2006
18
Nov |
現在の浅草橋は、地上には東西方向にJR総武線が走り、地下に潜れば南北方向に都営浅草線の走る、交通の要所になっている。
浅草橋のもう一つの顔としては問屋街として有名である。日本橋から小伝馬町を経て、ずっとオフィス街であった街の景色が、いつの間にか問屋街へと風景を変えていく。ビーズの専門店やマグネットの専門店などを横目で見ながら歩き進むと、蔵前1丁目の交差点を越え、さらに駒形へと向かっていく。
駒形では、まず始めに街道沿いに「駒形どぜう」の奇妙な木造の建物が目に飛び込んでくる。
創業1801年のドジョウ料理の老舗。昔から浅草観音への参拝客に人気のあった名店である。「どぜう」というのは、「どじょう」の四文字は縁起が悪いということで初代店主が三文字の「どぜう」に店の名前を変えたらしい。いかにも街道筋の老舗という味のある木造建物と街路樹の柳が良い味を醸し出している。
近くまで寄ってみると、「駒形どぜう」の建物に向かってウルトラマンが仁王立ちしているのが分かる。いかにも場違いな人形が無造作に置いてあるのが不思議である。しかし、そのウルトラマンの置いてある建物の名前を見て納得した。バンダイの本社ビルであったのだ。

バンダイは1950年に(株)萬代屋として設立された玩具メーカーである。当初はセルロイド製の玩具の販売を浅草橋で始めたのがきっかけであった。流行を追って子供たちに夢を売り続ける玩具メーカーと200年以上続くドジョウ料理の老舗店舗が道を一本挟んで並んでいるというのも、これまた不思議な風景である。
駒形を過ぎると街の雰囲気は明らかに違ったものになる。右手に駒形橋が見える交差点から左を見ると観光客が大勢集まっている雷門の大きな赤い提灯が見える。左には曲がらずにさらに街道を直進すると吾妻橋の交差点に着く。
日本橋から約4km。ノンビリ歩きながら、およそ1時間が経過した。秋晴れの天気の下、初めは清々しかったのだが、だんだん足が疲れてきた。
吾妻橋の交差点には、浅草寺から観光客を乗せたのであろう人力車が行き交っている。昔の街道もこんな光景を目にすることが出来たのだろうか。
雷門を背にして隅田川を眺めると、吾妻橋の先に奇妙なモニュメントが光って見えた。

22階建てのアサヒビール吾妻橋本部ビルは「アサヒビールタワー」と呼ばれ、琥珀色の柄図と頭頂部の白い外壁が泡の溢れるビールのジョッキをイメージしている。その隣にある奇妙なモニュメントのある建物が「スーパードライホール」であり、フランスのフィリップ・スタルクというデザイナーが考案した「炎のオブジェ」である。これが建設された1989年当時には、奇抜なオブジェについて議論を醸し出したが、現在では浅草のランドマークとなっている。
吾妻橋の交差点は隅田川を通る水上バスの発着所となっていて、さらに日光方面に向かう東武伊勢崎線の浅草駅にも近く、平日であっても常に観光客で混雑している。
吾妻橋交差点を左に折れ雷門へと向かう。その角に古めかしい看板の「神谷バー」がある。明治15(1882)年から浅草名物のデンキブランを考案し、現在でもメニューに載せている。明治の頃は電気が珍しく、舶来のハイカラな物には何でも電気と名付けたらしい。ブランはブランデーのことで、つまり、デンキブランとはブランデーベースのカクテルのことである。発売当時はアルコール度数が45度という、お洒落なお酒にしてはかなり強力であったといわれる。

神谷バーの目の前を通って、観光客をかき分けるように進み、右に曲がると雷門の赤い提灯が再び見える。ドジョウに始まり、ウルトラマン、近代的なビールのモニュメントにデンキブラン。時間軸を複雑に行ったり来たりしながら、やっと浅草の中心地、浅草寺まで辿り着いたのだ。
…つづく
浅草橋のもう一つの顔としては問屋街として有名である。日本橋から小伝馬町を経て、ずっとオフィス街であった街の景色が、いつの間にか問屋街へと風景を変えていく。ビーズの専門店やマグネットの専門店などを横目で見ながら歩き進むと、蔵前1丁目の交差点を越え、さらに駒形へと向かっていく。
駒形では、まず始めに街道沿いに「駒形どぜう」の奇妙な木造の建物が目に飛び込んでくる。
創業1801年のドジョウ料理の老舗。昔から浅草観音への参拝客に人気のあった名店である。「どぜう」というのは、「どじょう」の四文字は縁起が悪いということで初代店主が三文字の「どぜう」に店の名前を変えたらしい。いかにも街道筋の老舗という味のある木造建物と街路樹の柳が良い味を醸し出している。
近くまで寄ってみると、「駒形どぜう」の建物に向かってウルトラマンが仁王立ちしているのが分かる。いかにも場違いな人形が無造作に置いてあるのが不思議である。しかし、そのウルトラマンの置いてある建物の名前を見て納得した。バンダイの本社ビルであったのだ。

バンダイは1950年に(株)萬代屋として設立された玩具メーカーである。当初はセルロイド製の玩具の販売を浅草橋で始めたのがきっかけであった。流行を追って子供たちに夢を売り続ける玩具メーカーと200年以上続くドジョウ料理の老舗店舗が道を一本挟んで並んでいるというのも、これまた不思議な風景である。
駒形を過ぎると街の雰囲気は明らかに違ったものになる。右手に駒形橋が見える交差点から左を見ると観光客が大勢集まっている雷門の大きな赤い提灯が見える。左には曲がらずにさらに街道を直進すると吾妻橋の交差点に着く。
日本橋から約4km。ノンビリ歩きながら、およそ1時間が経過した。秋晴れの天気の下、初めは清々しかったのだが、だんだん足が疲れてきた。
吾妻橋の交差点には、浅草寺から観光客を乗せたのであろう人力車が行き交っている。昔の街道もこんな光景を目にすることが出来たのだろうか。
雷門を背にして隅田川を眺めると、吾妻橋の先に奇妙なモニュメントが光って見えた。

22階建てのアサヒビール吾妻橋本部ビルは「アサヒビールタワー」と呼ばれ、琥珀色の柄図と頭頂部の白い外壁が泡の溢れるビールのジョッキをイメージしている。その隣にある奇妙なモニュメントのある建物が「スーパードライホール」であり、フランスのフィリップ・スタルクというデザイナーが考案した「炎のオブジェ」である。これが建設された1989年当時には、奇抜なオブジェについて議論を醸し出したが、現在では浅草のランドマークとなっている。
吾妻橋の交差点は隅田川を通る水上バスの発着所となっていて、さらに日光方面に向かう東武伊勢崎線の浅草駅にも近く、平日であっても常に観光客で混雑している。
吾妻橋交差点を左に折れ雷門へと向かう。その角に古めかしい看板の「神谷バー」がある。明治15(1882)年から浅草名物のデンキブランを考案し、現在でもメニューに載せている。明治の頃は電気が珍しく、舶来のハイカラな物には何でも電気と名付けたらしい。ブランはブランデーのことで、つまり、デンキブランとはブランデーベースのカクテルのことである。発売当時はアルコール度数が45度という、お洒落なお酒にしてはかなり強力であったといわれる。

神谷バーの目の前を通って、観光客をかき分けるように進み、右に曲がると雷門の赤い提灯が再び見える。ドジョウに始まり、ウルトラマン、近代的なビールのモニュメントにデンキブラン。時間軸を複雑に行ったり来たりしながら、やっと浅草の中心地、浅草寺まで辿り着いたのだ。
…つづく
day:3
week:4
total:1809(since 09/may/2005 15:00)
Comments
駒形どせう本店前のウルトラマンは見てみたいな!
浅草は東京で暮らしていた頃、わりと好きなマチでよく遊びに行きました。神谷バーの電気ブランも懐かしい。
本当はもっとクラシックなお店を想像していたのですが改装された神谷バーは大衆キッチンのようでしたね。
浅草に最初に行った思い出は雷門じゃなくて、ロックのストリップ!
フランス座にもいったな。
あと閉鎖された常盤座で観た劇団第七病棟の芝居は今でも鮮明に覚えてます。
歩いて楽しいマチですよね、浅草。
浅草は東京で暮らしていた頃、わりと好きなマチでよく遊びに行きました。神谷バーの電気ブランも懐かしい。
本当はもっとクラシックなお店を想像していたのですが改装された神谷バーは大衆キッチンのようでしたね。
浅草に最初に行った思い出は雷門じゃなくて、ロックのストリップ!
フランス座にもいったな。
あと閉鎖された常盤座で観た劇団第七病棟の芝居は今でも鮮明に覚えてます。
歩いて楽しいマチですよね、浅草。
on 11/26/06 at 18:19:PM






