箱崎釜破故の世界(29) 急転直下-武士道から見た黒田騒動 by 石瀧豊美 マチともの語り-地域・物語り・短編小説
箱崎釜破故の世界(29) 急転直下
author: 石瀧豊美
Posted on 04/30
 ○江戸表にて筑前家中、大膳と対決の事(つづき)

 時に大膳、御老中方に向かい、内蔵之允は長政公以来、台所に懸り置き、金銀、米銭、田畠のみ取り扱いて、武士の出合いは存じたるものにてござなく候。最早退出致されよ、と悪口申す所に、黒田美作罷り出で、何か少し申しける時、大膳申しけるは、
 美作は私姉聟にて何の理非も存じたるものにてござなく候。文盲第一の者にて、か様の場所へ、たとへ御召し有れ共、出る者にてこれなく、退出致されよと申せば、美作申しけるは、
 只今大膳申し上げ候通り、私文盲にして、仮名書きの本も分かりがたし。併し論語とやらん、孟子とやらん申す書に、君、君たらず共、臣たるとやらん、貴殿申さるる事承りしが、其書はいかが見られしや。たとへ君たらず共、君として君に非儀を申し懸くるは何たる書にこれある哉、と申しければ、大膳も此利に伏し、顔をそむけて居たる所に、
 井上道柏、大膳が前に参りつくばい、いかに大膳、御歴々様御列座の所、其の方、座席高し、罷りしざり候え。某それがし着座す、と申す時、大膳畳を壱枚程下る時、
 道柏、大膳が上座に着きて、権を取り、御列座の各、道柏へ御挨拶有り。道柏御礼申し上げ、其の後、大膳に向かい、
 いかに大膳、其方は侍と生まれ、左程命は惜しき物か。重代の主人に、無実を言い懸け、言語道断の不忠者、其方が親備後に男子なきを、長政公気の毒に思し召し、諸所の御社に御願を込められ、其方母懐妊の後より、誕生せしかば日々御聞き見廻い、中々其方が身を粉にしても、御厚恩を報ず事は九牛が一毛にも至らず。夫れこそ叶はず共、不忠千万、親備後は仮初かりそめにも主人をおろそかに思わざりしが、能くも親には生まれ劣りしよ、と恥ずかしむれば、大膳重ねて、道柏、貴殿近年隠居して、此の壱件は御存じあるまじと申しければ、
 道柏、御列座の方々に手をつき申し上げけるは、忠之謀叛の企てと申し上げ候儀、第一偽りにござ候。其の故は、若し忠之、左様の心有らば先ず我々如き武功有る者にこそ談ずべきに、戦場さへ見たる事もなき大膳壱人に談ずべき訳なし。
 内蔵之允、監物、美作、かつて存ぜず。増して此の道柏、存ぜざれば、偽る事明白也。公事は此方勝ちに疑いあるまじく候。尤も忠之若年にして、国政御意に応ぜずして、国家召し上げられ候わば、力に及ばざる也。
 併し関ヶ原御戦いの時、長政軍功他に勝れし故、権現様*1、長政の手を御取り遊ばされ、黒田家七代迄は不埒有れ共相違有るまじとの御約束。此の儀は申し上げず共、掃部頭様、大炊頭様、雅楽頭様方は現在*2御覧の儀に御座候。忠之叛逆ならぬ儀は御推察も遊ばせらるべしと申し上げしかば、美作、内蔵之允も共々に御願い申し上げければ、
 御列座、何たる御挨拶もこれなき所に、道柏此方の者ども、公事は勝ちたるに、何しに退座せざると、御列座の御方、大膳は非儀成る事を申すものかなと思し召しける時、大膳謹みて釆女正様へ申し上げ候は、
 去年八月に御願い申し上げ置く所の、大炊頭様迄指し上げ置き候一紙、此の時御披露願いたてまつり候と申し上げ候えば、大炊頭殿、則ち壱封を御出し、逐一御覧遊ばされ、御列座に仰せられけるは、
 大膳より釆女正殿を以て対決の折節、御願い申し上ぐべく候。夫れ迄は開封これなく、預けもうすべく、公事一件を書き置き候由。則ち此の書面、忠之謀叛と申し上げ候は、全く以て実事にてござなく、偽り申し上げ候也。
 其の訳、御聞き届け願いたてまつり候。右衛門佐、若年に付き、佞臣の輩、様々邪儀を勧め、我侭、不行跡、日増しに候。
 之によって只今御列座様御覧遊ばされ候五拾弐ヶ条を以て、諫め申す所、一ツとして用いこれなきのみならず、此の時に望み、佞臣讒ざんを構え、剰あまつさえ大膳を成敗に差及び候に付き、犬死に致候らわば、いよいよ佞臣の為に国家を失わん事目前なり。故に、公儀の御威光を借りて、君を諫めんと存じ、之によって謀叛の二字を言上して、命を助かり、国の危うきを救いたき、我が計略、御上を憚りて候段、恐れ入りたてまつり候。
 誠に以て如水、長政二代の功方、水の泡に成れば、忠之、不孝不忠と成り、一家中の危き猶少なからず存じたてまつり候。
 斯の如き上は大膳いかなる罪にも処せられ下さるべく候、と読み上げ給えば、列座の各、大膳が無二の忠臣を感じ給いて、愁涙を催し給いて退座有りける。

【解説と要約】
 江戸城での審理が続く。
 小河内蔵丞の反論には、大膳は台所役人にわかるはずがない、と切り捨てた。そこへ黒田美作が出てきた。
 大膳は、美作は姉婿であるが、文盲第一の者である、と侮辱した。これに対し、美作が「確かに大膳の申し上げた通り、私は文盲でひらがなの本すら読めません。」と言う。実に意表をついた、ユニークな反論である。そして、美作の反論は理にかなっている。
 美作は続けた。論語とか、孟子とかに、主君が主君たりえていない時にも(主君にその資格がない時にも)、臣はあくまでも臣としてふるまわねばならない(「君、君たらずとも臣、臣たらざるべからず」)と書かれていると言ったのは、ほかならぬ大膳、あなたではないか。
 文盲とこばかにされた美作のせいいっぱいの反論に、大膳は返す言葉がなかった。
 そこに井上道柏が現れた。道柏はいきなり大膳にあびせかける。「そのほう、座が高い」。美作や内蔵丞には見下した態度を取った大膳が、道柏に対してはことさらにへりくだった態度を取り、畳一枚ほど下がり、その後に道柏が座った。見かけの上でも、道柏が大膳の上座に着いたのである。一座の人々は「おおっ」と思ったであろう。この後の道柏の言葉が重みを持つようになったのは言うまでもない。なお、この部分は森鴎外「栗山大膳」では「一間ばかり下がった」と書かれている。畳一枚が長辺を指すか、短辺を指すかだが、長辺を指していれば「一間」に等しい。
 「いかに大膳……」で始まる道柏の言葉は、すでに見た小河内蔵丞の言い分にうり二つである。長政の恩を忘れたか、という論理だ。
 しかし、道柏の言いたかったのはそこではなかった。心に秘めていたことがある。じっと出番を待っていたのである。
 道柏は老中に向き直った。忠之に謀反の事実のないことは、私ら武功ある者が関与していないことでわかる、と言う。これは主観的な弁明で、ちっとも証明になっていない。それに、世間を騒がせただけでも、責任を問われかねないことを思えば、もはや無実の主張だけでは足りないのである。
 そこで、重ねて言う。万一、忠之が罪に問われることがあるとしても、次のことを思い出していただきたい。関ヶ原の合戦で、家康公が先代・長政の手を握って言った言葉。それは御老中方の目の前で繰り広げられた場面ですから、お忘れではないでしょう。すなわち、こう約束されたのです。「黒田家に不都合なことがあっても、長政から七代までは領地を取り上げることはない」と。それを、僅か二代で黒田家をつぶすことはよもやありますまいな。それに、元々忠之には罪はないのですぞ。
 へりくだった物言いだが、半ば脅迫に近い。肥後加藤家が取りつぶされたという前例がある。その道を封じる、絶対的な保証―それが、家康の約束なのだ。これを何としてでも公の場で確認させねばならない。
 老中達は無言である。無礼な奴だと思ったかもしれないが、家康の言葉を取り消す権限は誰にもない。道柏はいっそう勝ち誇った。黒田家の家臣達に向き直った。「われわれの勝ちだ。もう大膳に関わる必要はない。なぜ退出しないのだ。」
 この絶妙のタイミングで、大膳が竹中采女正に向かって発言した。去年八月、土井大炊頭様にお届けしてある書面があります。あれをこの場でご披露願いたい。大炊頭がそれを取り出して目を通し、声に出して読んだ。
 「この書面はあらかじめ預けておき、対決の場で初めて開封することにしている。実は忠之謀反と訴えたのは偽りである。」
 大膳を除く誰もが血の気の引く思いがしたかもしれない。すべては大膳の芝居だったとは。しかも、内容証明郵便物のように、あらかじめ種明かしの書面を提出済みだったのである。対決で追い込まれて、はじめて真相を暴露するのではないのである。すべて計算済みだったのだ。道柏の最後のセリフに至るまで。
 大膳の言い分はこうだ。忠之は大膳の諫言にいっこうに耳を傾けない。それどころか、取り巻きの佞臣から耳に入ることばかりを信じ、大膳を成敗しようとする形勢となった。これでは自分が犬死にになりかねない。(黒田家の危機を救えないばかりか、下手をすると、大膳が成敗されたことが、黒田家にとって命取りにもなる。)
 そこで、最後の手段として、幕府の威光を借りて忠之を諫めるしかない、そのために忠之謀反と訴え出たのである、とすべてを明かしたのである。
 こうなった以上、どんな罪にも服す覚悟である、と大膳が述べた時、老中以下、居並ぶ幕閣の要人たちは、大膳を「無二の忠臣」と感じて、このような男を厳罰に処さねばならないのか、と惜しむ気持ちになったと言う。

  • 注1 徳川家康。
  • 注2 「目の前で」の意であろう。

本日:1 今週:8 累計:4311(5/9 15:00より)



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