事件は港からやって来た……横浜・神戸 二都物語
2005
22
Oct
Posted by 佐田 薫子 on 00:00 / Category : 横浜・神戸二都物語
●新線みなとみらい線(仮称)元町・中華街駅
 会合が始まろうとしていた。
 会議室には、関内地域の商店街や町内会の代表たちが三々五々集まっていた。
 皆が席に着くのを見計らって、主催者は出来上がったばかりのA四サイズ見開きのチラシを配り始めた。そのチラシを手に取りながら参加者たちが談笑する中、中華街発展会の代表が、おもむろに口を開いて問い掛けた。
  …これはどういうことですか?
 落ち着いた口調で問いかける彼の表情は、いつものとおり穏やかな風であったが、その視線の鋭さはただごとではないと皆に意識させ、ざわめきがぴたりと収まった。
  …この駅名はいったいどういうことですか?
 もう一度、穏やかな調子で繰り返す彼が指し示すチラシには、関内地区を横断し、元町までの延伸を予定して、目下工事が進んでいる東急東横線の路線計画が点線で記されていた。

 計画図には横浜駅から駅が五箇所丸印で表記され、その中の三箇所が関内地区に位置している。中華街と元町には、ちょうど両方の地区にまたがるように、二つの地区を分かつ中村川に掛かる前田橋あたりに丸印が打たれていて、路線上ではその駅が終点となっていた。表記は「元町・中華街」駅となっている。そして、チラシには「(仮称)みなとみらい新線計画路線図(案)」と三六ポイントの文字が効果を期待してか、斜めになって躍っている。
  …駅名が決まったという話なのですか?
 畳み掛けるように言う中華街代表の科白に、静まっていた会合の参加者は一斉にどよめき、会議の主催者に向かい、口々に問い掛け始めた。中には詰問めいた口調の者もいた。
  …そんなはずないだろう、誰が承知しているのか。
  …聞いていないぞ。
  …可笑しいじゃないか。
 主催者はあわてふためき、チラシ自体がまったくの案であり、駅名も勿論(仮称)であること、なんらの意図が在ってこのようなチラシを作ったわけではないこと、であるから駅名が決まったなどということはまったくなく、誤解をさせるようなことになってしまって申し訳ない限りだと、額の汗をぬぐいながら言い、落ち着かない視線を巡らせた。
 しどろもどろに言い訳を繰り返す主催者に対して、声高に言いつのる他の参加者の様子を、元町商店街の代表は、一人だけ黙って見詰めていたのだった。


みなとみらい線路線図 横浜高速鉄道株式会社ホームページから

 二〇〇四年(平成一六年)二月一日、みなとみらい線は開通した。みなとみらい線とは、横浜都心と東京を結ぶ新しい路線として、横浜駅からみなみらい二十一地区を経て、元町・中華街に到る延長四.一キロメートルの全線地下構造で整備された鉄道のことである。
 横浜駅で東急東横線との相互運転を行い、「横浜駅」「新高島駅」「みなとみらい駅」「日本大通り駅」「元町・中華街駅」の六つの駅がある。平成十六年度の実績では、合計一日に二十四万人が乗り降りしたと報告されている路線であり、東京急行電鉄株式会社や日本政策投資銀行それに神奈川県や横浜市役所などの出資による第三セクターが営業運営する横浜市の一番新しい鉄道である。
 一九九二年(平成四年)に工事が着手され、路線自体の位置は確定していたものの、開業に至るまでの間、この鉄道が横断する地域は、まさに横浜の開港の地であり、その発展に係わってきた地域の住民たち、特に商店街の関係者がそれに寄せる意識は並々ならぬものがあった。その中でなによりも関心を集めたのが、駅の出入り口と、そして駅名であった。

 新線計画が発表されてまもなく、みなとみらい線が通る予定地域に関連する商店街や町内会の代表たちが、情報共有を主目的とする任意の協議会を結成したのは、円滑な事業進捗を期待する行政とこの地域を地盤とする議員の音頭取りもあったからである。そしてまた、この新しい鉄道路線の開通が今後の地域の発展、ひいては各商店街の盛衰にも係わってくると考えたからに違いなく、これまで何の関わりも持っておらずむしろ持とうともしなかった商店街同士が、同じテーブルで話題を共有するという画期的なことでもあった。
 協議会は「伊勢佐木町商店街」「馬車道商店街」「元町商店街」「中華街発展会」「山下町町内会」「山下公園通り会」などの代表者で構成されていた。
 話題の中で、駅の出入り口が、今後の営業に大きく影響して来るであろうことは想像するに難しいことではない、それと共に、議論の中心になったのは駅名であった。
 実のところ、協議会開催の当初から「元町商店街」と「中華街発展会」の代表との間には冷ややかな空気が漂っていた。なぜかというと、みなとみらい線の終点駅となる駅自体が「元町」寄りであることに、年間一八〇〇万人と言われる横浜市域の観光地としてはダントツの数を誇る来街者を迎えている中華街としては、納得出来ないものを感じていたからである。それに対して、元町側では、開港と同時に開かれたという由緒と、ハイカラ横浜の発信基地で在り続けてきた意識を誇る気持ちから、一歩も譲るつもりがなかったのである。

  …駅名は当初からご説明を申し上げておりますとおり、あくまでも「(仮称)元町・中華街」でありまして、議論はこれからでございますので・・・。
  …確認できれば結構ですが、オモテに出るものなので、充分注意していただきたいものです。
 主催者の言い訳を途中で遮り、中華街の代表がこう言い切ると、騒ぎが静まった。そして、
  …駅名については、いろいろございますので・・・。
と言いながら、不快感を現すかのように、彼は目の前のチラシを手で脇にどけながら、元町商店街の代表に強い視線を送った。
 元町商店街の代表は、何も言わずにチラシを手に取りもう一度視線を走らせると、静かに裏返した。

●元町「変わらない想い。変わっていくストーリー。」
 「おしゃれな街」が元町の印象である。
 横浜開港時に、外国人居留地と予定された現在の山下町一帯から村人たちは立ち退きを命ぜられ、その住む先として出来た山ノ下に或る街すなわち「元町」であった。当初は「もともとの横浜村」という意味で「元村」と言われている。


横濱村元町あたり 協同組合元町SS会ホームページから

 山手の丘に住むようになった外国人たちの日用品を扱ったことから、「パン」「西洋菓子」「西洋家具」「洋服」「鞄」「靴」などの横浜での発祥の地となり、独自のブランドを送り続けて来た歴史或る商店街である。そして、この西洋文化との出会いを充分に意識し、これまで街を造って来た場所でもある。
 全国でアーケードやカラー舗装がもてはやされた昭和三十年代に、あえてアーケードで全天を覆うのではなく、壁面線を指定することで各店舗の一階部分を下げ歩行者空間を確保した後、一九八五年(昭和六十年)八月にヨーロッパの街並みを想像させる石畳舗装をあしらったモールを完成させ、降り注ぐ陽光と港からの海風を感じる『歩いて楽しい街並み』を造りあげたのである。

 ところで、元町の各商店で結成している組合である「協同組合元町SS会」の組合費は、日本一高いことで有名である。ちなみに売上高に応じて月額一万円から三〇万円までの支払いを要求される。であるから、一年間で会費は総額で一億円以上も集まる計算になる。この潤沢な組合の資金を有効に活用して、さまざまなイベントが開催され、街の造作がなされているのだ。そして、それらの活動を可能にしているのが、意欲にあふれた若い人材の積極的な活用という背景である。
 全国で商店街経営者の高齢化が進んでいる。
 後継者問題はどこでも頭が痛い話になっているはずである。しかし、この元町SS会の理事の平均年齢は五十歳以下と若い。そしてまた、若手の意見を反映できるような仕組みを設け、イベントなどの開催を任せるなどしているのだ。
 考えるに、意欲ある若手が活躍し新しいことに挑戦するという風土は、開港以来の流れを受け継いでいるとも言えそうである。そもそも壁面線を指定したおかげで店舗面積を削るという暴挙に出たのも、今は街の代表の面々である当時の若手たちなのだから・・・。

 東京有数の繁華街の渋谷と直結する新しい鉄道路線が開通するに至り街に駅が出来る、そしてその駅名に街の名前が付く。こんな露出効果の高い機会は二度とありはしないだろう。認知度がますます向上するのも間違いない話である。
 「元町」「中華街」「山下公園」などなど・・・商店街などの代表たち、それぞれが自分たちの街の名前を駅に付けたがっていたのは当然のことであった。各駅いろいろあった中でも、すったもんだの挙句、「元町・中華街」が説明のための仮の名前、あくまでも仮称として使われることが協議会で了承されるまでにも、相当な期間を要した。
 元町の商店主たちにとっては、自分たちが街を、そして開港都市横浜を支えてきたというプライドはゆるぎないものであった。その相手先が世界に名だたる中華街だとしても、だからこそ負けられないという気持ちも有ったに違いない。
 結局、正式な駅名が「元町・中華街」として発表されるまで、みなとみらい線の各種PRパンフレットに掲載された駅名には、必要以上に強調された(仮称)の文字がくどくどしく記されることになったのだった。その裏に、開港からしのぎを削っていた二つの街=商店街の意地が存在した事情は、あまり知られていない。

 みなとみらい線開通によって、いままで以上に観光客が訪れているのは明らかだ。ここでだけでしか味わい触れることの出来ない雰囲気を求めて、今日も多くの人がやって来ている。
 一九九九年(平成十一年)一月には元町の裏通りである元町仲通りに新しい店舗が増えて来た状況を踏まえて、「元町仲通り街並み誘導地区地区計画」が決定し、個性或る街並み作りの波が広がっている。
 物販が主な店ぞろえとはいえ、飲食関係の店ですら、夜の七時半を過ぎるとほとんどの店が閉店し、イルミネーションとショーウンドが明るく輝くだけの街並みとなる「元町商店街」。個性のない街並みが増えている中で、横浜都心の繁華街であるのに、そんないまどきそぐわない意地を張り続ける姿が、ここには好ましく相応しい。
 『変わらない想い。変わっていくストーリー。』を街のブランドコンセプトとして、今日も『元町』は賑わっている。


元町CI 協同組合元町SS会ホームページから


(了)

 



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