森鴎外説の検討(1) 栗山大膳の密書
「寛永九年六月十五日に、筑前国ちくぜんのくに福岡の城主黒田右衛門佐うえもんのすけ忠之ただゆきの出した見廻役が、博多辻の堂町で怪しい風体ふうていの男を捕えた。それを取り調べると、豊後国日田にいる徳川家の目附役竹中采女正うねめのしょうに宛てた、栗山大膳利章の封書を懐中していた。城内でそれを開いてみれば、忠之が叛逆の企てをしているという訴えであった。」
森鴎外「栗山大膳」の書き出しである。ここから、「当時忠之と利章とは、非常に緊張した間柄になっていた。」と、大膳が事もあろうに主君を幕府に密告した事情の説明へと入っていく。新聞記事のような無機質な文体とあいまって、読者をいきなり緊張感のある場所へと導いていく見事な導入と言える。
城内で「誰それが」それを開いてみれば……と説明していくと、緊迫感が失せる。たたみかけるような文章が緊張を高めるのに効果的に働いている。
ただ、この短い文章にも疑問がなくはない。それほど大事な密書を届ける人間が「怪しい風体」であったとは……!
見廻役が鋭い嗅覚を働かせて、密使役だと見抜いたというのならわかるが、最初から「怪しい風体」ではどうしようもない。密使失格ではないか。
鴎外がそこまで意図していたかどうかはわからないが、私のにらんだところでは、この密使は捕まることが役目だったのである。捕まることで、大膳とその一族は忠之にとってアンタッチャブルになる。手紙にはそういうしかけがあった。鴎外の小説をもう少し読み進んでみよう。
「利章の密書はただ忠之主従を驚きあきれさせたばかりではない。主従は同時に非常な懼おそれを懐いだいた。なぜと言うに、忠之が叛逆を企てたという本文のほかに、利章の書面には追而書おってがきが添えてあった。その文句は、この書面は相違なくお手もとに届くように、同時に二通を作って、二人に持たせて、別々の道を経て送るというのである。そうしてみれば、黒田家でたまたまその一通をば押えたが、別に一通が無事に日田の竹中に届いて、竹中から江戸の徳川家へ進達せられたことと察せられる。」
大膳が二通を二人に持たせて別々に派遣したのなら、むしろそのことを追而書に書かないほうがいいはずだ。一人が捕まったことで忠之を安心させ、その間にもう一人が逃げ延びればいいのだから。また、密使が何人いるかわからないほうが、疑心暗鬼にもなる。
それが、追而書を書き加えているのは、密使は実際には一人であって、捕まることを前提に行動していたと解釈することができる。
いずれにせよ、この密書の効果として、忠之は大膳を闇に葬ることはできなくなった。忠之にとって、もう一通の密書が幕府に届いていると考えられる以上、大膳を殺害することが、謀反の証拠となりかねないからだ。鴎外は言う。
「この訴えが江戸へ往いったとすると、利章はもはやどうしても殺すことのならぬ男になった。なぜと言うに、逆意の有無を徳川氏に糺問せられる段になると、その讒誣ざんぶをあえてした利章と対決するよりほかに、雪冤せつえんの途みちはないのである。」
こうして、忠之と大膳との対決の場は江戸へと移るのである。
■ 森鴎外の文字表記について。鴎の「区」の部分は「區」とすべきだが、本稿では鴎で通していることをお断りする。
森鴎外「栗山大膳」の書き出しである。ここから、「当時忠之と利章とは、非常に緊張した間柄になっていた。」と、大膳が事もあろうに主君を幕府に密告した事情の説明へと入っていく。新聞記事のような無機質な文体とあいまって、読者をいきなり緊張感のある場所へと導いていく見事な導入と言える。
城内で「誰それが」それを開いてみれば……と説明していくと、緊迫感が失せる。たたみかけるような文章が緊張を高めるのに効果的に働いている。
ただ、この短い文章にも疑問がなくはない。それほど大事な密書を届ける人間が「怪しい風体」であったとは……!
見廻役が鋭い嗅覚を働かせて、密使役だと見抜いたというのならわかるが、最初から「怪しい風体」ではどうしようもない。密使失格ではないか。
鴎外がそこまで意図していたかどうかはわからないが、私のにらんだところでは、この密使は捕まることが役目だったのである。捕まることで、大膳とその一族は忠之にとってアンタッチャブルになる。手紙にはそういうしかけがあった。鴎外の小説をもう少し読み進んでみよう。
「利章の密書はただ忠之主従を驚きあきれさせたばかりではない。主従は同時に非常な懼おそれを懐いだいた。なぜと言うに、忠之が叛逆を企てたという本文のほかに、利章の書面には追而書おってがきが添えてあった。その文句は、この書面は相違なくお手もとに届くように、同時に二通を作って、二人に持たせて、別々の道を経て送るというのである。そうしてみれば、黒田家でたまたまその一通をば押えたが、別に一通が無事に日田の竹中に届いて、竹中から江戸の徳川家へ進達せられたことと察せられる。」
大膳が二通を二人に持たせて別々に派遣したのなら、むしろそのことを追而書に書かないほうがいいはずだ。一人が捕まったことで忠之を安心させ、その間にもう一人が逃げ延びればいいのだから。また、密使が何人いるかわからないほうが、疑心暗鬼にもなる。
それが、追而書を書き加えているのは、密使は実際には一人であって、捕まることを前提に行動していたと解釈することができる。
いずれにせよ、この密書の効果として、忠之は大膳を闇に葬ることはできなくなった。忠之にとって、もう一通の密書が幕府に届いていると考えられる以上、大膳を殺害することが、謀反の証拠となりかねないからだ。鴎外は言う。
「この訴えが江戸へ往いったとすると、利章はもはやどうしても殺すことのならぬ男になった。なぜと言うに、逆意の有無を徳川氏に糺問せられる段になると、その讒誣ざんぶをあえてした利章と対決するよりほかに、雪冤せつえんの途みちはないのである。」
こうして、忠之と大膳との対決の場は江戸へと移るのである。
■ 森鴎外の文字表記について。鴎の「区」の部分は「區」とすべきだが、本稿では鴎で通していることをお断りする。
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大変勉強になりました。
鴎外の「栗山大膳」を読み、また初詣の愛宕神社で知った縁からこの作品を再び読み直してみましたが、このような
深い読みはとても出来ませんでした。
互いの先の先を読みあうマキュバリズムを資料から読み取り、かつ簡潔な筆の中にさりげなくそれを描写する鴎外の天才を改めて知った次第です。
今後のご研究の発展を御祈りしております。