2005
29
Oct |
■わがロストラブ
神戸開港百周年とかで、街全体がが浮かれているようだった。
洋治は一九六八年(昭和四十二年)という年を、鮮明に記憶している。
たった今、というあわただしさで梨華から告げられた別れの言葉で、この年が忘れられないことになり、それがたまたま神戸の歴史に重なり西暦も年号歴も彼の記憶にあざやかな足跡を残した。
「あたし結婚を申し込まれてんのよ。水商売もそろそろ潮の変わり目やしね、この辺で……」
いかにも梨華らしかった。数分前、ベッドを離れてシャワーを浴びバスローブをまとった姿だから、まだ胸の谷間には滴が残っているだろう。大連からの引揚者の彼女の普段は標準語なのだが、なんとなく偽悪的な話題のときは照れ隠しのためか使い覚えた関西弁がでる癖を洋治は聞き知っていた。
「で……整理はできたん?」もちろん彼女の店のことではない。いままで洋治は彼女がマダムとして仕切るバーのことに口出しをしたことはない。第一、めったにバーに顔出しもしない。つき合いが深まると、それが男のけじめだと洋治は決めていたし、そんな頑ななところに惚れている梨華でもあった。
だから彼が尋ねたのは、梨華の身辺が整理できたのか、という意味の問いかけだったのだ。梨華が話しやすいように彼も関西弁で応じていた。
「心配してくれてるの? 嬉しいわ。残ったのは一人だけやけどこれが憎たらしいボンでね。別れともないんやけど、どう思う洋治さん」
当人に別れの本音を代弁させようとはエゲツないやんか、と、洋治は言葉を呑み込んだが「やっぱり別れたほうがええやろね」と他人事にして「とりあえずは……」と、未練を匂わせた。
「ほんなら、そうするわ」
これで別れ話は、終わりだった。どちらにも素敵な恋人関係だった。
初めて出会ってから三年になる。
突然降り出した大雨に、とにかくの思いで飛び込んだのが梨華のバー木犀だった。
あと数十メートルで元町駅のガードに飛び込めるトア・ロードのゆるやかな下り坂道で、白熱電球を仕込んだ地味な看板を軒先に出した外観の店である。
カウンターの客席が十席ばかり。初老のバーテンダーと若いお運びの女の子、そして梨華だけ。黒御影石のカウンターと磨き込まれたオイルスティン仕上げの肘掛け椅子の店内に、ゆったり時間が流れる優雅な雰囲気の店だった。
誰かの小説にあったような店だ。たしか戦後すぐの時代設定で戦争未亡人がサービス係の女給。金持ちの息子で軽薄なアプレ男の客に口説かれ本気に惚れて捨てられ、自殺騒ぎを起こす……思い出した、あれは大佛次郎の『風船』だ。
戦後のよくある新旧価値観の対立をテーマにした小説なのだが、ラブストーリーに鞍馬天狗的正義感を持ち込んでどうするのだ大佛さん。と、初見で思った洋治だが、遥かな後年読み返したときには、書く自由や考える自由、何よりも作品を発表できる自由を取り戻した作家の、みずみずしいがむしゃらさが理解できた。
だが戦後二十二、三年もたった今、あんなアプレ若造に惚れる女もいないだろう。すでにアプレゲール(戦後派)を縮めてアプレと言った、無責任若者の代名詞も死語となっている。
懐古にひたるわけではないが、ママなどと幼児言葉ではなく、店の者にも客にもマダムと呼ばせている梨華に、どうやら惚れそうだと洋治は予感した。
あの雨宿りの日から、一週間に一度か一カ月に二度程度の顔出しで洋治はマダム梨華の前に座り、ハイボールを三杯ほどとマダム手作りのオードブルを楽しむ数時間を送ってきた。
話を重ねるうちに彼女が洋治より二歳年長で、ほとんど同じ時代体験を持つことを知った。
空襲、学童疎開、飢餓、焼け跡、進駐軍、ギブミーチョコレート、美空ひばり、アメリカ商品があふれたPX神戸大丸、ピカピカのジュラルミンの元町商店街、マダム梨華には引き揚げという大事が加わった……言葉が途切れずに往復した。
梨華との会話の中から洋治が何となく知りえたことは、彼女にはパトロンと呼べる男が二、三人いるらしい。いずれも神戸の名のある経済人や東京の財界の偉い人のようだ。それ以上は聞く気もなかった。トア・ロードで気ままに店を出すには、尻の青い男で務まるわけもない。
そんな状態が一年ばかりつづいたある夜、帰り際に送って出てきた梨華がささやいた。
「明日の夜九時、オリエンタルホテルのバーにきてちょうだい。あたしのお誕生日なのよ。ホテルでお食事して北野クラブで踊って、洋治さんといっしょに過ごしたいの。きてね」
あれから三回、彼女の誕生日をエスコートしたが、どうやら今年のお誘いはなくなった。
「楽しい思い出を、ありがとう」と洋治は彼女の耳へ、言葉を流し込んだ。いつものようにそのままホテルに泊まる梨華をあとに、洋治は仲町筋を西に歩き、トア・ロードへ右折して六甲山麓へのゆるやかな勾ばいをゆっくり登った。
国鉄のガードをくぐり、灯りを消した梨華の店のバー木犀の前を通って北野へ向かう。その眼の上の黒々とした六甲の山並みの上に、白い光を放つ輝くものが見えた。光芒(こうぼう)とでもいいたい強い光が「何か」を見せていた。
そうか、あれが『市章』のイルミネーションなんだな。朝刊に出ていた地元のニュースとして、神戸開港百周年記念事業の一つ。
これまでは祝祭日や神戸市の慶事のときだけ点灯した神戸市章のかたちのイルミネーションを、連夜点灯して文字通り神戸のランドマークとする、と報じていた。
巨大な建物やタワーではなく、神戸市の背景の六甲山の南山腹に根を降ろして光芒を投げる電飾の神戸市マーク。どうやら当分あの光芒は、失恋ランドマークになりそうだなと眼を細めていた。
●六甲山脈の南山腹に輝くランドマーク。
(写真提供/神戸・島田誠、森栗茂一共著)

昼景でも市章と錨の形は眺められる。

夜はイルミネーションの光芒が、鮮やかに市章と錨、北前船を描き出す。
■あたしのロストラブ
あたしお誕生日は、自分へのプレゼントをする日だとしているのよ……梨華はこの言葉を毎年繰り返してきた。
この日に着るドレスをあつらえて、オリエンタルホテルでお食事をして、その後、北野クラブへ踊りに行くの。その時期にいちばん気に入っている男さんと一緒に。パトロンかどうかにこだわらずに好きな男、恋人、あたしを楽しくさせてくれる男のこと。
わがままかしら、と梨華は思う。が、「誰にも遠慮しないでプライドと欲望を満足させるのよ。あたしの生きてる証しかな? 年に一回だからね。去年もお相手を洋治さんに決めたけど、今日のデートで東京のあの方との結婚話を持ち出したら、どんな返事をするかしら」
予想はつくけど、逆にきつい言葉を何となく期待している自分に、彼女はいたずらっぽい笑顔を鏡に写してみた。
梨華は一九四六年(昭和二十一年)に大連から両親とともに引揚げて、廃墟の神戸に住み着いた。十八歳の春であった。
戦争末期の大連高等女学校四年繰上卒業だから、地元の神戸女学院か兵庫女子師範に進学したかったが、内地上陸地で渡された一人千円が全財産の引揚げ者一家の窮状はそれどころではない。
三宮駅前の闇市のカストリ屋で、日給三十円の女給となった。
金か腕力か度胸のある者が、まずは生き残れる世界だった。
生き抜いて二十数年、トア・ロードに自分の店を持つまでに、はい上がった。自分のお誕生日ぐらい勝手気ままにするわよ、と彼女はひそかに胸を張る。
●神戸市の南北を結ぶメインロードのトアロード。六甲山麓から南に下りメリケン波止場の海岸までを結ぶ。


ところが東京から仕事でくる客の一人から求婚され、これ以上は贅沢だと思う相手の環境や地位と経済力、もちろん男としての魅力を考えると、心が動いた。
でも……もし洋治さんが結婚なんかやめろよと言えば、やめる覚悟もあった。が、彼にそれ以上を求める気はない。彼もあたしのこれまでのパトロンたちについて、正面から話題にしたことはないから。
どうやらそれが二人の仲の、越えてはならないけじめのように思っているのだろう。
「洋治さんのバカ」と、彼が出ていったドアを見つめながら、梨華はベッドの中から声を出した。「あたしみたいないい女、二度と会えないわよ」と声に出して追いかけたが、なんとも空しい気がした。
十二時近くに梨華は部屋を出て、最上階にあるバーラウンジのカウンターに座った。
「おやマダムおめずらしい、お元気でしたか」チーフバーテンダ―が、蝶タイのゆがみを直す仕草をした。梨華もバー木犀も神戸の夜の世界では、知られる存在になっていた。
「失恋してしもて、辛いわね」
「では辛口のベルモットをベースのカクテルで流してはいかがでしょうか」と、素早くシェーカーに手を伸ばした。
バーテンダーの肩越しに、神戸の夜景が広がっていた。北方面にはこのホテルの八階を越える建物がないので、夜景が一望できた。
「いつ見てもいいわね。六甲山の上から見て百万ドルの夜景だというけど、神戸の美しい夜景は南から三宮、元町の向こうへ六甲山を見上げる山側の景色よね」
先ほど洋治と素敵な時間を過ごした北野クラブを追う梨華の眼に、白い光の束が飛び込んできた。
六甲山の中腹より下でかなり手前、たしかあのあたりは再度山(ふたたびさん)だろう。偉いお坊さんが中国へ渡る前に修業し、無事に帰国したお礼に、再度、修業したのが山の名の由来で、市民のハイキングコースの一つとして親しまれている。
しばらく瞳を泳がせていて気がついた。あの形は神戸市のマークだわね、とシェーカーの手元に声をかけた。
今夜から連夜点灯する神戸のランドマークで神戸開港百周年記念事業です、と、梨華の視線の行方に気付いたバーテンダーは大ぶりのカクテルグラスにそそぎ込みながら説明した。
「ランドマーク? あたしのロストラブ・メモリーなのね。ま、お互い元気に生きてゆこうね」
いわゆる水商売の仕事柄だとは決して思わないが、男との少なくない付き合いの中で、洋冶はやや異色だった。まず、彼女におぼれない。と言って、悦楽を一人で楽しみ、過ぎれば背中を向けるような身勝手はしない。梨華が喋っている間はまともに聞いてくれているし、彼女がまどろむまでは、彼も目を閉じない。まだ若い彼の気配りはいったいどういうことだ、と、客商売で慣れた彼女にも読みきれない洋冶の心の内側だった。
彼が言葉の端にもらしたことは……戦後すぐに進学した京都の大学で立ち上げた全学連(全日本学生自冶会総連合)を足場に、その後の学園民主化闘争や朝鮮戦争を契機に激突した反戦・反米闘争で、かなりな挫折を味わったようだ。彼の世代のわずか数年の先輩が最も多く戦没学生となり二度と教室に帰ることなく、さらに戦後、雲流れる果てに散った先輩の死を無駄にするなと闘った反戦平和の運動が、政治世界に組み込まれて無残な経過をたどる中で、洋治は激しく絶望したとか……。
絶望がどんなことか、本音で生きてきたあたしには分からないけれど、彼は真剣だったようだし、その中から手にしたのが、他者への優しさと、その裏側の無関心とも見える醒めた心なのだろう、か。
ついさっき別れたばかりの洋治を思い出して、なんとなく後髪をひかれる思いも捨てきれない自分に、梨華は苦笑した。
梨華はグラスに唇を近付けた。深夜の闇が深まり市章のランドマークが輝きを増した。
現在の神戸市内は高層ビルや高速道路が視野をさえぎり、市章イルミネーションの見える場所がほとんどない。わずかにハーバ―ランド・モザイクの二、三階デッキか、突堤のメリケンパーク・オリエンタルホテルからの眺望だろう。
ベストロケーションは言うまでもなく神戸港に入出港する船のデッキからの眺めだ。
一九○三年(明治三十六年)明治天皇臨席の観艦式が神戸港で開催された。市内の学童数百人が小旗を手に南山麓で錨形に並んで歓迎したのが、三三年の山麓電飾につながったと言われている。
●参考資料
神戸雑学100選(金冶勉・先崎仁共著・神戸新聞総合出版センター)
神戸開港百周年とかで、街全体がが浮かれているようだった。
洋治は一九六八年(昭和四十二年)という年を、鮮明に記憶している。
たった今、というあわただしさで梨華から告げられた別れの言葉で、この年が忘れられないことになり、それがたまたま神戸の歴史に重なり西暦も年号歴も彼の記憶にあざやかな足跡を残した。
「あたし結婚を申し込まれてんのよ。水商売もそろそろ潮の変わり目やしね、この辺で……」
いかにも梨華らしかった。数分前、ベッドを離れてシャワーを浴びバスローブをまとった姿だから、まだ胸の谷間には滴が残っているだろう。大連からの引揚者の彼女の普段は標準語なのだが、なんとなく偽悪的な話題のときは照れ隠しのためか使い覚えた関西弁がでる癖を洋治は聞き知っていた。
「で……整理はできたん?」もちろん彼女の店のことではない。いままで洋治は彼女がマダムとして仕切るバーのことに口出しをしたことはない。第一、めったにバーに顔出しもしない。つき合いが深まると、それが男のけじめだと洋治は決めていたし、そんな頑ななところに惚れている梨華でもあった。
だから彼が尋ねたのは、梨華の身辺が整理できたのか、という意味の問いかけだったのだ。梨華が話しやすいように彼も関西弁で応じていた。
「心配してくれてるの? 嬉しいわ。残ったのは一人だけやけどこれが憎たらしいボンでね。別れともないんやけど、どう思う洋治さん」
当人に別れの本音を代弁させようとはエゲツないやんか、と、洋治は言葉を呑み込んだが「やっぱり別れたほうがええやろね」と他人事にして「とりあえずは……」と、未練を匂わせた。
「ほんなら、そうするわ」
これで別れ話は、終わりだった。どちらにも素敵な恋人関係だった。
初めて出会ってから三年になる。
突然降り出した大雨に、とにかくの思いで飛び込んだのが梨華のバー木犀だった。
あと数十メートルで元町駅のガードに飛び込めるトア・ロードのゆるやかな下り坂道で、白熱電球を仕込んだ地味な看板を軒先に出した外観の店である。
カウンターの客席が十席ばかり。初老のバーテンダーと若いお運びの女の子、そして梨華だけ。黒御影石のカウンターと磨き込まれたオイルスティン仕上げの肘掛け椅子の店内に、ゆったり時間が流れる優雅な雰囲気の店だった。
誰かの小説にあったような店だ。たしか戦後すぐの時代設定で戦争未亡人がサービス係の女給。金持ちの息子で軽薄なアプレ男の客に口説かれ本気に惚れて捨てられ、自殺騒ぎを起こす……思い出した、あれは大佛次郎の『風船』だ。
戦後のよくある新旧価値観の対立をテーマにした小説なのだが、ラブストーリーに鞍馬天狗的正義感を持ち込んでどうするのだ大佛さん。と、初見で思った洋治だが、遥かな後年読み返したときには、書く自由や考える自由、何よりも作品を発表できる自由を取り戻した作家の、みずみずしいがむしゃらさが理解できた。
だが戦後二十二、三年もたった今、あんなアプレ若造に惚れる女もいないだろう。すでにアプレゲール(戦後派)を縮めてアプレと言った、無責任若者の代名詞も死語となっている。
懐古にひたるわけではないが、ママなどと幼児言葉ではなく、店の者にも客にもマダムと呼ばせている梨華に、どうやら惚れそうだと洋治は予感した。
あの雨宿りの日から、一週間に一度か一カ月に二度程度の顔出しで洋治はマダム梨華の前に座り、ハイボールを三杯ほどとマダム手作りのオードブルを楽しむ数時間を送ってきた。
話を重ねるうちに彼女が洋治より二歳年長で、ほとんど同じ時代体験を持つことを知った。
空襲、学童疎開、飢餓、焼け跡、進駐軍、ギブミーチョコレート、美空ひばり、アメリカ商品があふれたPX神戸大丸、ピカピカのジュラルミンの元町商店街、マダム梨華には引き揚げという大事が加わった……言葉が途切れずに往復した。
梨華との会話の中から洋治が何となく知りえたことは、彼女にはパトロンと呼べる男が二、三人いるらしい。いずれも神戸の名のある経済人や東京の財界の偉い人のようだ。それ以上は聞く気もなかった。トア・ロードで気ままに店を出すには、尻の青い男で務まるわけもない。
そんな状態が一年ばかりつづいたある夜、帰り際に送って出てきた梨華がささやいた。
「明日の夜九時、オリエンタルホテルのバーにきてちょうだい。あたしのお誕生日なのよ。ホテルでお食事して北野クラブで踊って、洋治さんといっしょに過ごしたいの。きてね」
あれから三回、彼女の誕生日をエスコートしたが、どうやら今年のお誘いはなくなった。
「楽しい思い出を、ありがとう」と洋治は彼女の耳へ、言葉を流し込んだ。いつものようにそのままホテルに泊まる梨華をあとに、洋治は仲町筋を西に歩き、トア・ロードへ右折して六甲山麓へのゆるやかな勾ばいをゆっくり登った。
国鉄のガードをくぐり、灯りを消した梨華の店のバー木犀の前を通って北野へ向かう。その眼の上の黒々とした六甲の山並みの上に、白い光を放つ輝くものが見えた。光芒(こうぼう)とでもいいたい強い光が「何か」を見せていた。
そうか、あれが『市章』のイルミネーションなんだな。朝刊に出ていた地元のニュースとして、神戸開港百周年記念事業の一つ。
これまでは祝祭日や神戸市の慶事のときだけ点灯した神戸市章のかたちのイルミネーションを、連夜点灯して文字通り神戸のランドマークとする、と報じていた。
巨大な建物やタワーではなく、神戸市の背景の六甲山の南山腹に根を降ろして光芒を投げる電飾の神戸市マーク。どうやら当分あの光芒は、失恋ランドマークになりそうだなと眼を細めていた。
●六甲山脈の南山腹に輝くランドマーク。
(写真提供/神戸・島田誠、森栗茂一共著)

昼景でも市章と錨の形は眺められる。

夜はイルミネーションの光芒が、鮮やかに市章と錨、北前船を描き出す。
■あたしのロストラブ
あたしお誕生日は、自分へのプレゼントをする日だとしているのよ……梨華はこの言葉を毎年繰り返してきた。
この日に着るドレスをあつらえて、オリエンタルホテルでお食事をして、その後、北野クラブへ踊りに行くの。その時期にいちばん気に入っている男さんと一緒に。パトロンかどうかにこだわらずに好きな男、恋人、あたしを楽しくさせてくれる男のこと。
わがままかしら、と梨華は思う。が、「誰にも遠慮しないでプライドと欲望を満足させるのよ。あたしの生きてる証しかな? 年に一回だからね。去年もお相手を洋治さんに決めたけど、今日のデートで東京のあの方との結婚話を持ち出したら、どんな返事をするかしら」
予想はつくけど、逆にきつい言葉を何となく期待している自分に、彼女はいたずらっぽい笑顔を鏡に写してみた。
梨華は一九四六年(昭和二十一年)に大連から両親とともに引揚げて、廃墟の神戸に住み着いた。十八歳の春であった。
戦争末期の大連高等女学校四年繰上卒業だから、地元の神戸女学院か兵庫女子師範に進学したかったが、内地上陸地で渡された一人千円が全財産の引揚げ者一家の窮状はそれどころではない。
三宮駅前の闇市のカストリ屋で、日給三十円の女給となった。
金か腕力か度胸のある者が、まずは生き残れる世界だった。
生き抜いて二十数年、トア・ロードに自分の店を持つまでに、はい上がった。自分のお誕生日ぐらい勝手気ままにするわよ、と彼女はひそかに胸を張る。
●神戸市の南北を結ぶメインロードのトアロード。六甲山麓から南に下りメリケン波止場の海岸までを結ぶ。


ところが東京から仕事でくる客の一人から求婚され、これ以上は贅沢だと思う相手の環境や地位と経済力、もちろん男としての魅力を考えると、心が動いた。
でも……もし洋治さんが結婚なんかやめろよと言えば、やめる覚悟もあった。が、彼にそれ以上を求める気はない。彼もあたしのこれまでのパトロンたちについて、正面から話題にしたことはないから。
どうやらそれが二人の仲の、越えてはならないけじめのように思っているのだろう。
「洋治さんのバカ」と、彼が出ていったドアを見つめながら、梨華はベッドの中から声を出した。「あたしみたいないい女、二度と会えないわよ」と声に出して追いかけたが、なんとも空しい気がした。
十二時近くに梨華は部屋を出て、最上階にあるバーラウンジのカウンターに座った。
「おやマダムおめずらしい、お元気でしたか」チーフバーテンダ―が、蝶タイのゆがみを直す仕草をした。梨華もバー木犀も神戸の夜の世界では、知られる存在になっていた。
「失恋してしもて、辛いわね」
「では辛口のベルモットをベースのカクテルで流してはいかがでしょうか」と、素早くシェーカーに手を伸ばした。
バーテンダーの肩越しに、神戸の夜景が広がっていた。北方面にはこのホテルの八階を越える建物がないので、夜景が一望できた。
「いつ見てもいいわね。六甲山の上から見て百万ドルの夜景だというけど、神戸の美しい夜景は南から三宮、元町の向こうへ六甲山を見上げる山側の景色よね」
先ほど洋治と素敵な時間を過ごした北野クラブを追う梨華の眼に、白い光の束が飛び込んできた。
六甲山の中腹より下でかなり手前、たしかあのあたりは再度山(ふたたびさん)だろう。偉いお坊さんが中国へ渡る前に修業し、無事に帰国したお礼に、再度、修業したのが山の名の由来で、市民のハイキングコースの一つとして親しまれている。
しばらく瞳を泳がせていて気がついた。あの形は神戸市のマークだわね、とシェーカーの手元に声をかけた。
今夜から連夜点灯する神戸のランドマークで神戸開港百周年記念事業です、と、梨華の視線の行方に気付いたバーテンダーは大ぶりのカクテルグラスにそそぎ込みながら説明した。
「ランドマーク? あたしのロストラブ・メモリーなのね。ま、お互い元気に生きてゆこうね」
いわゆる水商売の仕事柄だとは決して思わないが、男との少なくない付き合いの中で、洋冶はやや異色だった。まず、彼女におぼれない。と言って、悦楽を一人で楽しみ、過ぎれば背中を向けるような身勝手はしない。梨華が喋っている間はまともに聞いてくれているし、彼女がまどろむまでは、彼も目を閉じない。まだ若い彼の気配りはいったいどういうことだ、と、客商売で慣れた彼女にも読みきれない洋冶の心の内側だった。
彼が言葉の端にもらしたことは……戦後すぐに進学した京都の大学で立ち上げた全学連(全日本学生自冶会総連合)を足場に、その後の学園民主化闘争や朝鮮戦争を契機に激突した反戦・反米闘争で、かなりな挫折を味わったようだ。彼の世代のわずか数年の先輩が最も多く戦没学生となり二度と教室に帰ることなく、さらに戦後、雲流れる果てに散った先輩の死を無駄にするなと闘った反戦平和の運動が、政治世界に組み込まれて無残な経過をたどる中で、洋治は激しく絶望したとか……。
絶望がどんなことか、本音で生きてきたあたしには分からないけれど、彼は真剣だったようだし、その中から手にしたのが、他者への優しさと、その裏側の無関心とも見える醒めた心なのだろう、か。
ついさっき別れたばかりの洋治を思い出して、なんとなく後髪をひかれる思いも捨てきれない自分に、梨華は苦笑した。
梨華はグラスに唇を近付けた。深夜の闇が深まり市章のランドマークが輝きを増した。
現在の神戸市内は高層ビルや高速道路が視野をさえぎり、市章イルミネーションの見える場所がほとんどない。わずかにハーバ―ランド・モザイクの二、三階デッキか、突堤のメリケンパーク・オリエンタルホテルからの眺望だろう。
ベストロケーションは言うまでもなく神戸港に入出港する船のデッキからの眺めだ。
一九○三年(明治三十六年)明治天皇臨席の観艦式が神戸港で開催された。市内の学童数百人が小旗を手に南山麓で錨形に並んで歓迎したのが、三三年の山麓電飾につながったと言われている。
第七話 了
●参考資料
神戸雑学100選(金冶勉・先崎仁共著・神戸新聞総合出版センター)
day:1
week:3
total:3138(since 09/may/2005 15:00)
Comments
「トア・ロード」の「トア」は確か「東亜」だと聞いたことがあるのですが……。
震災直後に歩いたとき、ビルの所有者の名前が張り出してありましたが、華僑の方の所有するビルが非情に多かったのが印象に残っています。
震災直後に歩いたとき、ビルの所有者の名前が張り出してありましたが、華僑の方の所有するビルが非情に多かったのが印象に残っています。
on 10/30/05 at 14:28:PM
田中良平
トア・ロード・・・この道路の名前ほどKOBEチックなものはありません。お説のように●東亜、●道路の北端に「トア・ホテル」があったから、●英語の古語のTOR(岩山)から、●鳥居の変化、●印度語のTORAN、●英国人富豪の屋敷「THE TOR」から・・・・神戸っ子の説はとめどなく続きます。神戸市の正式名称は「東亜筋線」と、何とも無粋なもので市民もほとんど知らず、聞かされても覚えようとはしません。絶対に「トア・ロード」でいいのだと言います。だから神戸は楽しいのです。
以上、僕の知る範囲のお答えです。
on 10/30/05 at 20:12:PM
浜っ子で、外航船船員歴40年の父は昨年他界しましたが、父の就航を横浜港で見送り、また、少年時代に関西、九州の港町を父を追いながら過ごした日々のなかでの神戸滞在の思い出を重ねてこの物語を読みました。
息づかいが伝わる歴史や市民の街づくりへの情熱に直に触れることが出来、尊崇する都市研究家ルイスマンフォードの言う都市と人間の遊離し得ない関係をあらためて認識しました。
今度は、都市の風土と人間の実存の潜在的な繋がりについて
すべてフィクションで語っていただく日をお待ちしています。例えば、ローデンバッハの〔死都ブリュージュ〕のような、、、、、、、
ありがとうございました。
息づかいが伝わる歴史や市民の街づくりへの情熱に直に触れることが出来、尊崇する都市研究家ルイスマンフォードの言う都市と人間の遊離し得ない関係をあらためて認識しました。
今度は、都市の風土と人間の実存の潜在的な繋がりについて
すべてフィクションで語っていただく日をお待ちしています。例えば、ローデンバッハの〔死都ブリュージュ〕のような、、、、、、、
ありがとうございました。
on 12/09/05 at 14:41:PM






