事件は港からやって来た……横浜・神戸 二都物語
2005
28
Sep
Posted by 佐田 薫子 on 00:00 / Category : 横浜・神戸二都物語
●フェニックス、飛ぶ。
 身にまとったバスローブが風にはためいている。
 目の前には闇の中、横浜港が一望の下に開けている。
 見回せば、対岸の大黒ふ頭のオレンジ色に光る常夜灯の明かりと、右手に広がる本牧ふ頭のガントリークレーンの、その鶴のような首に付けられた航空灯が、目に沁みて来るようだ。
 昌枝は、堅く握った両手の拳を高く掲げて、手すりから身を乗り出した。
 そして、そのまま…。


旧館ロビー ホテルニューグランドホームページから

 勲夫様へ、
  …ホテルニューグランドに行こうか。
 アナタが私にそう言ったのは、入籍して三ヶ月たったころのことだったかしら、あの日のことはよく憶えています。
 名前は聞いたことがあったけれど、横浜の老舗のそのホテルには行ったことも、勿論泊まったこともありませんでした。その日その日を夢中で暮らしている身の上にとって、ホテルに泊まるなどという贅沢事は考えたこともなかったから。
  …新婚旅行の代わりだよ。
 いつもは、何事に置いても有無を言わせない言い切り型のアナタが、この時ばかりは照れくさいような顔をして、まるで言い訳をするようだったのが印象深くて、三〇年も前のことだというのに、目をつぶれば、その顔や口調も、こんなにもはっきりと思い出せだせるのです。それなのに、自分がなんと答えたのかどうしてもわからないなんて不思議ですね。

 昌枝は、書いていた手を止め、二度ほど掌を握ったり開いたりした。力を入れて書くのが癖なので、久しぶりにペンを取ったせいかとても疲れるのだ。

 勲夫様へ、
 アナタのことを思い出しながら、私はホテルニューグランドに来て居ます。
 このホテルで美味しい料理はいろいろあるけれど、僕のお薦めは『シュリンプドリア』だよ、と教えてくれたでしょう。その時、『シュリンプドリア』という料理の事を初めて聞きました。私がそう言うと、アナタは笑いながら作り方を教えてくれましたね。
 八十年近くも前にさかのぼるお米と小エビのクリームソースの出会い。そのびっくりするような出会いをつくったサリー・ワイルさんという人の話。
 サリー・ワイルさんはコックさんで、その人がこのホテルが、建てられたばかりのころ、コック長に招かれた話。
 フランス料理を気取ったものでなく、親しみやすい料理として伝え、そして、コースでなくアラカルトという一品料理として楽しむことを教えてくれたという話。
 分け隔てなく、日本人コックたちを育てた話。
 戦争で軽井沢の収容所に送られ、そこで暮らした話。
 ホテルニューグランドには、戻って来なかったけれど、生まれ故郷のスイスに帰っても、日本人の留学生を大勢面倒見てくれた話。
 そして、そのサリー・ワイルさんの語っていた『御もてなしの心』が、今もこのホテルには面々と受けつながれている話。
 エトセトラ、エトセトラ…。
 憶えていますか?
 『シュリンプドリア』の作り方から始まって、語り出したアナタは止めどもなく、運ばれてきた料理の良い香りにも気が付かないくらいだったのです。
 私に促されて慌てて食べ出したアナタの様子がとても可笑しかったです。熱々のソースで少し唇を火傷したでしょう。びっくりして目をしばたいていた様子が思い出されます。
 『シュリンプドリア』はどこか懐かしく優しい味でした

 アナタの一周忌が一昨日終わりました。
 沢山の人たちが、アナタのことを偲んで、集まってくれました。皆が私を労ってくれました。でも…
 これから、私はどうすればいいのでしょうか。
 子どもも居ないし僕たち二人だけしかいないから、いつまでも一緒にいようって、いつも言ってくれてたじゃないですか。
 二人でいろんなところに行こうって、楽しみにしていたじゃないですか。
 退職のお祝いに、今年、ホテルニューグランドに来ようって約束したのを忘れてしまったのですか。
 アナタが亡くなって、この一年、無我夢中でその後始末をしてきました。
 どうして、私を置いていってしまったのですか。
 どうして、こんな寂しい思いをさせるのですか。
 アナタに会いたい。

 昌枝は、書いていた手をまた止めると、ルームサービスで取った『シュリンプドリア』のまだ熱い皿に目をやった。

●フェニックス、飛んだ。
 勲夫様へ、
 このホテルもずいぶんと変わりました。
 新しく宿泊する高層のタワー棟が出来ていました。アナタと来たときにはなかったものです。
 二階にあるロビーに登るどっしりとした階段はそのままでしたが、早足で行き交う人々の顔つきが、あまりにも屈託もなく、ホテルに来ているという気負いも感じさせないことに唖然とし、戸惑ってしまいました。
 タワーの屋上には、夏だけプールが開かれているそうです。後で行ってみるつもりです。きっと港が綺麗に見えると思います。
 このホテルも街の様子も何もかも、びっくりするぐらい変わっていました。でも昔、アナタと一緒に食べた『シュリンプドリア』は、変わらずにどこか懐かしく優しい味でした。
 アナタに会いたい。

 昌枝は、頬を伝って書きかけの便せんに落ちる涙をぬぐい、吸い取り紙で押さえると、便せんに描かれているホテルニューグランドのシンボルマークをじっと見詰めた。

  …ホテルニューグランドは、横浜市の迎賓館だったのだそうだよ。
 『シュリンプドリア』を食べ終わり、スモーキングルームに移動して、濃いコーヒーを啜っている時、私たちを案内してくれたホテルの人と何か話をしていたアナタは上気した顔つきで戻ってくると、そう言い出しましたよね。
 関東大震災で海岸通に建ち並んでいた領事館やホテルは全部壊れて、瓦礫の山になってしまったけれど、その瓦礫を埋め立てて、山下公園が出来た話。
 その公園の目の前に、当時の財界人が資金を持ち寄って、このホテルを建てた話。
 横浜の復興のシンボルとして造ったホテルだから、建物も土地も一部は役所の物で、それを今でもこのホテルを経営する会社に貸しているという話。
 ホテルの名前を決める時に、とても沢山の名前が応募されたけれど、震災前にあった老舗の『グランドホテル』を偲ぶ名前として『ホテルニューグランド』になった話。
 でも、もうひとつの名前も捨てがたく、最後まで選考に残った話。
  …復興をかけて、不死鳥の様によみがえるって意味で『フェニックスホテル』がそれだよ。
 アナタは、本当に興奮した様子で、ホテルの名前の由来を語ってくれましたね。
  …結局『フェニックス』もホテルのシンボルイメージとして、いろんなところに使うことにしたんだって、ほら、ボールルームの装飾とか、このコーヒーカップの模様とか…。
 指差したカップには、極彩色の鳥が優雅に舞っていたのを覚えています。
 そして、部屋に帰ってくると、アナタは嬉しそうに声を上げ、私にこう言いましたよね。
  …昌枝、見てご覧。ここにもフェニックスがいるよ。
 ホテルの便箋には、二羽のフェニックスが向き合う姿がシンボルマークとして印刷されていたのです。
 泊まった記念にと、二人で大事にホテルの絵葉書をもらって帰りましたよね。絵葉書にも寄り添うフェニックスの姿がありました。


シンボルマーク『フェニックス』 ホテルニューグランドホームページから

 昌枝は、シンボルマークのフェニックスを見詰めながら、もう一度泣いた。泣きながら、昌枝は何度も何度も、勲夫に呼びかけた。
  …アナタ、アナタ…
 ただ、泣きじゃくるばかりの昌枝は、その時、懐かしい声に呼ばれた様な気がして、はっとして顔を上げた。
  …昌枝、昌枝…
 昌枝の耳には、勲夫の言葉が聴こえて来たのだった。
  …泣くんじゃない、昌枝。フェニックスをご覧。僕たちの思い出のフェニックスが飛んでいるのをご覧。
 昌枝は、書き綴った便箋を手に持って、ホテルニューグランドのシンボルを指でなぞってつぶやいた。
  …アナタ…。

 まとったバスローブが、柔らかく風にはためいている。
目の前には、闇の中から浮かぶ様に、横浜港が一望の下に開けている。
 見回せば、対岸の大黒ふ頭のオレンジ色に光る常夜灯の明かりと、右手に広がる本牧ふ頭のガントリークレーンの、その鶴のような首に付けられた航空灯が、じんわりと目に沁みて来るようだ。
 昌枝は、堅く握った両手の拳を高く掲げて、手すりから身を乗り出した。
 そして、そのまま、ぱっと両の拳を思い切りよく開いた。
 堅く握られた拳が開かれると、指の先を伝って、細かな紙が流れ出て舞い散って行く。
 切れ切れになった便箋に描かれたフェニックスが、見え隠れしながら夜空に消えて行く。
  …アナタ。
 昌枝は、つぶやきながら広げた両手を静かに降ろすと、夜風に吹かれて散りながら見えなくなって行く紙片を見送った。そして、かかとに力を込めながら、くるりと後に振り向くと、エレベーターホールへ向かって歩いて行った。


レインボーボールルーム装飾 ホテルニューグランドホームページから

  …ごめんなさい、アナタ。
  私、もう泣かない。
  フェニックス、飛んだわ。(了)

【参照文献等】
・『ホテル・ニューグランド五十年史』白土 秀次著 ㈱ホテル・ニューグランド発行 一九七七年(昭和五十二年)
・『YOKOHAMA STYLE from HOTEL NEW GEAND 横浜流 すべてはここから始まった』高橋 清一著 東京新聞出版局発行 二〇〇五年(平成十七年)









 



day:2 week:4 total:3205(since 09/may/2005 15:00)


この作品のレビューを書きませんか?