ただ今の気温35℃ あらすじ
主人公のジンは大学生。彼は夏期休暇を利用して行う合宿の行き先を決めるサークルの集まりで、「出身地である真珠島に、実は彼女が居る」と嘘をついてしまう。その話を盗み聞きしていたジンの元彼女のナギサは合宿の行き先に真珠島を提案する。慌てたジンは必死に反対をするが、その努力も空しく、多数決の結果合宿の行き先は真珠島に決まってしまう。
慌てたジンは四年ぶりに幼なじみであるココに電話をかけ、「ほんの二週間でいいから俺の彼女を演じてくれ!」と頼み込む。初めは文句を言っていたココも、「自分をフッた彼女を見返してやりたい」というジンに同情し、ジンの彼女を演じる事を承諾してくれた。
真珠島へ向かう船の中、皆の話題は島に住むジンの彼女の事で盛り上がる。そんな中、ジンは生まれてから中学校までを共に過ごしたココとの思い出を振り返っていた。
ジンとココは互いに想いを寄せていたが、結局それをきちんと伝えられぬまま別れを迎えた。「お互い五十歳になったら一緒になろう」という約束を残して。
2005
06
Apr |
「・・・・・今ごろ聞くけど、何でジンあの時私にキスしたの?」
ココは側にあった石を掴むと、それをぶんっと放り投げた。
遠くでどぶんっと、鈍い音がした。その音を掻き消して、波はざわざわと揺れていた。
「分かんねえ。きっと夏の魔物ってヤツだよ。夏の暑さにヤラれたのさ」
あの時のべろべろに伸びきって着れなくなったTシャツは、なぜか捨てられずに今も俺の部屋にある。そんな事、今更ココになんて言えっこない。
「私、ジンって私の事好きだったんだって、思ってた」
ココは手元にあった砂を掴むと、それをさらさらとこぼして見せた。
「おいこら、口を慎め」
ジンはココの顔面を、ぴしっと指差して言った。
「もしもそうなんだったら、考えてやってもいいかもって、ちょっとだけ、思ってたんだけどな」
ココの手の中にあった砂は、全て落ちきってしまった。それを見詰めるココの睫毛は、ふるふると震えているように見えた。後には砂だらけになった、ココの手だけが残った。
「マジで?」
ジンはココを指していた指を、すっと下ろした。そして手持ち無沙汰になったその指を自分に向け、ぽりぽりと鼻を掻いた。
「うん」
ココは両膝をぎゅっと握ると、その中に顔を埋めた。
ざわざわという波音と共に、ジンの心は騒いでいた。
「すいません。正直に言います。あの時、俺、ココに惚れかけてました」
ジンは月に向かって頭を下げた。
「今更言ったって、遅いよ」
ココは体を起こし、手についた砂を払った。
そう、全ては遅かった。ココと俺が一番近づいた絶好のタイミングを、俺は逃してしまった。
一度手から滑り落ちた砂は、もう元には戻らない。後には傷口に染みるような、しょっぱい潮風が吹くだけだ。
「あっ、ごめん。口が滑った」
初めてココとくちづけを交わした、あの祭の夜。
俺はそう言って、初めて俺をひとりの男として見たココを、本気になりかけた自分を、茶化す事で誤魔化して突き放したんだ。
あの日から、俺とココの関係は明らかに変化していた。ただの幼なじみとしてではなくて、お互いを男として、女として、はっきりと意識するようになった。だが長年ココと共に育ってきた俺は、自分の中に生まれたこの感情を扱いあぐねていた。ただ、自分の感情を言葉として伝えるという当たり前の事が、なぜかココに対してだけはどうしても出来なかった。
そうやって躊躇している間に、ヤスヒロはココに対してのアプローチを開始した。俺のはっきりしない態度に業を煮やしたココは、とうとうヤスヒロと付き合い始めてしまった。そして俺はそれに対抗するように、特に好きでもなかったナナの告白を受け入れた。
ナナはココの友達で、あの祭のメンバーのひとりだった。俺が浴衣姿を褒めた女の子だ。後で聞いた話だが、あの祭の日のずっと前から、ナナは俺の事を好いていたらしい。ココが俺を受け入れてもいいという態度を前面に出さなかったのには、そういう理由があったからかもしれない。
今となっては、もう俺はナナを傷つけたくないと思うほどに親密な関係になっていたし、ココのヤスヒロとの付き合いも、それなりに順調にいっているようだった。
「ココ」
「ん?」
ココはそっと目を開けジンを見た。
「もしな、もし仮に、俺があの時お前に付き合ってくれって言ってたら、お前それを受け入れたか?」
ジンはココの心の内を読み取ろうとした。今更こんな事を言っても無駄だとは思ったが、もしもあの時、ココが自分と同じ気持ちで居てくれたのなら、不発に終わったこの恋も、少しは報われるような気がしたからだ。
「・・・・・多分ね」
ココは遠い目で、微かに泡立つ波を見ながら言った。
「・・・・・そう、そんならいいや」
後戻り出来るぎりぎりのラインを、俺とココは既に超えてしまっていた。
幼なじみという照れくささと、周囲のそんな視線が、ふたりの間に境界線を張った。
もし俺がココの幼なじみじゃなくて、家も隣じゃなくて、出会った場所がこんな閉鎖的な島じゃなかったら。そして俺もココも、こんなに意地っ張りな性格じゃなかったら、俺達は普通に恋人同士になっていたんじゃないかと思う。
俺達は環境の被害者だ。
誰に向けた訳でもない嘆きの言葉を、ジンは心の中で呟いた。
ジンとココの口数は、次第に少なくなっていった。
いつの間にかふたりよりも、海がこの場の主役となっていた。
まるで美しい波音に聞きほれている、浜辺に打ち上げられた貝殻のように、ジンとココはそっと耳を澄まして、熱を失ってゆく砂の上でじっとしていた。
今更何を話しても、無意味なような気がした。
所詮、全てはもう過ぎた事。
どんなに望んでも、過ぎ去った時間は戻ってこない。
ジンはただじっと海を見詰めていた。何か話さないと、と口を開いてみても、ジンの言葉は全て迫り来る波音に掻き消されていった。
頬を撫でる潮風は、時間の経過と共に冷たさを増してゆく。
遠くの海上でボーッと汽笛が鳴った。その音は除夜の鐘のように、ビーチに物悲しく響き渡った。
確実に満ちてくる潮のように、ふたりに別れの時は迫りつつあった。
「十時からドラマ観るから、私帰る」
ココはすっくと立ち上がり、おもむろにそう切り出した。
「じゃあ、家まで送るよ」
ジンも立ち上がり、ジーンズについた砂を払った。
「いや、ひとりで帰る」
ココは両手を後ろに組み、真っ直ぐにジンを見据えてきっぱりと言った。
きっと今、この瞬間、ココも多分、俺と同じ感情で居るんだろう。家まで一緒に帰ったら、尚更別れが辛くなる。
見慣れた風景の中で、そこら中生活感で溢れたような所でさよならをするよりも、こういう夜の海みたいに、俺達ふたりを放っておいてくれる所の方が、あっさりと綺麗に別れを迎えられるような気がした。
ココはしばらくじっとしていた。
ジンは、ココに何か言わないと、と口を開いた。でも喉に餅が引っかかったようで、この状況に似合うような、上手い言葉が出てこない。
「さよなら、ジン」
静かに響く波音が、別れの切なさを分散させてくれる。まるで明日もこうやって会えるかのようなトーンで、ココは明るくそう言うと、ジンに向かってにっこりと笑ってみせた。
「ああ」
何とも、情けない事に、ジンの口はたったそれだけしか言えなかった。
まだまだ、実感が沸かなかった。きっと明日になって、朝日を浴びた時に、ジンはようやく理解するんだろう。でもそれまでは、別れの辛さを飽和させてくれるこの生ぬるい夜の空気の中に、そっと身を任せていたかった。
ココは揃えていた足を、一歩前へと踏み出した。
右足を、また一歩。左足を、また一歩。さくさくと音を立てて、ココのビーチサンダルが遠ざかる。ジンはココのきゅっと締まった足首と、そこだけ色が濃くなっていく砂浜の足跡を見詰めていた。
ココは側にあった石を掴むと、それをぶんっと放り投げた。
遠くでどぶんっと、鈍い音がした。その音を掻き消して、波はざわざわと揺れていた。
「分かんねえ。きっと夏の魔物ってヤツだよ。夏の暑さにヤラれたのさ」
あの時のべろべろに伸びきって着れなくなったTシャツは、なぜか捨てられずに今も俺の部屋にある。そんな事、今更ココになんて言えっこない。
「私、ジンって私の事好きだったんだって、思ってた」
ココは手元にあった砂を掴むと、それをさらさらとこぼして見せた。
「おいこら、口を慎め」
ジンはココの顔面を、ぴしっと指差して言った。
「もしもそうなんだったら、考えてやってもいいかもって、ちょっとだけ、思ってたんだけどな」
ココの手の中にあった砂は、全て落ちきってしまった。それを見詰めるココの睫毛は、ふるふると震えているように見えた。後には砂だらけになった、ココの手だけが残った。
「マジで?」
ジンはココを指していた指を、すっと下ろした。そして手持ち無沙汰になったその指を自分に向け、ぽりぽりと鼻を掻いた。
「うん」
ココは両膝をぎゅっと握ると、その中に顔を埋めた。
ざわざわという波音と共に、ジンの心は騒いでいた。
「すいません。正直に言います。あの時、俺、ココに惚れかけてました」
ジンは月に向かって頭を下げた。
「今更言ったって、遅いよ」
ココは体を起こし、手についた砂を払った。
そう、全ては遅かった。ココと俺が一番近づいた絶好のタイミングを、俺は逃してしまった。
一度手から滑り落ちた砂は、もう元には戻らない。後には傷口に染みるような、しょっぱい潮風が吹くだけだ。
「あっ、ごめん。口が滑った」
初めてココとくちづけを交わした、あの祭の夜。
俺はそう言って、初めて俺をひとりの男として見たココを、本気になりかけた自分を、茶化す事で誤魔化して突き放したんだ。
あの日から、俺とココの関係は明らかに変化していた。ただの幼なじみとしてではなくて、お互いを男として、女として、はっきりと意識するようになった。だが長年ココと共に育ってきた俺は、自分の中に生まれたこの感情を扱いあぐねていた。ただ、自分の感情を言葉として伝えるという当たり前の事が、なぜかココに対してだけはどうしても出来なかった。
そうやって躊躇している間に、ヤスヒロはココに対してのアプローチを開始した。俺のはっきりしない態度に業を煮やしたココは、とうとうヤスヒロと付き合い始めてしまった。そして俺はそれに対抗するように、特に好きでもなかったナナの告白を受け入れた。
ナナはココの友達で、あの祭のメンバーのひとりだった。俺が浴衣姿を褒めた女の子だ。後で聞いた話だが、あの祭の日のずっと前から、ナナは俺の事を好いていたらしい。ココが俺を受け入れてもいいという態度を前面に出さなかったのには、そういう理由があったからかもしれない。
今となっては、もう俺はナナを傷つけたくないと思うほどに親密な関係になっていたし、ココのヤスヒロとの付き合いも、それなりに順調にいっているようだった。
「ココ」
「ん?」
ココはそっと目を開けジンを見た。
「もしな、もし仮に、俺があの時お前に付き合ってくれって言ってたら、お前それを受け入れたか?」
ジンはココの心の内を読み取ろうとした。今更こんな事を言っても無駄だとは思ったが、もしもあの時、ココが自分と同じ気持ちで居てくれたのなら、不発に終わったこの恋も、少しは報われるような気がしたからだ。
「・・・・・多分ね」
ココは遠い目で、微かに泡立つ波を見ながら言った。
「・・・・・そう、そんならいいや」
後戻り出来るぎりぎりのラインを、俺とココは既に超えてしまっていた。
幼なじみという照れくささと、周囲のそんな視線が、ふたりの間に境界線を張った。
もし俺がココの幼なじみじゃなくて、家も隣じゃなくて、出会った場所がこんな閉鎖的な島じゃなかったら。そして俺もココも、こんなに意地っ張りな性格じゃなかったら、俺達は普通に恋人同士になっていたんじゃないかと思う。
俺達は環境の被害者だ。
誰に向けた訳でもない嘆きの言葉を、ジンは心の中で呟いた。
ジンとココの口数は、次第に少なくなっていった。
いつの間にかふたりよりも、海がこの場の主役となっていた。
まるで美しい波音に聞きほれている、浜辺に打ち上げられた貝殻のように、ジンとココはそっと耳を澄まして、熱を失ってゆく砂の上でじっとしていた。
今更何を話しても、無意味なような気がした。
所詮、全てはもう過ぎた事。
どんなに望んでも、過ぎ去った時間は戻ってこない。
ジンはただじっと海を見詰めていた。何か話さないと、と口を開いてみても、ジンの言葉は全て迫り来る波音に掻き消されていった。
頬を撫でる潮風は、時間の経過と共に冷たさを増してゆく。
遠くの海上でボーッと汽笛が鳴った。その音は除夜の鐘のように、ビーチに物悲しく響き渡った。
確実に満ちてくる潮のように、ふたりに別れの時は迫りつつあった。
「十時からドラマ観るから、私帰る」
ココはすっくと立ち上がり、おもむろにそう切り出した。
「じゃあ、家まで送るよ」
ジンも立ち上がり、ジーンズについた砂を払った。
「いや、ひとりで帰る」
ココは両手を後ろに組み、真っ直ぐにジンを見据えてきっぱりと言った。
きっと今、この瞬間、ココも多分、俺と同じ感情で居るんだろう。家まで一緒に帰ったら、尚更別れが辛くなる。
見慣れた風景の中で、そこら中生活感で溢れたような所でさよならをするよりも、こういう夜の海みたいに、俺達ふたりを放っておいてくれる所の方が、あっさりと綺麗に別れを迎えられるような気がした。
ココはしばらくじっとしていた。
ジンは、ココに何か言わないと、と口を開いた。でも喉に餅が引っかかったようで、この状況に似合うような、上手い言葉が出てこない。
「さよなら、ジン」
静かに響く波音が、別れの切なさを分散させてくれる。まるで明日もこうやって会えるかのようなトーンで、ココは明るくそう言うと、ジンに向かってにっこりと笑ってみせた。
「ああ」
何とも、情けない事に、ジンの口はたったそれだけしか言えなかった。
まだまだ、実感が沸かなかった。きっと明日になって、朝日を浴びた時に、ジンはようやく理解するんだろう。でもそれまでは、別れの辛さを飽和させてくれるこの生ぬるい夜の空気の中に、そっと身を任せていたかった。
ココは揃えていた足を、一歩前へと踏み出した。
右足を、また一歩。左足を、また一歩。さくさくと音を立てて、ココのビーチサンダルが遠ざかる。ジンはココのきゅっと締まった足首と、そこだけ色が濃くなっていく砂浜の足跡を見詰めていた。
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