2005
05
Oct |
■私が、師の夢を
車椅子の中で師の名前を口にするとき、彼女はすっと背筋を伸ばし、やや視線を伏せる。静かに瞑想する空気が、彼女をとりまく。やや低めのアルトほどの言葉を聴き取ろうと床に膝をつき体を寄せた。
「おかわいそう……」と、聞こえた。
「なにがですか?」と、耳もとに口を寄せて聞き返した。
「絵が、おかわいそう。小磯先生の絵が」
予想以上に明瞭な声が返ってきた。
美しい銀髪が、ゆったりゆれた。先生は米寿を過ぎてはるはずやわ、という周囲の声も信じられないほどの色香に満ちた雰囲気に酔わされた。何という女性だろう、と。
師とは、すでに亡い神戸の画家小磯良平。豊かな香りで周囲を酔わせる彼女は、世良臣絵(せらとみえ)、画家でありピアニストであり世良美術館の館長である。
世間では長い画業の生涯を通じて弟子を持たなかったと言われた小磯だが、唯一の弟子を任じるのが世良臣絵であり、師小磯の夢の具現がこの美術館だという。
その説の通り、彼女はこの美術館を独力で創りあげた。
イタリアの少女の頬の色のように優しい……美術館を伝えたある建築誌の表現。この表現はそのまま小磯の絵も指しているようだ。難しい絵画論など分からない鑑賞者にも、子どもたちにも、小磯作品が語りかけるのはこの優しさだと気づく。
地下一階、地上二階だが、二階は吹き抜けを回廊で囲み、延べ床面積はこじんまりと四五○平方メートル。フロントや階段、収蔵庫、私室を含む面積だから、文字通りのプチ・ミュージアムだ。
御影の御屋敷町の静寂に包まれてはいても、その底に華やぎを感じさせるのは、絵の鑑賞ばかりでなく神戸山手一帯の人びとを集めての世良自身がいっしょに楽しみ教える絵画教室が設けられ、人の気配が絶えないせいだろうか。そして彼女のもう一つの才能を活かすピアノ教室……、プチ・コンサートホールの役割も備えた豊かな空間なのだ。
午後の日差しも、吹き抜けた二階の回廊沿いの窓とトップライトから落ち込み、大理石の床に映し込んで広がる。一階には演奏用のグランドピアノ、二階には年代物のパープシコードが、しっとりと納まり彼女が願った独特の空間を広げている。
この豊かな空間を創り出した源泉となるものは、女性が、しかも敬慕してやまない師である男性のために、個人で開いたサロン美術館に捧げる愛なのだろう。
賛歌を愛憎を、情念を諦観を、一枚の画布に託した画家の思いに重なり、建物と一体となって無限に優しい。
習作も交えた小磯作品と館長自身の世良作品が、一階の壁面と二階の回廊沿いの壁を飾り、地下を企画展に開放している。
阪急神戸線。阪神間を結ぶ鉄道三線の中で、最も山手を走るのが阪急電鉄。夙川を越えるとひたすら六甲山の南山麓の緑の海を北側に、瀬戸内海の輝く波頭を南の遠景に取り込んで走り抜ける。
特に御影あたりは鬱蒼とした緑の向こうに、一軒数千坪を抱える御屋敷や南の光を正面に受ける甲南病院が小高い丘の上に座り込む風景に、初めて訪れる者も東神戸の代表的な佇いを感じとる。
御影駅から南へ数分、優しくかわいい、しかし成熟した女性の雰囲気いっぱいで世良美術館はある。

▲ 外観:イタリアの少女の頬の色と評された外観
阪神大震災後の復興フォーラムで、パネラーの一人として参加した世良臣絵の話を聞いたことがある。
防災や都市計画専門の大学教授やボランティアのリーダーに混じり、車椅子で登場した世良の話は、およそ場違いの存在であり話題であった。企画者のミスキャスティングであり、とつとつとした話ぶりは他の講師の雄弁とは比べようもない。だが、話の内容には心に迫る優しさがあり、忘れがたい印象を受け止めた。
この時の話と、その後直接に、彼女から聞きえた話題から美術館開館にいたる寓話をまとめると、それがそのまま神戸に点在する私設美術館のある側面を語ることに通じる。
東京の富裕な家庭に生まれ育った彼女が、縁があって神戸御影の歯科医に嫁ぎ広大なお屋敷で暮らすことになる。
なに不自由のない医師夫人暮らしだったが、子どもの頃から習い親しんだピアノを本格的にレッスンし、一時はソリストとしても活躍を始めたころ、地元の御影・住吉に屋敷を構える関西富裕層に敬愛された歯科医の夫の、ソサイェティーを通じて画家小磯良平と出会い、何事にも積極的な興味を持つ彼女は絵画への眼を開かれて小磯に師事する。
やがて『キミには絵が描けるよ、そのために……』と師の言葉に背中を押されて、パリへ遊学した。
ここから話は飛ぶ。
戦後まもなく、歯科医の夫は先立ち、御影の御屋敷が彼女に残された。四季の花々が美しいお花畑に囲まれた広大な敷地であった。
ついで敬愛する師小磯にも、神戸市民愛惜の中、異界に旅立たれた。
彼女も己の人生はここで終焉、と、一度は自分で幕を降ろした。
ここから再び話は飛ぶ。
ときおり一人で鍵盤にふれ、絵筆を手にする静かな暮らしに、予想もしない転機が訪れる。
彼女が住む御影の御屋敷町にも道路拡幅などの環境整備が進むにつれて、阪神間指折りの住宅地としての評価がさらに高まった。当然、彼女の広大な土地・屋敷にも不動産関係企業から譲渡の話が持ち込まれた。
売りたくて譲渡するわけではないが、このまま静かな一人暮らしに十分な住まいとこれからも続く過大な資産税を考えて、御屋敷の半分を手放すことにした。が、売却話が進むと彼女のこれまでの世界とは異質な生々しい買収交渉の末、莫大な買収費が届けられた。世は土地バブルの頂点であった
「ほんとに困りましてね。こんな大金どうしょうかな、と。もう私の人生やりたいこともやりつくしましたし、いまさら欲しい物はございませんし。しばらく悩みましてね。亡くなりました夫の仕事の世界は、あまりにも縁遠いことでございましょう。お親しくさせていただいておりました武田様(製薬)の奥様などにもご相談したり。
ふと、小磯先生ならなにをお望みかしら、どうなさりたいかしらと考えましたら、思い出しましたの。先生があるときぽつりと口になさった言葉を。
『ボクは自分の美術館を建てるのが夢なんだよ。たしかに公立の美術館に収蔵されたりコレクターに愛蔵されるのは、画家として嬉しいけれど、絵描きの最高の贅沢な夢は、自分の美術館を持ち自分の絵を飾り、たくさんの方にいつも見ていただくことだよ』
こんな素敵な事に気付かずに、何年間も悲しみだけに沈んでいた年月が惜しくて惜しくて……」
ここから彼女は猛然と行動を起こした。それまで過ごした時間を巻き戻すように。
日本の建築家だが世界にも名の高いY、生まれたときから学校も事務所開設も純粋の神戸っ子のS。大きな組織の設計事務所など、世界で著名、神戸で著名、組織力で著名と言われる数人・数事務所に美術館建設の提案を依頼した。このあたりにも、世の評価より自分の目で見つめるという彼女の芸術家としての論理と感性の鋭さを感じる。
出された提案を、彼女は一人で検討した。
S案に決定して、敷地への配置から建物のすべてが任せられた。
彼女が採用の基準にしたポイントは二つ。
絵を愛し、小磯良平を理解していること。建設予定地の御影を理解していること。しょせん私は建築には素人ですからねと、彼女は笑うのだ。
神戸はわが国でも個人美術館(開館後公立になったものも含めて)の最も多い都市と言われる。しかもほとんどが武庫川から生田川までの間の、いわゆる阪神間の六甲山麓に点在。とりわけ御影・住吉周辺にその個性的な姿を見せている。
白鶴美術館、香雪美術館(朝日新聞村山社主の記念美術館)、滴水美術館(山口銀行の創業主)、芦屋美術博物館、大谷記念美術館、辰馬考古資料館、白鹿記念酒造博物館などとつづく。この地域一帯に住まう、重要文化財的古美術品から現代美術品を問わず、世界に著名な、あるいは巷間に名をひそめたコレクターとなればいったい何人いるだろうか?
竣工した世良美術館は、一九九二年の神戸市建築文化賞に輝いた。世良臣絵の選択眼は見事だったという以外にない。

▲ 一階:天から落ちる優しい光が大理石の床に映えて

▲ 二階:吹き抜けを取り巻く展示回廊
■女流画家の涙
車椅子の中で「絵がかわいそう、小磯先生がかわいそう」と嘆いたのは、最近完成した小磯記念館についての話であった。
一九八五年、神戸市の大プロジェクトである人口島六甲アイランドの完成に合わせて、世界最大を誇った海上都市の目玉施設の一つとして、地元出身の画家の画業を記念する小磯良平記念館が完成した。
六甲アイランドの北側に、広大な敷地に平屋のゆったりした建物がひろがり、収蔵した小磯作品もかなり多くかつての小磯のアトリエも再現されたほとんど完璧と思える記念館である。
この美術館のどこが、世良臣絵を悲しませるのか……。卑俗に考えれば、女性の嫉妬なのかとさえ思ったが。
彼女は軽く眼を閉じながら語り出した。
「絵をご存じない方が考えた美術館なのね。六甲アイランドといえば人工の島ですから美術館の近くは海でしょう。もちろん最新の設備に守られているのでしょうけれど、絵は潮風に弱いのよ。保存を大切に考える私設美術館が、山手の御影や住吉に建てられた理由もそこにありますものね」さらに言葉をつづける。
他の絵描きさんの美術館なら、僣越ですから何も申し上げませんわ。でも……、小磯先生の絵だけは、かわいそうでね、と。
つづいて最近完成した兵庫県立美術館を話題に出すと、彼女は目を閉じて静かに首を振った。その一瞬、目尻に光るものが散ったように見えた。
二○○二年開館した西日本最大を誇る美術館は、世界のAとマスコミが肩書きをつけ、東京大学の教壇にも立つ有名な建築家の設計として県ご自慢の施設である。立地は震災後に製鉄工場跡地に再開発された神戸の副都心HAT神戸(ハットコウベ)であり、瀬戸内海に突き出したコンクリート打ち放しの偉容は、神戸の並みいる美術館の概念をぶちこわす迫力だ。
世良美術館館長で画家でありピアニストである世良臣絵は、車椅子の中で、背筋を伸ばしてささやいた。
「有名な建築家でいらっしゃるから絵の鑑賞や芸術性は十分ご存じなのでしょうね。でも絵の命をご存じかしら……」
関西経済界が活況にあふれ、地元市民と画家、詩人、小説家たちが一体となって六甲山麓にモダンなライフスタイルを創りあげていたころ、優しさに満ちた画家小磯良平の横には、笑顔で寄り添う若々しい世良臣絵の姿が常にあったに違いない。と、一瞬、思い描いていた。
●資料提供
瀬戸本淳建築研究室
●写真提供
瀬戸本淳建築研究室/撮影・高橋裕嗣
車椅子の中で師の名前を口にするとき、彼女はすっと背筋を伸ばし、やや視線を伏せる。静かに瞑想する空気が、彼女をとりまく。やや低めのアルトほどの言葉を聴き取ろうと床に膝をつき体を寄せた。
「おかわいそう……」と、聞こえた。
「なにがですか?」と、耳もとに口を寄せて聞き返した。
「絵が、おかわいそう。小磯先生の絵が」
予想以上に明瞭な声が返ってきた。
美しい銀髪が、ゆったりゆれた。先生は米寿を過ぎてはるはずやわ、という周囲の声も信じられないほどの色香に満ちた雰囲気に酔わされた。何という女性だろう、と。
師とは、すでに亡い神戸の画家小磯良平。豊かな香りで周囲を酔わせる彼女は、世良臣絵(せらとみえ)、画家でありピアニストであり世良美術館の館長である。
世間では長い画業の生涯を通じて弟子を持たなかったと言われた小磯だが、唯一の弟子を任じるのが世良臣絵であり、師小磯の夢の具現がこの美術館だという。
その説の通り、彼女はこの美術館を独力で創りあげた。
イタリアの少女の頬の色のように優しい……美術館を伝えたある建築誌の表現。この表現はそのまま小磯の絵も指しているようだ。難しい絵画論など分からない鑑賞者にも、子どもたちにも、小磯作品が語りかけるのはこの優しさだと気づく。
地下一階、地上二階だが、二階は吹き抜けを回廊で囲み、延べ床面積はこじんまりと四五○平方メートル。フロントや階段、収蔵庫、私室を含む面積だから、文字通りのプチ・ミュージアムだ。
御影の御屋敷町の静寂に包まれてはいても、その底に華やぎを感じさせるのは、絵の鑑賞ばかりでなく神戸山手一帯の人びとを集めての世良自身がいっしょに楽しみ教える絵画教室が設けられ、人の気配が絶えないせいだろうか。そして彼女のもう一つの才能を活かすピアノ教室……、プチ・コンサートホールの役割も備えた豊かな空間なのだ。
午後の日差しも、吹き抜けた二階の回廊沿いの窓とトップライトから落ち込み、大理石の床に映し込んで広がる。一階には演奏用のグランドピアノ、二階には年代物のパープシコードが、しっとりと納まり彼女が願った独特の空間を広げている。
この豊かな空間を創り出した源泉となるものは、女性が、しかも敬慕してやまない師である男性のために、個人で開いたサロン美術館に捧げる愛なのだろう。
賛歌を愛憎を、情念を諦観を、一枚の画布に託した画家の思いに重なり、建物と一体となって無限に優しい。
習作も交えた小磯作品と館長自身の世良作品が、一階の壁面と二階の回廊沿いの壁を飾り、地下を企画展に開放している。
阪急神戸線。阪神間を結ぶ鉄道三線の中で、最も山手を走るのが阪急電鉄。夙川を越えるとひたすら六甲山の南山麓の緑の海を北側に、瀬戸内海の輝く波頭を南の遠景に取り込んで走り抜ける。
特に御影あたりは鬱蒼とした緑の向こうに、一軒数千坪を抱える御屋敷や南の光を正面に受ける甲南病院が小高い丘の上に座り込む風景に、初めて訪れる者も東神戸の代表的な佇いを感じとる。
御影駅から南へ数分、優しくかわいい、しかし成熟した女性の雰囲気いっぱいで世良美術館はある。

▲ 外観:イタリアの少女の頬の色と評された外観
阪神大震災後の復興フォーラムで、パネラーの一人として参加した世良臣絵の話を聞いたことがある。
防災や都市計画専門の大学教授やボランティアのリーダーに混じり、車椅子で登場した世良の話は、およそ場違いの存在であり話題であった。企画者のミスキャスティングであり、とつとつとした話ぶりは他の講師の雄弁とは比べようもない。だが、話の内容には心に迫る優しさがあり、忘れがたい印象を受け止めた。
この時の話と、その後直接に、彼女から聞きえた話題から美術館開館にいたる寓話をまとめると、それがそのまま神戸に点在する私設美術館のある側面を語ることに通じる。
東京の富裕な家庭に生まれ育った彼女が、縁があって神戸御影の歯科医に嫁ぎ広大なお屋敷で暮らすことになる。
なに不自由のない医師夫人暮らしだったが、子どもの頃から習い親しんだピアノを本格的にレッスンし、一時はソリストとしても活躍を始めたころ、地元の御影・住吉に屋敷を構える関西富裕層に敬愛された歯科医の夫の、ソサイェティーを通じて画家小磯良平と出会い、何事にも積極的な興味を持つ彼女は絵画への眼を開かれて小磯に師事する。
やがて『キミには絵が描けるよ、そのために……』と師の言葉に背中を押されて、パリへ遊学した。
ここから話は飛ぶ。
戦後まもなく、歯科医の夫は先立ち、御影の御屋敷が彼女に残された。四季の花々が美しいお花畑に囲まれた広大な敷地であった。
ついで敬愛する師小磯にも、神戸市民愛惜の中、異界に旅立たれた。
彼女も己の人生はここで終焉、と、一度は自分で幕を降ろした。
ここから再び話は飛ぶ。
ときおり一人で鍵盤にふれ、絵筆を手にする静かな暮らしに、予想もしない転機が訪れる。
彼女が住む御影の御屋敷町にも道路拡幅などの環境整備が進むにつれて、阪神間指折りの住宅地としての評価がさらに高まった。当然、彼女の広大な土地・屋敷にも不動産関係企業から譲渡の話が持ち込まれた。
売りたくて譲渡するわけではないが、このまま静かな一人暮らしに十分な住まいとこれからも続く過大な資産税を考えて、御屋敷の半分を手放すことにした。が、売却話が進むと彼女のこれまでの世界とは異質な生々しい買収交渉の末、莫大な買収費が届けられた。世は土地バブルの頂点であった
「ほんとに困りましてね。こんな大金どうしょうかな、と。もう私の人生やりたいこともやりつくしましたし、いまさら欲しい物はございませんし。しばらく悩みましてね。亡くなりました夫の仕事の世界は、あまりにも縁遠いことでございましょう。お親しくさせていただいておりました武田様(製薬)の奥様などにもご相談したり。
ふと、小磯先生ならなにをお望みかしら、どうなさりたいかしらと考えましたら、思い出しましたの。先生があるときぽつりと口になさった言葉を。
『ボクは自分の美術館を建てるのが夢なんだよ。たしかに公立の美術館に収蔵されたりコレクターに愛蔵されるのは、画家として嬉しいけれど、絵描きの最高の贅沢な夢は、自分の美術館を持ち自分の絵を飾り、たくさんの方にいつも見ていただくことだよ』
こんな素敵な事に気付かずに、何年間も悲しみだけに沈んでいた年月が惜しくて惜しくて……」
ここから彼女は猛然と行動を起こした。それまで過ごした時間を巻き戻すように。
日本の建築家だが世界にも名の高いY、生まれたときから学校も事務所開設も純粋の神戸っ子のS。大きな組織の設計事務所など、世界で著名、神戸で著名、組織力で著名と言われる数人・数事務所に美術館建設の提案を依頼した。このあたりにも、世の評価より自分の目で見つめるという彼女の芸術家としての論理と感性の鋭さを感じる。
出された提案を、彼女は一人で検討した。
S案に決定して、敷地への配置から建物のすべてが任せられた。
彼女が採用の基準にしたポイントは二つ。
絵を愛し、小磯良平を理解していること。建設予定地の御影を理解していること。しょせん私は建築には素人ですからねと、彼女は笑うのだ。
神戸はわが国でも個人美術館(開館後公立になったものも含めて)の最も多い都市と言われる。しかもほとんどが武庫川から生田川までの間の、いわゆる阪神間の六甲山麓に点在。とりわけ御影・住吉周辺にその個性的な姿を見せている。
白鶴美術館、香雪美術館(朝日新聞村山社主の記念美術館)、滴水美術館(山口銀行の創業主)、芦屋美術博物館、大谷記念美術館、辰馬考古資料館、白鹿記念酒造博物館などとつづく。この地域一帯に住まう、重要文化財的古美術品から現代美術品を問わず、世界に著名な、あるいは巷間に名をひそめたコレクターとなればいったい何人いるだろうか?
竣工した世良美術館は、一九九二年の神戸市建築文化賞に輝いた。世良臣絵の選択眼は見事だったという以外にない。

▲ 一階:天から落ちる優しい光が大理石の床に映えて

▲ 二階:吹き抜けを取り巻く展示回廊
■女流画家の涙
車椅子の中で「絵がかわいそう、小磯先生がかわいそう」と嘆いたのは、最近完成した小磯記念館についての話であった。
一九八五年、神戸市の大プロジェクトである人口島六甲アイランドの完成に合わせて、世界最大を誇った海上都市の目玉施設の一つとして、地元出身の画家の画業を記念する小磯良平記念館が完成した。
六甲アイランドの北側に、広大な敷地に平屋のゆったりした建物がひろがり、収蔵した小磯作品もかなり多くかつての小磯のアトリエも再現されたほとんど完璧と思える記念館である。
この美術館のどこが、世良臣絵を悲しませるのか……。卑俗に考えれば、女性の嫉妬なのかとさえ思ったが。
彼女は軽く眼を閉じながら語り出した。
「絵をご存じない方が考えた美術館なのね。六甲アイランドといえば人工の島ですから美術館の近くは海でしょう。もちろん最新の設備に守られているのでしょうけれど、絵は潮風に弱いのよ。保存を大切に考える私設美術館が、山手の御影や住吉に建てられた理由もそこにありますものね」さらに言葉をつづける。
他の絵描きさんの美術館なら、僣越ですから何も申し上げませんわ。でも……、小磯先生の絵だけは、かわいそうでね、と。
つづいて最近完成した兵庫県立美術館を話題に出すと、彼女は目を閉じて静かに首を振った。その一瞬、目尻に光るものが散ったように見えた。
二○○二年開館した西日本最大を誇る美術館は、世界のAとマスコミが肩書きをつけ、東京大学の教壇にも立つ有名な建築家の設計として県ご自慢の施設である。立地は震災後に製鉄工場跡地に再開発された神戸の副都心HAT神戸(ハットコウベ)であり、瀬戸内海に突き出したコンクリート打ち放しの偉容は、神戸の並みいる美術館の概念をぶちこわす迫力だ。
世良美術館館長で画家でありピアニストである世良臣絵は、車椅子の中で、背筋を伸ばしてささやいた。
「有名な建築家でいらっしゃるから絵の鑑賞や芸術性は十分ご存じなのでしょうね。でも絵の命をご存じかしら……」
関西経済界が活況にあふれ、地元市民と画家、詩人、小説家たちが一体となって六甲山麓にモダンなライフスタイルを創りあげていたころ、優しさに満ちた画家小磯良平の横には、笑顔で寄り添う若々しい世良臣絵の姿が常にあったに違いない。と、一瞬、思い描いていた。
第四話 了
●資料提供
瀬戸本淳建築研究室
●写真提供
瀬戸本淳建築研究室/撮影・高橋裕嗣
day:1
week:7
total:4575(since 09/may/2005 15:00)
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