森鴎外説の検討(5) もうひとつあった切り札
先に私は栗山大膳が竹中采女正に宛てた密書について、
「鴎外がそこまで意図していたかどうかはわからないが、私のにらんだところでは、この密使は捕まることが役目だったのである。」
と書いた。実は鴎外はこの点についても後の方で自ら解説してみせている。
「利章は福岡の邸から女房と二男吉次とを主家へ人質に出し、竹中采女正に宛てた訴状を二通書いて、一通は物馴れたものに持たせて、間道を日田*1へやり、今一通はわざと人に怪しまれるような風体の百姓に持たせて、市中でそれを巡検の役人に捕えさせた。」
なるほど。私は〝怪しい風体の密使〟とは変じゃないかと鴎外の表現に噛みついたのだが、そんなことは鴎外は百も承知。ある意味では鴎外はそこまで―つまり表現上の矛盾まで―計算済みだったのである。伏線として残したまま、後から真相を小出しにしてみせたのだ。構成の妙と言うべきだろう。
それと同時に、大膳の用意周到な手配りに驚かされる。大膳は相手の出方を推し量って次の手を打っている。その時、相手がこちらの予想を裏切る行動に出たとしても、それも織り込み済みだという作戦(フェールセーフの発想)なのである。ちゃんとセーフティネットが張ってある。
先にふれた通り、単に「訴状」が忠之側に渡るようにし向けただけではない。忠之に読ませるためにこそ、追而書を加えていたのだから。追而書がなければ、大膳の密書は忠之の火のような怒りに油をそそいだだけのことでしかなかっただろう。追而書があることによって、大膳をはじめとする栗山一族の身の安全が保証されたのであった。密使がわざと捕まらねばならなかったのは、この追而書を忠之の目に触れさせるためだった。
鴎外の文章はさらに続く。
「利章はこの最後の手段を取る前に、手分けをして城下の邸をも左右良まてら*2の別邸をも取り片づけ、大切な品はそれぞれ処分した。中にも*3徳川家康が長政に与えた、慶長五年九月十九日附けの書附けがある。『今天下平均の儀、誠に御忠節ゆえと存じ候云々、御子孫永く疎略の儀これあるまじく候』という文句のある一札である。利章はこれを梶原平十郎景尚に渡して言った。このたび右衛門佐*4も自分も江戸に召されるからは、黒田家の浮沈におよぶことがないには限らぬ、さようの場合にはこの書附けを持って江戸に出て、土井、井伊、酒井三閣老の中へ差し出されいと言った。」
「……それだから景尚は実は孝高よしたかの庶子、長政の弟、忠之の伯父である。この書附けは用立たずにしまったが、のち明和五年になって黒田筑前守継高つぐたか*5の手に梶原家から戻った。」
この書付について鴎外はここまで伏せていた。すなわち、これこそが大膳にとっての「最後の切り札」なのである。土井利勝邸で井上道柏が土井、井伊、酒井に念を押した「黒田家へは末代まで不沙汰はせぬ」という家康の言葉。
結果的に見ると、幕府の忠之の処分にはそれで十分だった。しかし、その言葉だけではなお不安が残った場合の、これこそが「最後の、そのまた最後の切り札」として使われるはずだったわけである。忠之の家来として仕えている梶原景尚は血脈をたどると忠之には伯父に当たる。大膳からすると重要な文書を託すに足る人物であり、幕府に提出する際にも身元を怪しまれることはない。
慶長五年は関ヶ原の合戦の年。天下分け目の大戦おおいくさは九月十五日のたった一日で決着した。だからその四日後、まだ興奮さめやらぬ内に書かれた文書ということになる。黒田家の浮沈を左右する、確かに十分過ぎる物証だった。
鴎外が事実の経過の中ではこの書付にふれることなく、ここに至って初めて真相を明らかにしたのは、大膳にはまだ策が残されていたと言いたかったのだろうか。あるいはその一策を例示することで、大膳の策略の闇の深さを暗示したのだろうか。
■ 「栗山大膳」の引用は『森鴎外(二)』(アイボリーバックス 日本の文学3 中央公論社)による。同書は新仮名遣い。引用個所だけは、旧仮名遣いを採用している『森鴎外集(二)』(現代日本文学大系8 筑摩書房)と対照した。なお、引用部分について、ルビは引用者の判断で付したものである。
「鴎外がそこまで意図していたかどうかはわからないが、私のにらんだところでは、この密使は捕まることが役目だったのである。」
と書いた。実は鴎外はこの点についても後の方で自ら解説してみせている。
「利章は福岡の邸から女房と二男吉次とを主家へ人質に出し、竹中采女正に宛てた訴状を二通書いて、一通は物馴れたものに持たせて、間道を日田*1へやり、今一通はわざと人に怪しまれるような風体の百姓に持たせて、市中でそれを巡検の役人に捕えさせた。」
なるほど。私は〝怪しい風体の密使〟とは変じゃないかと鴎外の表現に噛みついたのだが、そんなことは鴎外は百も承知。ある意味では鴎外はそこまで―つまり表現上の矛盾まで―計算済みだったのである。伏線として残したまま、後から真相を小出しにしてみせたのだ。構成の妙と言うべきだろう。
それと同時に、大膳の用意周到な手配りに驚かされる。大膳は相手の出方を推し量って次の手を打っている。その時、相手がこちらの予想を裏切る行動に出たとしても、それも織り込み済みだという作戦(フェールセーフの発想)なのである。ちゃんとセーフティネットが張ってある。
先にふれた通り、単に「訴状」が忠之側に渡るようにし向けただけではない。忠之に読ませるためにこそ、追而書を加えていたのだから。追而書がなければ、大膳の密書は忠之の火のような怒りに油をそそいだだけのことでしかなかっただろう。追而書があることによって、大膳をはじめとする栗山一族の身の安全が保証されたのであった。密使がわざと捕まらねばならなかったのは、この追而書を忠之の目に触れさせるためだった。
鴎外の文章はさらに続く。
「利章はこの最後の手段を取る前に、手分けをして城下の邸をも左右良まてら*2の別邸をも取り片づけ、大切な品はそれぞれ処分した。中にも*3徳川家康が長政に与えた、慶長五年九月十九日附けの書附けがある。『今天下平均の儀、誠に御忠節ゆえと存じ候云々、御子孫永く疎略の儀これあるまじく候』という文句のある一札である。利章はこれを梶原平十郎景尚に渡して言った。このたび右衛門佐*4も自分も江戸に召されるからは、黒田家の浮沈におよぶことがないには限らぬ、さようの場合にはこの書附けを持って江戸に出て、土井、井伊、酒井三閣老の中へ差し出されいと言った。」
「……それだから景尚は実は孝高よしたかの庶子、長政の弟、忠之の伯父である。この書附けは用立たずにしまったが、のち明和五年になって黒田筑前守継高つぐたか*5の手に梶原家から戻った。」
この書付について鴎外はここまで伏せていた。すなわち、これこそが大膳にとっての「最後の切り札」なのである。土井利勝邸で井上道柏が土井、井伊、酒井に念を押した「黒田家へは末代まで不沙汰はせぬ」という家康の言葉。
結果的に見ると、幕府の忠之の処分にはそれで十分だった。しかし、その言葉だけではなお不安が残った場合の、これこそが「最後の、そのまた最後の切り札」として使われるはずだったわけである。忠之の家来として仕えている梶原景尚は血脈をたどると忠之には伯父に当たる。大膳からすると重要な文書を託すに足る人物であり、幕府に提出する際にも身元を怪しまれることはない。
慶長五年は関ヶ原の合戦の年。天下分け目の大戦おおいくさは九月十五日のたった一日で決着した。だからその四日後、まだ興奮さめやらぬ内に書かれた文書ということになる。黒田家の浮沈を左右する、確かに十分過ぎる物証だった。
鴎外が事実の経過の中ではこの書付にふれることなく、ここに至って初めて真相を明らかにしたのは、大膳にはまだ策が残されていたと言いたかったのだろうか。あるいはその一策を例示することで、大膳の策略の闇の深さを暗示したのだろうか。
■ 「栗山大膳」の引用は『森鴎外(二)』(アイボリーバックス 日本の文学3 中央公論社)による。同書は新仮名遣い。引用個所だけは、旧仮名遣いを採用している『森鴎外集(二)』(現代日本文学大系8 筑摩書房)と対照した。なお、引用部分について、ルビは引用者の判断で付したものである。
- 注1 ここまであえて触れなかったのだが、鴎外が竹中采女正を「豊後国日田にいる徳川家の目附役」と書いたのは間違いである。豊後府内の藩主で長崎奉行。黒田騒動の経過中に、長崎奉行在任中の不正が原因で罷免された。したがって目的地は日田ではなく府内である。
- 注2 一国一城令が出るまで機能した筑前六端城ろくはじろの一つ。上座じょうざ郡、現在の朝倉郡朝倉町にあった。父備後の代から、栗山家が預かっていた。
- 注3 「中には」『森鴎外集(二)』現代日本文学大系8、筑摩書房。
- 注4 鴎外の「栗山大膳」には「右衛門佐」という言葉が一七か所出てくる。その内、「殿」という敬称が付くのが三か所ある。これは私の語感では「様」の方が適切なように思われるが、それはまぁいいとしよう。問題と思うのは、この注を付けた一文で、一七か所の最後に当たる。
ここは大膳が同藩の梶原景尚に語りかけた内容だが、話し言葉の中で、大膳が発したとするにはふさわしくない。いくら感情的にこじれていても、大膳の立場からは「右衛門佐様」と言うべきなのである。そう呼ばなかったとすれば、礼儀知らずとなり、聞いている景尚に不信が生じるにちがいない。 - 注5 第六代藩主。
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