(拾遺)玉造の商店街にて、その一-猫間川をさがせ by 椋 康雄 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
(拾遺)玉造の商店街にて、その一
author: 椋 康雄
Posted on 03/09
 二〇〇五年の九月頃、玉造の日之出通商店街にある「オカダヤ」という洋菓子店をはじめて訪れた。 日之出商店街は二軒茶屋の石橋の「遺構」がある場所の近くだし、そもそも昔この近所に住んでいた私には見慣れた場所だが、この店を訪れたのははじめてだった。

 この菓子店のご主人を訪ねようとしたきっかけは「二軒茶屋の石橋」の章である。この稿は、前述の橋の「遺構」が本当に橋の跡なのか、という疑問から書き出したものだったが、文献に残っているようには思われず、かといって地元に詳しい方へのつてなどもなく、書き出してすぐに筆が止まってしまった。

 仕様がなくメールでいきなり問い合わせられそうなところがあれば片っ端から問い合わせする、ということをした。結局近隣に在する八阪神社に橋材が残っていることを別のきっかけで知り、そのことを掘り下げて調べることで「二軒茶屋の石橋」「石橋をさがしてあるく」の二章を書いた。

 半年ほど経ったころ、思いがけずその時のメール問い合わせ先から返信をもらった。「玉造小町」というフリーペーパーの編集元の方で、WEBマガジンというかたちで公開されているのを見つけて問い合わせをしていたのである。地域に密着している編集者の方なら直接情報をお持ちでなくとも、土地が長くて地元のことに詳しい方をご存知かもしれない、と思ってのことだった。

 結局そのメールは膨大なジャンクメールの中に埋もれて読まれていなかったのだが、ふとしたきっかけで日の目をみたらしく、「この方に聞いてみられたら」と何人かを紹介して頂くことができた。そのなかのおひとりが「オカダヤ」のご主人で、地元の歴史に詳しいので、とのことだった。

 店を見つけて入ると洋菓子だけでなく、ワゴンにおかきがならんでいて、それをひとつ手にとって購入した。そのお勘定をしながらここのご主人はこの土地に詳しいと聞いてきたんですが、と話をふり、橋跡のことを聞いた。

「ああ、あれは橋やがな。黒門のな」

 拍子抜けするほどあっさりとご主人は答えられ、これをみたらええ、と「玉造の史跡・文化MAP」というパンフレットを下さった。玉造の商店街は客の目からみると一本のアーケードのある商店街だが、日之出通北商店街、中商店街、南商店街に分かれており、このパンフレットはオカダヤさんが属する中商店街が発行したものである。二軒茶屋跡・石橋跡についても書かれているが、「大正時代に橋は取り除かれ」としか書かれておらず、橋の残骸が残っているというようなことはやはり書かれていない。どうも、あの橋のあとは史跡としては価値のないものだと暗黙のうちに思われてでもいるようだ。

 そんなことを私が考えている間にもご主人は饒舌に説明をして下さっている。私がこの店はいつからですか、ときくと「大正七年から」、と確か言われたとおもう。「ここは大阪で最初にガス燈が点いてな、今はもう残っとらへんけど、そこの空き地になってるところには最後まであったわ」。

 私はこの話が強く印象に残った。
 一方的な印象に過ぎないのかもしれないが、私は大阪のひとの愛郷心というものが他の土地のそれとは傾向を異にしているのではないかと思っている。それは首都である東京に対する対抗心から語られたり、関西圏の他の都市である京都、神戸と比べての比較から語られたりと大まかな視点で語られることはおおいが、大阪のここでないと、というような自慢話をあまり聞かない気がする。

 これが東京になると違うのである。浅草のひとは浅草の土地に、深川のひとは深川の土地に、銀座のひとは銀座の土地に、というようにそれぞれ濃密に愛着と縄張り意識を持っていて、ちょっとしたことが自慢であったりする。大阪ではそんなことは稀なように感じていたが、ガス燈の整備時期から玉造の先進性を誇る、というような話し方を目の当たりにして、考えを改めなければならないかもしれないと感じた。

 ただ、その土地への愛着というものがまちの風景といったことに割かれることが少ない、ということは言えるのかもしれない。それは大阪弁ということばであるとか、いったん仲間であると認めたひとに対するおおらかな人情であるとか、演芸、特に笑芸の中心地であることとか、そういう非可視的な方面に多く割かれてあり、玉造が大阪の中でもその演芸の中心地のひとつであった時代の名残である橋のあとやガス燈を今に残す、という風にはつながっていかないものであるらしい。

 ご主人はこんなことも教えて下さった。ご自宅に大きな古地図があり、実物は生国魂神社に納めてあるのだそうである。レプリカを自宅においてあるが「今見せるのは嫌やけどまたおいで、見せたるわ」と闖入者に対する正直な気持ちを添えた親切を仰って下さった。

 その後も何度か店を訪れて買い物をしているが、残念ながらまだ古地図は見せて頂けていない。先日うかがったときには、ホワイトデーに向けて陳列されているチョコレートについての講釈をひとしきり聞いてきた。古地図の話は忘れられているだろうし、顔も覚えて頂いていないようでなので致し方なく、ただそれでも近くを通ればお菓子を買いに訪れることにしている。もしいつか私の顔と名前が一致するようなことがあれば、その地図を見せて頂ける機会があるかもしれない。

玉造日之出通商店街

本日:4 今週:18 累計:3268(5/9 15:00より)



みさ
on 07/17 at 07:24:AM
はじめまして。。。。

たまたま探し物をしていて
通りかかったのですが。。。。

猫間川。。。全くはじめて聞く名前でした。

が。。。。読んでいくと懐かしい写真がいっぱい

この商店街の写真で。。。不覚にも涙ぐんでしまいました。

日本に。。。帰りたいです。。。。
on 08/08 at 20:57:PM
みさ様

コメントありがとうございます。椋です。

猫間川は完全に埋められてしまっていますので知らないかたも多いわけで、まだ書いていた時期に他の書き手さんに「これはフィクションじゃなくて、本当にあったことなのですか?」と質問を受けたことがあるくらいでした。

みさ様は今どこでネットにつながれているのでしょうか。私も大阪から東京に来てしばらく経ち、玉造もしばらく訪れていません。
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