2005
24
Sep |
●伯父さんの夏休み
かもめの水兵さん ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャブ チャプ うかんでる
僕の伯父さんは、夏になると、畑で丹精した採れたての桃をいっぱいに詰めた段ボールと一緒に横浜にやって来て、僕の家に十日間位泊まった。その桃の甘くて美味しいことと言ったら、伯父さんの桃を食べたら、お店に売っているやつが、もうどうしようもなく不味くなるぐらいで、だから、僕は伯父さんが夏に来るのをとても楽しみにしていた。
一度桃が採れなくて普通のお菓子がお土産だった時、あんまり僕が残念がったので、桃が食べられるのと伯父さんに会えるのと、どちらが楽しみなのと聞かれて答えに迷ってしまって、ずいぶんと笑われた。
伯父さんが来た時のお相手役は僕が仰せつかり、毎日いろいろなところに行って遊んだ。近くにある植物園や動物園、遊園地へは何度も行った。伯父さんは僕のことをとても可愛がってくれて、お菓子でもおもちゃでも何でも買い放題だったから、僕は伯父さんが大好きだった。
…兄さんはお前のことが、自分の子どもみたいに思えるのだろうな。
と、父さんはよく言っていた。そういえば、伯父さんには奥さんも居なかった。
かもめの水兵さん かけあし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャブ チャプ 越えてゆく
伯父さんとはいろんなところに遊びに行ったけれど、毎年必ず行ったのが、横浜港にある「大さん橋(おおさんばし)」だった。
大さん橋は僕のお祖父さんのお祖父さんが居たころ、外国の人たちが日本に大勢やって来て、商売する船を泊める所が欲しいと言われて、大急ぎで造った場所だと学校の先生に教えてもらった。それは「開港」と言うらしい。
その時の大さん橋は小さく、黒船のような大きな船は沖合いに泊めて、ボートで行き来して荷物や人を運び、イギリス人が沢山使ったから「イギリス波止場」と言ったそうだ。それから暫くして、それじゃあ不便だと思ったんだろうか、やっぱりイギリス人のパーマーさんという人が、五百メートル近い長さのさん橋を造り上げて、それが全部鉄で出来ていたから「鉄さん橋」と呼ばれていたんだけれど、いつの間にか「メリケン波止場」って名前になったんだって。

横浜桟橋 View of Pier, Yokohama. Yokomama’s Memory 横浜市立図書館所蔵絵葉書
「メリケン」って、何だろうと思っていたら、米国の事だって伯父さんは教えてくれた。昔は小麦粉の事を「メリケン粉」と言ったんだ。米国のパンを作る粉だからなって、少し口を歪めて笑っていた。
…「大さん橋」にはもう一つ名前があったんだぞ。
何度目に行った時のことだか忘れたけれど、伯父さんがぽつりと言ったんだ。
…「サウスピア」さ。戦争の後、米国に接収されたから。
どこか遠いところを見ながら言った後、伯父さんは僕とつないでいた手に力を入れてぎゅっと握った。
…大さん橋が「サウスピア」で、「サウス」があるなら「ノース」とか「ウエスト」とか「イースト」もあるの?
英会話教室で習ったばかりだった僕が得意そうに聞き返すと、伯父さんはちょっと驚いた顔をした後、
…東と西はないけれど、あそこにあるのが「センターピア」だったんだよ。
と言って、左の方を指さした。大さん橋の先端からは、二棟並んだ赤レンガ倉庫がよく見えた。
…そして、あれが「ノースピア」。
伯父さんがまっすぐ指さす先にあるふ頭には、大きくて灰色に塗られた船が何隻も泊まっているのがわかった。
…あそこはまだ接収されたまま、だから外国なんだぞ。
伯父さんは、僕にそういうと、持って来ていたパンの耳を空高く放り投げた。
僕は「セッシュウ」って何なのか聞きたかったけれど、伯父さんがなんだか怒っているみたいに見えたので、聞くのを止めて、一緒にパンの耳を放ったんだ。
●伯父さんの傷
伯父さんの足にはとっても大きな傷があった。だから僕の家に居る時も、いつも足を軽く引きずっていた。
「どうしたの」って聞いたら、お風呂に入る時に、僕を呼んで股の付け根の傷を見せてくれた。それはちょうど掌ぐらいの大きさで、まるでスコップですくったみたいにくぼんでいた。下着に隠れて良く見えなかったけれど、傷はお腹の方まで続いているみたいだった。
…砲弾の欠片でやられたんだよ。
下着の上から傷を撫でていた。
後で父さんに聞くと、伯父さんは戦争の時、学校に行かずに軍需工場で働いていたんだって。その時は皆んなで働いていたんだって。それで爆弾を作っていたのだけれど、工場で爆発が有ってその時の怪我だよって、小さな声で教えてくれた。
僕たちは、大さん橋に行く時、パンの耳を袋にいっぱい母さんに用意してもらって持って行くことにしていた。それで、さん橋の先頭にたどり着くと、どんどん空中に放り投げながら、大きな声で歌を歌うんだ。
かもめの水兵さん ずぶぬれ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波でチャブ チャプ おせんたく
歌うのは、かもめの水兵さんの歌だった。
どうしてそんな歌を歌うのか、わからなかったけれど、伯父さんは、いつも空に向かって大きな声で歌っていた。怒鳴るように叫んでいた。
歌詞の「白い」のところで、勢いよく腕を振って、空に投げつけるようにパンの耳を放った。
伯父さんが歌うと、まるでその声につられたみたいに、先を争ってカモメが何羽も何羽も飛んで来て、パンの耳を空中でうまくくちばしで挟み取るのが面白かった。僕も声を合わせて歌いながら、カモメに餌をやるのがとても楽しかった。
餌をやり終わると、伯父さんと僕は、大さん橋の先端に座って、足をぶらぶらさせて、波打ち際すれすれにくっ付いているフジツボをつついたりした。
目の前に広がる海を見ながらいろんな話をした。学校のこと、ゲームのこと、好きな女の子のこと。
…「波止場」って素敵な言葉だね。
最後に伯父さんと大さん橋に行った時、そう言った僕の頭を伯父さんは、ぐるんぐるんと何度も撫でてくれた。
●伯父さんの子守唄
二〇〇二年(平成十四年)に、大さん橋は開港から百四十年余を経て、リニューアルオープンされた。
イギリス在住の建築家二人の合作による、波のようにうねる大屋根と柱のない大空間が特徴の、斬新なデザインの新しい波止場が出来上がり、大屋根に植えられた潮風に強い芝生の上では、いつもの様に沢山の人たちの歓声が響いている。一時少なくなっていた豪華客船もまた寄港するようになり、そのたびに大さん橋は、賑わっている。

横浜国際客船ターミナル(大さん橋)全景 横浜市役所港湾局ホームページから
伯父さんとよく釣りをした、大さん橋の左手に伸びる細長い突堤も、いずれ綺麗な公園に整備されるそうだ。
海の中に延びるまるで象の鼻のような形の突堤は、横浜開港の時から形がほとんど変わっていないということを知ったのは大人になってからのことだったけれど、その上を伯父さんの腰をしっかりつかみながら、そろそろと歩くうちに、震災で沈下した箇所を補修したコンクリートが痛んでいるのに気が付かず、持ち上がってでこぼこした堤に足をとられて、滑って少し崩してしまったことは、伯父さんと僕だけの秘密だ。
伯父さんが亡くなって十五年になるが、こうして大さん橋の突端に来ると、あの時カモメに餌を放りながら、伯父さんが口ずさんでいた歌を思い出す。
あの歌は、生まれて来られなかった彼の息子と娘に向けての、想いを込めた子守歌だったのかもしれない。
かもめの水兵さん なかよし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャブ チャプ 揺れている
一人座って過ごす「メリケン波止場」は、今日も静かに日が暮れて行く。(了)
【かもめの水兵さんの碑】
かもめの水兵さん(一九三七年(昭和十二年)キングレコード)
作詞:武内俊子 作曲:河村光陽
山下公園に「かもめの水兵さん」の記念碑がある。
作詞者が、メリケン波止場から旅立つ叔父を見送りに来た時、飛び回るカモメと、折からの夕陽に映えた港の光景から印象を受けて、この童謡が誕生した。
それを記念して建立された碑である。
かもめの水兵さん ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャブ チャプ うかんでる
僕の伯父さんは、夏になると、畑で丹精した採れたての桃をいっぱいに詰めた段ボールと一緒に横浜にやって来て、僕の家に十日間位泊まった。その桃の甘くて美味しいことと言ったら、伯父さんの桃を食べたら、お店に売っているやつが、もうどうしようもなく不味くなるぐらいで、だから、僕は伯父さんが夏に来るのをとても楽しみにしていた。
一度桃が採れなくて普通のお菓子がお土産だった時、あんまり僕が残念がったので、桃が食べられるのと伯父さんに会えるのと、どちらが楽しみなのと聞かれて答えに迷ってしまって、ずいぶんと笑われた。
伯父さんが来た時のお相手役は僕が仰せつかり、毎日いろいろなところに行って遊んだ。近くにある植物園や動物園、遊園地へは何度も行った。伯父さんは僕のことをとても可愛がってくれて、お菓子でもおもちゃでも何でも買い放題だったから、僕は伯父さんが大好きだった。
…兄さんはお前のことが、自分の子どもみたいに思えるのだろうな。
と、父さんはよく言っていた。そういえば、伯父さんには奥さんも居なかった。
かもめの水兵さん かけあし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャブ チャプ 越えてゆく
伯父さんとはいろんなところに遊びに行ったけれど、毎年必ず行ったのが、横浜港にある「大さん橋(おおさんばし)」だった。
大さん橋は僕のお祖父さんのお祖父さんが居たころ、外国の人たちが日本に大勢やって来て、商売する船を泊める所が欲しいと言われて、大急ぎで造った場所だと学校の先生に教えてもらった。それは「開港」と言うらしい。
その時の大さん橋は小さく、黒船のような大きな船は沖合いに泊めて、ボートで行き来して荷物や人を運び、イギリス人が沢山使ったから「イギリス波止場」と言ったそうだ。それから暫くして、それじゃあ不便だと思ったんだろうか、やっぱりイギリス人のパーマーさんという人が、五百メートル近い長さのさん橋を造り上げて、それが全部鉄で出来ていたから「鉄さん橋」と呼ばれていたんだけれど、いつの間にか「メリケン波止場」って名前になったんだって。

横浜桟橋 View of Pier, Yokohama. Yokomama’s Memory 横浜市立図書館所蔵絵葉書
「メリケン」って、何だろうと思っていたら、米国の事だって伯父さんは教えてくれた。昔は小麦粉の事を「メリケン粉」と言ったんだ。米国のパンを作る粉だからなって、少し口を歪めて笑っていた。
…「大さん橋」にはもう一つ名前があったんだぞ。
何度目に行った時のことだか忘れたけれど、伯父さんがぽつりと言ったんだ。
…「サウスピア」さ。戦争の後、米国に接収されたから。
どこか遠いところを見ながら言った後、伯父さんは僕とつないでいた手に力を入れてぎゅっと握った。
…大さん橋が「サウスピア」で、「サウス」があるなら「ノース」とか「ウエスト」とか「イースト」もあるの?
英会話教室で習ったばかりだった僕が得意そうに聞き返すと、伯父さんはちょっと驚いた顔をした後、
…東と西はないけれど、あそこにあるのが「センターピア」だったんだよ。
と言って、左の方を指さした。大さん橋の先端からは、二棟並んだ赤レンガ倉庫がよく見えた。
…そして、あれが「ノースピア」。
伯父さんがまっすぐ指さす先にあるふ頭には、大きくて灰色に塗られた船が何隻も泊まっているのがわかった。
…あそこはまだ接収されたまま、だから外国なんだぞ。
伯父さんは、僕にそういうと、持って来ていたパンの耳を空高く放り投げた。
僕は「セッシュウ」って何なのか聞きたかったけれど、伯父さんがなんだか怒っているみたいに見えたので、聞くのを止めて、一緒にパンの耳を放ったんだ。
●伯父さんの傷
伯父さんの足にはとっても大きな傷があった。だから僕の家に居る時も、いつも足を軽く引きずっていた。
「どうしたの」って聞いたら、お風呂に入る時に、僕を呼んで股の付け根の傷を見せてくれた。それはちょうど掌ぐらいの大きさで、まるでスコップですくったみたいにくぼんでいた。下着に隠れて良く見えなかったけれど、傷はお腹の方まで続いているみたいだった。
…砲弾の欠片でやられたんだよ。
下着の上から傷を撫でていた。
後で父さんに聞くと、伯父さんは戦争の時、学校に行かずに軍需工場で働いていたんだって。その時は皆んなで働いていたんだって。それで爆弾を作っていたのだけれど、工場で爆発が有ってその時の怪我だよって、小さな声で教えてくれた。
僕たちは、大さん橋に行く時、パンの耳を袋にいっぱい母さんに用意してもらって持って行くことにしていた。それで、さん橋の先頭にたどり着くと、どんどん空中に放り投げながら、大きな声で歌を歌うんだ。
かもめの水兵さん ずぶぬれ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波でチャブ チャプ おせんたく
歌うのは、かもめの水兵さんの歌だった。
どうしてそんな歌を歌うのか、わからなかったけれど、伯父さんは、いつも空に向かって大きな声で歌っていた。怒鳴るように叫んでいた。
歌詞の「白い」のところで、勢いよく腕を振って、空に投げつけるようにパンの耳を放った。
伯父さんが歌うと、まるでその声につられたみたいに、先を争ってカモメが何羽も何羽も飛んで来て、パンの耳を空中でうまくくちばしで挟み取るのが面白かった。僕も声を合わせて歌いながら、カモメに餌をやるのがとても楽しかった。
餌をやり終わると、伯父さんと僕は、大さん橋の先端に座って、足をぶらぶらさせて、波打ち際すれすれにくっ付いているフジツボをつついたりした。
目の前に広がる海を見ながらいろんな話をした。学校のこと、ゲームのこと、好きな女の子のこと。
…「波止場」って素敵な言葉だね。
最後に伯父さんと大さん橋に行った時、そう言った僕の頭を伯父さんは、ぐるんぐるんと何度も撫でてくれた。
●伯父さんの子守唄
二〇〇二年(平成十四年)に、大さん橋は開港から百四十年余を経て、リニューアルオープンされた。
イギリス在住の建築家二人の合作による、波のようにうねる大屋根と柱のない大空間が特徴の、斬新なデザインの新しい波止場が出来上がり、大屋根に植えられた潮風に強い芝生の上では、いつもの様に沢山の人たちの歓声が響いている。一時少なくなっていた豪華客船もまた寄港するようになり、そのたびに大さん橋は、賑わっている。
横浜国際客船ターミナル(大さん橋)全景 横浜市役所港湾局ホームページから
伯父さんとよく釣りをした、大さん橋の左手に伸びる細長い突堤も、いずれ綺麗な公園に整備されるそうだ。
海の中に延びるまるで象の鼻のような形の突堤は、横浜開港の時から形がほとんど変わっていないということを知ったのは大人になってからのことだったけれど、その上を伯父さんの腰をしっかりつかみながら、そろそろと歩くうちに、震災で沈下した箇所を補修したコンクリートが痛んでいるのに気が付かず、持ち上がってでこぼこした堤に足をとられて、滑って少し崩してしまったことは、伯父さんと僕だけの秘密だ。
伯父さんが亡くなって十五年になるが、こうして大さん橋の突端に来ると、あの時カモメに餌を放りながら、伯父さんが口ずさんでいた歌を思い出す。
あの歌は、生まれて来られなかった彼の息子と娘に向けての、想いを込めた子守歌だったのかもしれない。
かもめの水兵さん なかよし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャブ チャプ 揺れている
一人座って過ごす「メリケン波止場」は、今日も静かに日が暮れて行く。(了)
【かもめの水兵さんの碑】
かもめの水兵さん(一九三七年(昭和十二年)キングレコード)
作詞:武内俊子 作曲:河村光陽
山下公園に「かもめの水兵さん」の記念碑がある。
作詞者が、メリケン波止場から旅立つ叔父を見送りに来た時、飛び回るカモメと、折からの夕陽に映えた港の光景から印象を受けて、この童謡が誕生した。
それを記念して建立された碑である。
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