは、この数年間、震災について書くこと以外はあえて何も関わってこなかった負い目であったり、日々震災のことを忘れて過ごしているように思えてしまうことによる負い目であったりする。
その一方で「いや、忘れていない」と言いたい自分がある。また逆にことさらに忘れていないと言い立てることを忌む私も意識する。「風景」で、被災地の中心にいながら被害がなかったことによる負い目のようなアンビヴァレントな思いを綴ったと「評価」された私が*5、10年目を迎えようとしてまた同じような思いに陥っていることをおかしくも思うが。
私が私に問おうとしているのはまず、経験してしまったことは風化したり、劣化したりするのだろうか、ということだ。ある人を愛したこと、ある人を失ったこと……そのような経験は、時を経て、いったいどこかへ行ってしまうというのだろうか。
時々思い出すのが、村上春樹の『ノルウェイの森』の第一章だ。18年前の「あの草原の風景」を妙に覚えていることことが示され、その話に入る前に記憶と風景について語られる。
文章が教科書に載るということは珍しいことで、まして震災のことというので、いくつかの新聞の取材を受けたりもしたのだが、このことで浮かれたり誇ったりしては絶対にいけないなと思ったし、ある人にそう言われもした。だからあえて、教科書掲載のことなど何もなかったように過ごすことを、自らに課すように淡々と暮らしてきたつもりだ。そのことで物足りない思いをしたこともなかったわけではないし、他のある人からは、もっと発信すべきだ、君には使命があるというふうな言われ方をしたりもした。
今ふりかえって、震災について書くとはいったいどういうことだったのか。そして数年のブランク(?)を経てまた書こうというのはどういうことなのだろう。 「風景」を書いたのは、季村さんの誘いがあったからとはいえ、書きたい、書かなければならないという衝迫があったと思う。今、2004年の秋に旧知の古澤さん*4から震災について書けと言われ、ためらう自分がある。それは、この数年間、震災について書くこと以外はあえて何も関わってこなかった負い目であったり、日々震災のことを忘れて過ごしているように思えてしまうことによる負い目であったりする。
その一方で「いや、忘れていない」と言いたい自分がある。また逆にことさらに忘れていないと言い立てることを忌む私も意識する。「風景」で、被災地の中心にいながら被害がなかったことによる負い目のようなアンビヴァレントな思いを綴ったと「評価」された私が*5、10年目を迎えようとしてまた同じような思いに陥っていることをおかしくも思うが。
私が私に問おうとしているのはまず、経験してしまったことは風化したり、劣化したりするのだろうか、ということだ。ある人を愛したこと、ある人を失ったこと……そのような経験は、時を経て、いったいどこかへ行ってしまうというのだろうか。
時々思い出すのが、村上春樹の『ノルウェイの森』の第一章だ。18年前の「あの草原の風景」を妙に覚えていることことが示され、その話に入る前に記憶と風景について語られる。
- 注1:「じゃむち」と読む。私はこの雑誌でコンテンポラリー・ダンスの公演評のほか、演劇の公演評、舞台関係者へのインタビューなどを担当していた。松本工房発行、1998年2月休刊。
- 注2:1994年末創刊の、関西発の情報にこだわったポップカルチャーマガジン。特集「関西の出版社」「関西コミック・カルチャーの現在」、また高村薫、青木雄二、川崎ゆきおへのインタビューなど、意欲的な企画を続けたが、惜しくも休刊。
- 注3:きむら・としお。詩人。震災後の詩集に『日々のすみか』『かむなで』、最新刊『木端微塵』(2004年、書肆山田)。「震災・まちのアーカイブ」という、震災に関する資料を収集、保存する団体の主要メンバー。「視聴覚通信」15号(1995年7月17日刊)の中で「揺れが収まったと思われて、散乱したCDを掻き分けてようよう居間に足を踏み入れると、三本の本棚が折り重なり、わりと奮発して買ったライトが落ち、足をおろす場所を探すのも大変な状態だったが、白いソファーの上に神戸の詩人である季村敏夫の詩集『都市のさざなみ』(1991年、書肆山田)が、ポンと置かれたように表紙を見せていた。」と紹介しているように、暗合ともいえるような縁のある存在。
- 注4:注2の「Brain Salad」の編集長。
- 注5:たとえば毎日新聞の「余録」で「周りは悲惨な状況なのに、全く被害のない人ももちろんいた。そんな人たちは、どうなったのか。そこまでは考えが及ばなかったから、これを読んだ時、意表をつかれた」(1999年7月19日)と紹介された。
本日:1
今週:4
累計:3501(5/9 15:00より)
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re-setのその後が、どうなっているのかなんとなく気になり、検索チ?ていると、このサイトに出会いました。
わたしも、一市民として、re-setと出会い、時々文章を寄せていたものです。
あれから、いったい何がしたいのか、迷いすぎて、ある意味疲れてしまった感覚が現時点ではあるのですが、なにか新しくできることがあるのかなあ。。。
また時々、お邪魔したいと思います。