2005
02
Aug |
大西洋と地中海を貫通させようという企ては、古くは九世紀のフランク国王が、さらには十六世紀のフランソワ一世が夢見た壮大なプランだったが、それを実現させる資金も技術もなかった。南仏ラングドック州から大西洋側ジロンド州まで、距離にして二四〇キロの運河が実現すれば、ジブラルタル経由の輸送距離が一挙に三〇〇〇キロも縮まる。
このプランがようやく着手されたのは十七世紀の終わり、ルイ十四世の命によってである。その総指揮をとったのはラングドックの塩税徴収人ピエール・ポール・リケだった。リケは娘の結婚資金まで注ぎ込んでこの計画に尽力したが、竣工の半年前に他界し、大工事は次期監督のバーボンに委ねられた。
一万二千人もの工夫が動員され、掘削土量七〇〇万立方メートル、百二十の閘門、六十四基の楕円形ロック、フォンセランヌの七段ロックを設営して、ついにそれは完成する。二つの海の間をわずか十日間で物資や客船を輸送させる壮大な運河がここに完成したわけだが、しかしそれが活躍した期間はあまりに短かった。鉄道が登場したからだ。
現在ではその夢の名残りは『運河の旅』という観光用の役目しか果たしていない。上の写真はその運河を辿って、南仏セートからベジエを経てカルカソンヌに辿り着いたときの一枚である。撮影日は一九九六年の秋、皮肉にもこの運河が「世界遺産」に認定された年だった。確かにそれはもう実用のものではなく、遺産でしかない。
書物や旅から、あらゆる時代、あらゆる国で、大いなる徒労に出くわす。ある時代の人々が血を流して築き上げたものを、別の時代の人々がいとも容易く壊す、あるいは無用の長物へと貶める。その咎や愚を判じ笑いたいわけではない。それどころかこの果てしない徒労の繰り返しに、誕生しては滅びていく星々の存在の覚束無さ、宇宙の営みの無目的性にさえ通じるものを感じて、私はただ不思議な思いに耽り、それらの壮大な徒労に比べれば我が身の人生の徒労など可愛いものと思うだけだ。
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Comments
中国で言えば万里の長城がこの壮大な徒労に相当しますね。
北京にいた頃、一度だけ初冬の長城を訪れたことがありますが、これを人が造ったのか……と思う。
そこに流された汗と血すら時の流れの中で風化して今や観光以外は無用の長物とはいえ、その巨大は構造物を造らせた北方異民族への恐怖心と言うのはどれほどの大きさだったのか、計り知れない。
日本にはこうした壮大な徒労という遺産はあるのだろうか?
北京にいた頃、一度だけ初冬の長城を訪れたことがありますが、これを人が造ったのか……と思う。
そこに流された汗と血すら時の流れの中で風化して今や観光以外は無用の長物とはいえ、その巨大は構造物を造らせた北方異民族への恐怖心と言うのはどれほどの大きさだったのか、計り知れない。
日本にはこうした壮大な徒労という遺産はあるのだろうか?
on 08/02/05 at 19:43:PM






