序章-猫間川をさがせ by 椋 康雄 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
序章
author: 椋 康雄
Posted on 02/01
 たいしたことでもないのに、気になってやりすごせない、というようなことがたまにある。それはやはり、その「何か」に呼ばれているということなのだろうか。

 私の「何か」は、猫間川という、今はもう存在しない川である。

 今も大阪を流れている平野川の支流であり、平野川と並行してその西側を流れていたが昭和三十二年頃埋め立てられ、下水管とされてしまった。川の流路の跡は、主に舗装道路となっている。

 そう書いてしまうと何ということもない。ただ、私が本の上――恐らくは『大阪府の地名』といったタイトルの本だったろう――で、初めてこの川の名前に接した時、その奇妙な名前に惹かれ、川が人間の都合で無くなったりすることもあるのだ、という事実に微かな驚きを感じ、さらにはその川がもしかしてその当時自分が住んでいた地所のまん前を通っていたかもしれない――と感じた時に、この川を探してみよう、という、いい大人が通常しないような探検を始めるきっかけとなってしまった。一九九九年の夏のことである。ちなみに、うちの前を流れていたのか、という直感は外れていた。その経緯は、改めて書くこととする。

 子供じみた探検は、今に至るまで続いている。それは、なかなか猫間川の姿が見えてこない、ということにより、余計に呼び込まれてしまったのではないだろうか。実際、猫間川のだいたいの流路を知るまでに、私は数ヶ月を要してしまった。暇に任せてまちを歩き図書館に通い、本を買い漁った末のことだった。

 この埋め立てられてしまった川について、まとまった記述を遺している書物は少なく、実際に歩いてみても猫間川に焦点を当てた看板など残ってはいない。

 それでも、単に猫間川についての事歴を知りたかっただけならば、『大阪市史』の記述を読了した時点で探検は終わっていて良かった。この、余り頻繁にページをめくられる類のものでない書物には、珍しくまとまった考察が収められていて、流路にどのように人の手が加えられてきたのか、といったことが考古学的な事歴も含めて書かれている。

 実際には、私の猫間川探しは終わっておらず、終わらないままに私は『猫間川をさがせ』を形にしようとし始めているのだが、そうまでする理由のひとつには、ひとの記憶になまなましく残っている猫間川の記憶を知りたい、その記憶を形に残したい、という欲求があるのだろうと考えている。

『猫間川をさがせ』は私の猫間川探しにまつわる、冴えない独身時代の日記の焼き直しのようなものとして書き出さざるを得ないが、それに触発されて猫間川についての記憶を語って下さったり、猫間川が偶然にでも写り込んでいる写真を見せて下さる方が現れるかもしれない、というような淡い期待もあり、そういう意味で目的と手段を兼ねた、妙なものになるのだろうと思う。

 もちろん、結果は分からない。鶴橋に細工谷(さいくだに)という場所があり、その近くの店で立ち話で猫間川について「ここらへんを流れてましたよね?」と聞いてみたところ、珍しく反応があったが、「川というか、溝みたいなものだったけどねぇ」というひとことだったことがあった。ほとんどのひとの認識がそういうものだったとすれば、私の目論見は期待外れに終わるかもしれないのだが。

 最後に、もうひとつの理由だが、大阪に住むよそものとして、このまちの在り方の文句のひとつも言っておきたい、という気持ちがある。

 大阪では他にも多くの川が埋められてしまっている。ほとんどが川というよりは運河のようなものだったのだが、都市化の過程で道路にされてしまっている。猫間川もしばしば人の手によって手を加えられ、大阪城の堀としての役割を担っていたので同じように運河のようなものかもしれない。

 ただ、原初的には平野川の支流として自然に存在していた。そういう川を、にべもなく埋め立ててしまったまちを、「水都」「八百八橋」というような言葉で飾りつけることが行われることがある。確かに大阪はかつては水都と呼ぶに相応しいまちだったが、今はそうではない。そういう素朴な反省のことばを、余り聞いたことがない。

 そのことについてのささやかな弾劾が、結果として私の文章からにじみ出てくるだろうが、できればそこの部分だけは大阪というまちのおおらかさによって流して頂ければと考えている。

本日:1 今週:5 累計:4523(5/9 15:00より)



on 02/14 at 22:59:PM
はじめまして。緋川です。
前に何かの本で「渋谷の街の下には、無数の川が流れている」という話を読んで、「消えた川」に興味を抱いていました。
特に都会では、そうやって人間の手で闇の中に追いやられた川が、たくさん存在しているのだと思います。
次回を楽しみにしています。
on 02/15 at 21:47:PM
緋川様

コメントありがとうございます。椋です。

童謡の『春の小川』は渋谷川という川をうたったもので、いまはやはり下水管なのだそうですね。

いまアスファルトとコンクリートで固められている場所でも、つい数十年前にはのどかな田園風景が広がっていた。猫間川もそうだったようです。
on 11/28 at 15:36:PM
はじめまして、
序章を読んで、共感しメールをいたしました。私は大阪の十三近くに住んでいます。昔、生まれ育った十三にも街中を川や水路があちこちにあったことを知り、興味をもって調べたことが有ります。まだ序章と少しを読んだだけですが、ゆっくり読ませていただきます。
on 12/07 at 02:23:AM
新之介様

コメントありがとうございます。

私が最初に大阪でひとり住まいしたのが三国でして、十三も懐かしい場所です。「十三のいま昔を歩こう」を興味深く読ませて頂いております。

何か気が付いた点がございましたら、またコメント頂きますようお願い致します。
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