85歳の反抗期 3
翌日、私は再び青木画材店に足を運んだ。前回紹介した「山の神」を意識的に避けながら、別の絵を見て回った。「別離」という画題の一〇〇号の油彩は、「山の神」よりもさらに暗い色調であった。何やら人々が集まっている。後方には「怨念の竜巻」とでもいうべきか、何とも不気味なものが立ち上っている。画面中央、しゃがみ込んだ人の近くの土の中から、強い光が噴出し、人々を下から浮かび上がらせる。レンブラントの「夜警」を思わせるような光の表現だ。画面全体に深い悲しみが漂っている。この悲しさは、どこから来るのだろう。この絵も、私をとらえて離さなかった。
「別離」(クリックして大きな画像でごらんください)
「いらっしゃいませ」
壁の向こう側に部屋があり、そこから背広姿の人物が現れた。外出するところだったのだろうが、私を見て表情を崩しソファーを勧めた。
「絵は全く興味なかったとですよ」
私は中学以来、絵を描いたことがないこと。弥勒祐徳という名前が妙に気になってここに来たことなどを告げた。背広の男性は、青木脩というこの画材店の社長さんだった。人なつっこい顔をさらに崩して話し始めた。
「弥勒先生は、すごい先生で……」
要約すると、こうである。弥勒祐徳氏は、宮崎県画壇の最高賞である宮日総合美術展(宮崎日日新聞社主催)で三回特選を獲得し、「無鑑査」の地位にある。県内では現役の無監査は二十数人しかいない。また、宮崎県展でも数回特選を取っている。中学校の美術教師を勤め、退職後も画業は盛んで、85歳の今も元気に描き続けている。文部大臣の地域文化功労賞、県民文化賞、そして昨年は、西都市民栄誉賞を受けている。特に神楽は有名である。
「先生は、今日は見えないのでしょうか」
「いえ、もうすぐ見えますよ。あっ、来られました」
「おはようございます。社長、エレかったー」
「えらい」とは、宮崎の方言で「きつい」とか「だるい」とかそんな意味である。ほかに「のさん」と「よだき」、「だれた」もある。いずれも微妙にニュアンスが違うのだが、私には使い分けはできない。この場合、特定の何かが「エレかった」のではないようだった。あいさつと考えてよい。
弥勒先生は社長の隣に座った。小柄で、マッシュルーム型の髪はボサボサ。紺のジャージ上下に安物のジャンパーを羽織り、首にタオルを巻きつけている。ジャージにもジャンパーにも、ベタベタと絵の具をくっつけておられる。
正直、面食らった。乞食と言えば言い過ぎだが、とても「偉い先生」には見えなかった。私はただ、人は外見で判断してはならないと、小学校の道徳の時間か何かで習ったことを頭の中で反芻していた。
青木社長に紹介された私は、おそるおそる口火を切った。
「ミロクは弥勒菩薩のミロクですね」
「はい。本名ですが」
これまでに、数え切れないほどの似たような質問を受けてきたのだろう。思えば失礼な質問だったが、弥勒先生は顔色ひとつ変えなかった。
「弥勒先生は、神楽を描いておられるのですか」
「はい。もう四十年になりますかなー。県内の神楽はだいぶん行きましたなー」
「山の神は、あんな風な顔しているとですか」
「なに、面を着けて舞うっちゃかい、私の想像ですな」
「別離ですが……」
「あれは、サブカワ(寒川という集落)にいたころよ。子どもが交通事故で死んでよ。その葬式ですな」
「絵は分からんとですが、ひどく悲しいですね」
「ですなー。サブカワでは、部落内はみんな親戚みたいなもんでよ。自分の子どもが死んだごつ、ありますかい」
「都会とはちがいますねー」
「違いますなー。ただ、それだけじゃねーツよ」
弥勒先生は席を立ち、絵の方に歩いていった。従った私を振り返り、指さした。
「関係ねーツがおりますな。ホイじゃかい、悲しいッツよ」
なるほどよく見れば、野球帽をかぶった人物は集団に背を向け、とぼけた顔でだれかと喋っている。
「どげな葬式でん、仕方なしに来ちょるとがおりますな。別に悲しゅうはないが、浮世の義理で香典を包んじょりますな。全員が悲しい顔をしちょってん、いかんですな。悲しくない人間も描かんと、悲しさが出らんですな」
何たるユニークな絵画論。いや、論にはなっていない。そこにあるのは、人間理解の深さとユニークさである。私は、弥勒先生の口からポツポツと紡ぎだされる言葉を聞きながら、この「じいちゃん」はただ者ではないと確信した。
「別離」(クリックして大きな画像でごらんください)
「いらっしゃいませ」
壁の向こう側に部屋があり、そこから背広姿の人物が現れた。外出するところだったのだろうが、私を見て表情を崩しソファーを勧めた。
「絵は全く興味なかったとですよ」
私は中学以来、絵を描いたことがないこと。弥勒祐徳という名前が妙に気になってここに来たことなどを告げた。背広の男性は、青木脩というこの画材店の社長さんだった。人なつっこい顔をさらに崩して話し始めた。
「弥勒先生は、すごい先生で……」
要約すると、こうである。弥勒祐徳氏は、宮崎県画壇の最高賞である宮日総合美術展(宮崎日日新聞社主催)で三回特選を獲得し、「無鑑査」の地位にある。県内では現役の無監査は二十数人しかいない。また、宮崎県展でも数回特選を取っている。中学校の美術教師を勤め、退職後も画業は盛んで、85歳の今も元気に描き続けている。文部大臣の地域文化功労賞、県民文化賞、そして昨年は、西都市民栄誉賞を受けている。特に神楽は有名である。
「先生は、今日は見えないのでしょうか」
「いえ、もうすぐ見えますよ。あっ、来られました」
「おはようございます。社長、エレかったー」
「えらい」とは、宮崎の方言で「きつい」とか「だるい」とかそんな意味である。ほかに「のさん」と「よだき」、「だれた」もある。いずれも微妙にニュアンスが違うのだが、私には使い分けはできない。この場合、特定の何かが「エレかった」のではないようだった。あいさつと考えてよい。
弥勒先生は社長の隣に座った。小柄で、マッシュルーム型の髪はボサボサ。紺のジャージ上下に安物のジャンパーを羽織り、首にタオルを巻きつけている。ジャージにもジャンパーにも、ベタベタと絵の具をくっつけておられる。
正直、面食らった。乞食と言えば言い過ぎだが、とても「偉い先生」には見えなかった。私はただ、人は外見で判断してはならないと、小学校の道徳の時間か何かで習ったことを頭の中で反芻していた。
青木社長に紹介された私は、おそるおそる口火を切った。
「ミロクは弥勒菩薩のミロクですね」
「はい。本名ですが」
これまでに、数え切れないほどの似たような質問を受けてきたのだろう。思えば失礼な質問だったが、弥勒先生は顔色ひとつ変えなかった。
「弥勒先生は、神楽を描いておられるのですか」
「はい。もう四十年になりますかなー。県内の神楽はだいぶん行きましたなー」
「山の神は、あんな風な顔しているとですか」
「なに、面を着けて舞うっちゃかい、私の想像ですな」
「別離ですが……」
「あれは、サブカワ(寒川という集落)にいたころよ。子どもが交通事故で死んでよ。その葬式ですな」
「絵は分からんとですが、ひどく悲しいですね」
「ですなー。サブカワでは、部落内はみんな親戚みたいなもんでよ。自分の子どもが死んだごつ、ありますかい」
「都会とはちがいますねー」
「違いますなー。ただ、それだけじゃねーツよ」
弥勒先生は席を立ち、絵の方に歩いていった。従った私を振り返り、指さした。
「関係ねーツがおりますな。ホイじゃかい、悲しいッツよ」
なるほどよく見れば、野球帽をかぶった人物は集団に背を向け、とぼけた顔でだれかと喋っている。
「どげな葬式でん、仕方なしに来ちょるとがおりますな。別に悲しゅうはないが、浮世の義理で香典を包んじょりますな。全員が悲しい顔をしちょってん、いかんですな。悲しくない人間も描かんと、悲しさが出らんですな」
何たるユニークな絵画論。いや、論にはなっていない。そこにあるのは、人間理解の深さとユニークさである。私は、弥勒先生の口からポツポツと紡ぎだされる言葉を聞きながら、この「じいちゃん」はただ者ではないと確信した。
本日:1
今週:6
累計:2530(5/9 15:00より)
on 04/01 at 15:55:PM
すごい迫力の絵ですね⋯⋯日野日出志の漫画みたい。(←すごくグロテスクで、おどろおどろしい漫画を描く方です)部屋に飾りたくはないけれど、どこかに展示されてあったら、たまに行ってこっそり眺めたくなりそうです。
on 04/01 at 20:52:PM
貼り付けた写真は、私が、ニコンのクールピックだったかな、ほとんどおもちゃのようなデジカメで撮ったものです。本物の巨大、色の鮮明さ、そして、おどろおろどしさは、どうにも再現できていません。次回は、これが同じ画家が描いたのが信じられないほどの明るい絵をご紹介します。
on 04/03 at 21:15:PM
TAKAさん、いつか弥勒先生のファン、支持者を束ねてカネを作り、画集を出すのが私の目標です。そんときはTakaさんに、山を下りて三納に行ってもらいたいと考えています。そのためには、何か、動くことが必要だと思っています。何か、いい智恵があったら教えてください。
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酔っ払いとは、「ゲ」に恐ろしきもの。マチモ開いて、この原稿をアップしていたのですから。で、その後、さすがに、何度も書き直しております。