九 「三四郎」 -団子坂- - 漱石で歩く東京の坂 by 高橋じゅん マチともの語り-地域・物語り・短編小説
2006
03
Jan
Posted by 高橋じゅん on 17:47 / Category : 漱石で歩く東京の坂


団子坂は、物語の重要な舞台として二度登場する。最初は三四郎がぶらりと散歩に出かけたときだ。

「ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣(いけがき)をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。
 坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟(のぼり)さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる」

三四郎の下宿から団子坂へ出るには、根津神社の北から団子坂通りに続く通称藪下通りを上るのが近い。これは千駄木の家の東にある道だ。途中には、現在文京区立汐見小学校や第八中学がある。坂に出ると、左手には区立鴎外記念本郷図書館が立っている。実は、この図書館、森鴎外が住んでいた「観潮楼」跡なのだ。団子坂付近からは、かつて品川沖の海が望めた。そのため、汐見という呼び名が生まれ、団子坂は汐見坂ともいう。観潮楼はこの汐見に因む。また、団子坂は七面坂ともいうが、正式名は千駄木坂だ。
この団子坂あたりの横町で、三四郎は与次郎と広田先生にばったりと出会う。

「時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。
 与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った」

漱石は、それと知りながら、三四郎の登場人物たちのそぞろ歩きで鴎外の住まい近辺を騒がせたわけだ。そこで、鴎外の「青春」は「三四郎」に刺激されたもの、という説もある。
次に三四郎が団子坂に来たのは美禰子嬢との初デート。団子坂の菊人形見物に来たときだ。菊人形の見せ物小屋が立ち始めたのは、安政三年(一八五六)頃からで、以降、毎年秋になると江戸名物として明治末年まで賑わった。しかし、明治四十年には両国国技館に電気仕掛けの菊人形が登場、そのため団子坂の菊人形人気は急速に衰退した。
ところで、三四郎をはじめ友人たちに菊人形見物を呼びかけたのは美禰子だ。このとき、彼女は実に熱心で三四郎には案内のはがきを送っている。が、よくよく考えると、中級階層でキリスト教会にも通う美禰子が、庶民的な菊人形見物にこだわるのもちょっと腑に落ちない。彼女は、三四郎をデートに誘い出すのが目的だったのではなかろうか。と、勘ぐると美禰子と三四郎が人混みから遠ざかったのも彼女の巧みな陽動作戦では。

「三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」

こうして、人の渦から離れた美禰子は知らずして谷中の方へ向かう、三四郎はその後をおう。

「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
 谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である」

二人が渡った小川と橋ははっきりしている。川の名は谷田川で、藍染川(逢初川)ともいう。谷田では色気がないから、ここでは逢初川と呼ぶことにしよう。そのほうが美禰子と三四郎の心情にそぐわしい。石橋は枇杷橋で合染橋ともいった。
逢初川は、現在の北区滝野川付近から流れ出して不忍池にそそいでいた。今は、暗渠となりその上には霜降銀座やよみせ通りといった商店街が並び、暗渠に沿って人家がくねくねと続く。しかし、当時はきっと畑が広がっていたのであろう。
逢初川を千駄木側から越えると、漱石の言うように谷中に通じる。ちょっと二人のロマンスから外れるが、このコースは、吾輩の苦沙弥先生と多々良三平が芋坂の団子屋に向かった道順でもある。
まさに、漱石はお得意の散歩コースを三四郎と美禰子の初デートの場に選んだのだ。

逢初川と橋が記された切絵図

 



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