河口
ある日、「それ」を見つけた。一九九九年のことだが、季節が夏だったのか、秋だったのか、どうも思い出せない。
場所は、大阪城公園の駅を出てすぐの弁天橋という橋の上で、第二寝屋川という川にかかっている。この第二寝屋川という、いかにも行政の香りがする命名が私は好きになれない。橋の西側の歩道に立つと、右手には京橋のビジネスパークが、左手には大阪城公園がひろがっている。どちらかというと新しく出来た風景で、これらの風景についても私は、「なんとなく、白けた風景」だといつもおもっていた。
森之宮の公団住宅でひとり住まいをしていたわたしは、大阪城公園の駅を降りてそこに立った訳ではなく、「それ」を探して第二寝屋川に沿って歩き、環状線の高架の下の狭い路地を潜って、そこに至ったのだ。そしてひとり静かに感動したりしていた。
勿体ぶるほどのことはないのだが、「それ」とは猫間川の河口位置らしきもののことである。
弁天橋の大阪城寄りの河岸付近に立つと、河岸にわずかなへこみがあり、その切れ込んだ部分に鉄板がコンクリートに埋め込まれたらしい様子が見て取れる。「河口の跡が残っている」と感じた瞬間だった。
私がこれを河口の跡だと考えた根拠は、ひとつしかない。『大阪砲兵工廠の八月十四日』(東方出版)という書物の、それも巻末についている大阪砲兵工廠の地図である。現在の地図もついているので比較し易いが、当時の城東線、いまの大阪環状線と平野川が交差する箇所で、線路のすぐ西側に猫間川が流れ込んでいる様子がよくわかる。
大阪砲兵工廠は、現在の大阪城域の東半分からJRの列車倉庫、京橋ビジネスパーク、更には私が住んでいた公団住宅までをも含む広大な敷地を誇っていた軍事工場だが、今はその痕跡を探すことすら難しい。猫間川はその敷地内を南から北に流れ、その敷地内で平野川に注いでいたことになる。(余談になるが、「平野川に注いでいた」という表現が私には好ましく、現在の河口位置付近が第二寝屋川という無味乾燥な命名を受けていることを疎ましく感じる所以でもある)
地図上の猫間川の河口位置が前述の「へこみ」とほぼ一致する。他にそのことを証してくれたひとがおらず、思い込みかもしれないとおもわないこともない。
実のところ、この発見をするまで河口はJRの線路を挟んで向こう側にあるのだろうかと考えていた時期が数ヶ月続いていた。そこには「猫間川」という名前が地図に記載されている数少ない例、「猫間川抽水所」という施設があるのだ。「抽水所」という施設の役割が何なのか、最近まで漠然と分からないままにしてきたが、雨水が川に注ぐ量を調節し、氾濫を防ぐための施設であるらしい。猫間川は現在、下水道として地下に埋められている、という言い方が出来るが、もしその下水管に雨水が集まって流れていて、猫間川抽水所で水量を調節したうえで第二寝屋川(平野川)に流しているのであるならば、この抽水所こそ現在の河口といえるのかもしれない。対岸の堤防によじ登ってみると、抽水口とみられる土管が川に向かって口を開けているのをみることができる。
私の見つけた「河口跡」の背後には、大阪城ホールへと続くみちがある。週末にアマチュアバンドが路上ライブを繰り広げる場所で、独身時代の予定のない休日、ふとんの中でへたばりながら、遠くで聞こえる演奏を聞くともなしに聞いていた。その音の中には、のちにメジャーデビューを果たしたミュージシャンの音も混じっていたかもしれないが、いちどもそれを聞きに大阪城公園に出かけたことがなかった。私がふとんから身を起こして探しにでかけたのが川岸に残されたちょっとしたへこみであったことに、なんとはない可笑し味を感じてしまう。
場所は、大阪城公園の駅を出てすぐの弁天橋という橋の上で、第二寝屋川という川にかかっている。この第二寝屋川という、いかにも行政の香りがする命名が私は好きになれない。橋の西側の歩道に立つと、右手には京橋のビジネスパークが、左手には大阪城公園がひろがっている。どちらかというと新しく出来た風景で、これらの風景についても私は、「なんとなく、白けた風景」だといつもおもっていた。
森之宮の公団住宅でひとり住まいをしていたわたしは、大阪城公園の駅を降りてそこに立った訳ではなく、「それ」を探して第二寝屋川に沿って歩き、環状線の高架の下の狭い路地を潜って、そこに至ったのだ。そしてひとり静かに感動したりしていた。
勿体ぶるほどのことはないのだが、「それ」とは猫間川の河口位置らしきもののことである。
弁天橋の大阪城寄りの河岸付近に立つと、河岸にわずかなへこみがあり、その切れ込んだ部分に鉄板がコンクリートに埋め込まれたらしい様子が見て取れる。「河口の跡が残っている」と感じた瞬間だった。
私がこれを河口の跡だと考えた根拠は、ひとつしかない。『大阪砲兵工廠の八月十四日』(東方出版)という書物の、それも巻末についている大阪砲兵工廠の地図である。現在の地図もついているので比較し易いが、当時の城東線、いまの大阪環状線と平野川が交差する箇所で、線路のすぐ西側に猫間川が流れ込んでいる様子がよくわかる。
大阪砲兵工廠は、現在の大阪城域の東半分からJRの列車倉庫、京橋ビジネスパーク、更には私が住んでいた公団住宅までをも含む広大な敷地を誇っていた軍事工場だが、今はその痕跡を探すことすら難しい。猫間川はその敷地内を南から北に流れ、その敷地内で平野川に注いでいたことになる。(余談になるが、「平野川に注いでいた」という表現が私には好ましく、現在の河口位置付近が第二寝屋川という無味乾燥な命名を受けていることを疎ましく感じる所以でもある)
地図上の猫間川の河口位置が前述の「へこみ」とほぼ一致する。他にそのことを証してくれたひとがおらず、思い込みかもしれないとおもわないこともない。
実のところ、この発見をするまで河口はJRの線路を挟んで向こう側にあるのだろうかと考えていた時期が数ヶ月続いていた。そこには「猫間川」という名前が地図に記載されている数少ない例、「猫間川抽水所」という施設があるのだ。「抽水所」という施設の役割が何なのか、最近まで漠然と分からないままにしてきたが、雨水が川に注ぐ量を調節し、氾濫を防ぐための施設であるらしい。猫間川は現在、下水道として地下に埋められている、という言い方が出来るが、もしその下水管に雨水が集まって流れていて、猫間川抽水所で水量を調節したうえで第二寝屋川(平野川)に流しているのであるならば、この抽水所こそ現在の河口といえるのかもしれない。対岸の堤防によじ登ってみると、抽水口とみられる土管が川に向かって口を開けているのをみることができる。
私の見つけた「河口跡」の背後には、大阪城ホールへと続くみちがある。週末にアマチュアバンドが路上ライブを繰り広げる場所で、独身時代の予定のない休日、ふとんの中でへたばりながら、遠くで聞こえる演奏を聞くともなしに聞いていた。その音の中には、のちにメジャーデビューを果たしたミュージシャンの音も混じっていたかもしれないが、いちどもそれを聞きに大阪城公園に出かけたことがなかった。私がふとんから身を起こして探しにでかけたのが川岸に残されたちょっとしたへこみであったことに、なんとはない可笑し味を感じてしまう。
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